16話 誘惑だらけの勉強会【後編】

八王子駅で集合した柚月たちは、駅から徒歩5分ほどの高層マンションのエントランスに立っていた。


「うっそ、御堂君ひとりでこんなとこ住んでんの!?」


「え? あ、うん。ファミリー向けだから、部屋も持て余してるみたいだけど……」


エレベーターで上階へと向かいながら、柚月は初めての御堂の部屋への訪問に、胸の高鳴りを隠せず落ち着かない様子だった。


――ピンポーン。


「はい」


チャイムを押すと、インターホン越しに御堂の声が返ってきて、まもなく扉が静かに開いた。

現れた彼は、カットソーにデニムという、ごくシンプルな服装。

だが、整った顔立ちと落ち着いた佇まいが、それだけで十分な“こなれ感”を醸し出していた。


「おはよ、駿」


そう言って微笑む柚月の姿に、御堂の目がふと止まる。

私服姿は何度か見ているはずなのに、思わず視線が、その短めのスカートに引っかかった。


「……短」


聞こえないほどの声でぼそりとつぶやき、眼鏡を押し上げながら視線を逸らす。


「駿?」


「ん、いや。なんでもないよ」


小首をかしげる柚月に、御堂は柔らかく微笑み返し、そっと中へ招き入れた。


「おじゃましまー」


――す、と言いかけた唯斗の目の前で、御堂は扉を閉め、カチリと鍵をかけた。


「ちょっ、御堂君!? ひどくない!? ここまで来て追い出すとか!?」


ドアをバンバンと叩きながら叫ぶ唯斗。

御堂はしばらく無視していたが、さすがに近所迷惑になりそうで観念した。


「……五月蠅い」


無言のまま扉を開け、「入れ」と目で合図する。

唯斗は安堵の表情を浮かべて中に入り、美空はどこか不機嫌そうな顔であとに続いた。


「……一応、これ。僕と唯斗から」


美空は駅前で買ったプリンの袋を差し出す。


「も〜、御堂君ってばイケずだなぁ。

 ほら、男女ふたりきりじゃさ、どこで何が起きるかわかんないじゃん?

 あーんな格好だし」


唯斗は、柚月のスカートから伸びる脚をちらりと見ながら、小声で御堂の耳元に囁いた。


「……」


御堂は無言のまま、鋭い目で睨みつける。

だが確かに、あのまま柚月と二人きりだったら――と思うと、彼らがいたことに対し「感謝」……とまではいかないが、「助かった」とは思う。

はぁ……と、いくつもの感情が入り混じった深いため息をついて、キッチンでお茶の用意に取りかかる。


リビングに通された柚月は、きょろきょろと部屋を見渡しながら小さく呟く。


「なんとなく予想してたけど……綺麗すぎない?」


「ホント、生活感ないねー。せっかく広い部屋なのに」


写真やポスターなどの装飾はおろか、テレビさえない部屋。

机の上に置かれたノートパソコンと、壁にかけられた制服だけが、かろうじて“学生らしさ”を感じさせていた。


「ああ……まあ、ミニマリストってやつだよ」


御堂はセンターテーブルにグラスを並べつつ、軽く返す。


だが、本当は違う。

元の世界で培った“痕跡を残さない生活”が癖になっているだけだ。


写真も、記録も、何も残さない。

……。

それでいいと思っていたし、それが必要だとも思っていた。



御堂がとがめることもなく黙っているのをいいことに、唯斗と柚月は部屋の中を気ままに見て回っていた。


「……おまえたち、そんなことより。勉強、だろ?

 このままじゃ、朝までかかっても終わらないぞ」


美空の一言で、ようやく空気が切り替わる。


「ひゃー! やばいやばい!」

「さっさとやらないと……」


唯斗と柚月があわててテーブルへ戻り、勉強モードに突入する。

御堂と美空による“ダブル家庭教師”体制で、容赦のない追い込みが始まった。



「そこの数式、展開のしかた間違ってる」

「ちょ、御堂くん、それさっき教えてくれたやつ!?」

「覚えてないなら、もう一度解き直しだな」


容赦なく飛んでくる赤ペンと解き直しの嵐。

柚月と唯斗にとっては苦行と言える数時間が続いた。


そんななか、柚月がふと席を立つ。


「……ごめん、ちょっとトイレ、借りるね」


「ああ。廊下、右の奥」


御堂が顔を上げた瞬間、立ち上がった柚月のスカートの裾が、ふわりと視界をかすめた。


一瞬、視線が引っかかりかけたが、すぐに御堂は何事もなかったように目線をテーブルへ落とし、眼鏡をくい、と掛けなおす。


(……意識しすぎだ)


「……見えた?」


隣から、ニヤニヤとした目つきで覗き込んでくる唯斗。

わざとらしく肘で突いてくるのが鬱陶しい。


「何が」


「ふ〜ん……ふーん?」


「黙れ。そこ、間違ってる」


一拍置いて、御堂は赤ペンの背で唯斗の頬をぐい、と強く押しやる。

無理やりプリントに視線を戻させるように。


「いてて、ちょっとからかっただけなのに~……って、あ」


廊下の方から足音がして、唯斗がそっと身を引いた。


「何話してたの?」


戻ってきた柚月が、首をかしげながら不思議そうに二人を見つめる。

御堂は咄嗟に視線を逸らし、唯斗はニヤニヤしながら肩をすくめて誤魔化した。


「んー、別に? 男子の会話ってことで」


「怪しいなあ……」


柚月が微笑みながら自分の席に腰を下ろす。

美空は黙ってその様子を眺めながら、小さくため息をついた。


「……柚月、さっさと座って。集中」


「も、もちろんです!」


慌てて体勢を整える柚月。

気を取り直すように、そっとプリントを持ち上げた。


「……これって、どう解けば……」


小声で御堂に尋ねながら、彼女がプリントを差し出す。

それを受け取ろうとして――御堂の指先が、柚月の手にふれた。


「――っ」


柚月の肩がぴくりと揺れる。


「あ、ご、ごめ……」


動揺したように手を引っ込める柚月を見て、御堂の口元にふっとイタズラっぽい笑みが浮かんだ。


「な、なに……?」


「……別に」


そしてそのまま、テーブルの下――

彼の左手が、そっと柚月の手に触れ、ゆるく、包むように握った。


「……っ……!」


見えない場所での突然の接触に、柚月は小さく息を呑んで俯く。

指先がわずかに震えているのが、手のひら越しに伝わった。


御堂は、ただその反応を楽しむように、指を絡めたままそっと親指を動かす。


柚月の頬はみるみるうちに赤くなり、問題用紙の文字が視界に入ってこない。


「……っ、集中できない……」


「ああ、俺も少し、手元が狂いそうだ」


その言葉に、柚月はびくりと顔を上げ、思わず彼を睨む。


「……いじわる」


「気づいた?」


そう返す御堂の目は、どこか楽しげで――

それでいて、少しだけ、愛しそうだった。


「…まったく、お前たち、本当に勉強する気あるのか?」


「……うう、ごめんソラちゃん。ちゃんと勉強します〜……」


美空の冷ややかな一言に、柚月は頬を真っ赤に染めながら大きくうなずいた。

もう一度プリントに目を落とすけれど、胸の高鳴りがうるさくて、文字がなかなか頭に入ってこない。


それでも――深く深呼吸をして、両手で頬をそっと包む。


(動揺してる場合じゃない……がんばろ……!)


唇をぎゅっと結んで、今度は真剣な表情で問題に向き合った。



結果はと言えば、もちろん。

御堂と美空は安定のツートップ。

唯斗と柚月も、なんとか合格ラインを無事クリア。


誘惑は多かった。

けれど、勉強も……それなりに、ちゃんとした。


――夏は、もうすぐそこだ。



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あとがき


ここまでお読み頂きありがとうございます 。

後編書きたいことが多くてちょっと長くなってしまいました(;´・ω・)


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