葉山はレーナさんが気になる?
その建物は、もともと金持ちの家だったが、最近フラン軍の司令部に転用されたらしい。
中では豪華なシャンデリアの下をフラン兵たちが早足で行き来していて、掃除までは手が回っていないのか、赤色の絨毯には無数の足跡、廊下の片隅にはどんぐりまで落ちている。電話のベルがひっきりなしに鳴っていてあわただしい雰囲気だった。
俺とレーナさんは、別々の部屋に通された。
俺が案内された部屋は、階段を登って2階、客室のようだ。ちょうど〈拠点〉のように、(気持ち広めの)ベッドとデスクがある。
ただし地下の〈拠点〉とは違い、こちらは窓がついている。カーテンを開くと、夕日に染まるフランの美しい街が眺められた。
あーこれこれ。景色が見えるっていいよね。やっぱ地上がいいですな。
腕を思いっきり伸ばし、座りっぱなしでカチコチになった体をほぐす。
……そういえばレーナさんの本名、初めて聞いたな。
レーナ・モルテーヌ。無茶苦茶なあの人にはちょっとレディすぎる気もするけれど。
でもな、レーナさん、凛としてるし。美しいし。かと思えば普通の女の子みたいに照れた顔もするし。
あの晩、宿で星空の下、俺の昔話を聞いてくれた時の優しい笑顔もかわいかった。
――そんなことや唇の感触を思い出しながら軍服を脱ぎ、用意されていたシャツとベスト・スラックスに着替える。もちろん、持っていた魔石をポケットに忍ばせて。
準備ができ部屋を出ると、フラン軍の女性が控えていた。長そうな金髪をきっちりお団子にまとめた美人さん。「ミスター・ハヤマ、こちらへどうぞ」。彼女に案内され、ついていく。
1階、ダイニングホール――
「……ミスター・ハヤマ、お腹は空いていますかな? どうぞおかけください」
10人がけの長テーブルには、豪華な食事がずらりと並べられていた。すでに席についていたペタン将軍が、俺に向かい側に座るよう、目で合図する。
食欲を刺激する香り。そういえば夕飯はまだだった。座りながら、ソースをキラキラと輝かせるステーキに目を奪われていると。
将軍が座ったまま、右腕をずいっと伸ばしてきた。
「?」
なにかと思えば――
ぱっと開かれた手の中に、石がひとつ。
「魔石です。なんの魔法かわかりますか?」
――あ。
これ、試されてる。
俺が本物の漢字解読官か、試されてるんだ。
その刺すような視線に、彼の意図に気がついた。
やべ、読めるかな……。
超難読漢字とかだったらどうしよう。
ドキドキしながら身を乗り出す。
目を細め、将軍の無骨な手に収まる魔石に刻まれた、金色に輝く小さな文字を読む――。
「……これは……『味付け魔法』、ですか?」
いや、なにその魔法。
ツッコミはひとまず、置いておいて。
「素晴らしい。正解です。それでは、発動呪文は何と読むか、わかりますかな?」
「発動呪文は――」
――ルイ
そんな漢字を、ここで俺がスラスラと読めたなら――
フランが契約期間終了後も俺を手放さなくなるという、強硬手段にでる可能性が高まる。
だから、俺はあえて、間違えた。
「――発動呪文は、『我が料理(しょくじ)に、バルサミコ酢を』、です」
答えると、ペタン将軍は俺をえぐるように見た。
俺は負けないように、初老の将軍の冷たい瞳を睨み返した。
そして――将軍は、満足げにうなずいた。
「……正確には――『我が料理(りょうり)に、バルサミコ酢を』」
将軍は皿の上に魔石をかざし、大きな声でハッキリと、発動呪文を唱えた。
すると魔石から黒い液体がにじみ出てきて、目の前の料理、添え物のサラダにポトポト垂れ落ちた。
「……」
バルサミコ酢、出てきた。
いや、ほんとなにこの魔法。
誰こんな魔石作ったやつ。バルサミコ酢狂???
「私は酢にはこだわりがあるのですが、どんな酢が現れるのかずっと気になっていたのです。……香りはとてもよさそうですね」
将軍は魔石を横に置き、バルサミコ酢の風味を楽しみ始めた。
お口にあってよかったですね……。
(まだ文字が光っていたので、また使えそうだ)
「しかしミスター・ハヤマ、何も参照せずにここまで読めるとは。優秀な解読官に来ていただけて実にありがたい」
とにかく、俺の偽装工作はばれずにすんだようだ。
正直ほっとした。この人、落ち着いた物腰が逆に不気味で怖いんだよな。眼光鋭すぎだし。
息抜きに、気持ち椅子の背にもたれかかっていると。
――コツン、コツン。背後でヒールの音が響いた。
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