第49話「不器用な手先と心、それでも前へ」

 冒険者ギルドの受付前。朝の光が差し込むホールで、ミーナは依頼書を三人に手渡した。

「今回の依頼は、郊外の畑に出没しているバルドモアの駆除です。猪の魔獣で、牙も鋭くて気性が荒いですが……単体なら討伐は可能なはずです」


 アルフは依頼書を覗き込み、苦笑した。

「猪か……また突進を受け止める羽目になりそう」

「また泥んこ祭するつもり!?」

 リオンが隣で肩をすくめる。


 ミーナは二人の様子に小さく笑いながらも、言葉を続けた。

「それと、素材回収もギルドで買い取れるのでお願いします。皮も肉も角も用途がありますから。ただ……前回は大変だったようですね」

 苦笑交じりの言葉に、散々だった査定内容を思い出しアルフとリオンは視線を逸らした。


「こ、今回はちゃんとやります!」

「うん……前よりは、たぶん」

 二人が妙に力の入った声で返す。


 ミーナは少し首をかしげつつ、励ますように微笑んだ。

「慣れるには数をこなすしかありません。どうか無理はせずに」


 エリンは隣で静かに依頼書を見下ろしていた。言葉はない。ただ、視線の奥には小さな変化があった。 

 前回、裂けた皮とぐちゃぐちゃになった肉を前に肩を落とした二人。その姿を思い出していた。

 かつては非効率なことは嫌いだった。だが、仲間と共に成長する、そこに効率以上の喜びを感じていた。


 彼らは今日もナイフを腰にぶら下げ、真剣な顔で依頼書を見つめている。


 エリンはほんのわずかに瞬きをして、心の内で短く結論を出した。

 (……一歩。前にさえ進めばいい)


 今はその思いだけで十分だった。


 * * *


 街道を抜け、畑が点在する郊外に出ると、朝の空気は土の匂いを濃く含んでいた。

 収穫間近の畑の脇で、農夫が腕を組み、眉間に皺を寄せて待っていた。


「おお、あんたらか。わざわざすまねぇな」

 日に焼けた顔は疲れている。近くの畝には、掘り返された跡と泥だらけの芋が無残に転がっていた。


「これが……バルドモアの仕業か」

 アルフが跪き、牙痕の残る芋を拾い上げる。


「ああ。この時期はたまに出没するんだが、今年は特にひどいんだ。夜に畑を荒らしやがってな。収穫まであと少しだったのに……牙で掘り返すもんだからたまったもんじゃねぇ」

 農夫は憤り混じりに吐き捨てる。

「せめて一頭でも減らしてくれりゃ助かる。奴らは森と畑を行ったり来たりしてるんだ」


「頑張ってみます」

 アルフはきっぱりと答えた。リオンも力強く頷く。

 農夫はほっとしたように息を吐き、「頼むよ」とだけ告げて畑へ戻っていった。


 * * *


 三人は森の縁に足を踏み入れる。湿った土の匂いと草のざわめきが広がり、陽はまだ木々の合間から細く差し込むだけだった。

 前を行くアルフの耳に、リオンの弾んだ声が届く。


「……あっ、これ!」

 リオンが茂みに駆け寄り、しゃがみ込む。手には淡い紫色の花をつけた低草が揺れていた。


「薬草……?」

 アルフが覗き込むと、リオンは得意げに頷いた。

「そう、これ多分珍しいやつだ! 薬草ノートで見たんだ。止血にも使えるし、煎じて飲めば熱にも効くらしい」


「リオン、ちゃんと読んで勉強してたんだ」

 アルフが驚き混じりに笑うと、リオンは「……ちゃんと役に立ちたくて、ノートを読んでたんだ」

 と言ってから耳まで赤くなり、「べ、別に深い意味はないけど」と慌てて誤魔化した。


「ルーシェさんに持って行ったら喜んでくれそうじゃない?」

 アルフの提案に、リオンは恥ずかしそうにしながらも

「そうだね、ノートのお礼も兼ねて持って行ってみるよ」と優しく薬草を引き抜き、丁寧に布に包み込んで腰袋へしまった。


 そのやり取りを少し離れて見ていたエリンは、少しだけ会話についていけず一度だけ視線を落とした。


 * * *


 森の奥へ踏み込むほどに、湿った土と獣臭が強まっていった。

 アルフが槍を構えて慎重に歩を進めると、茂みの向こうで枝がへし折れる乾いた音が響く。


「いた……来るぞ」

 アルフの声に、リオンが杖を握り直し、エリンが弦に指をかける。


 低い唸り声とともに姿を現したのは、丸太のような胴を持つ黒毛の猪――バルドモアだった。

 牙は鎌のように反り返り、目は血走り、土を蹴り上げながら前足で地を掻く。

 次の瞬間、巨体が轟音を立てて突進してきた。


「速いっ!」

 リオンの叫びを背に、アルフは咄嗟に槍を斜めに構える。

 角度をつけて牙を受け流すと、衝撃で全身が軋む。

 地面に土が弾け、槍の柄が悲鳴のようにしなる。


「リオン!」

「任せて!」

 リオンの詠唱が重なり、地面から光の蔦が伸びてバルドモアの脚を絡める。

 一瞬、突進の勢いが鈍った。


 その隙に、エリンの矢が放たれる。矢羽が唸りを上げ、獣の肩口に突き刺さった。

 血煙が舞う。だがバルドモアは苦痛をものともせず、なおも牙を振りかざす。


「しつこいなっ!」

 アルフは歯を食いしばり、再び槍を押し込む。

 昨日までなら吹き飛ばされていたかもしれない――だが今は違う。足を踏み込み、流れるように突進の力を横へ逸らす。

 体勢を崩したバルドモアの脇腹に、リオンの魔法弾が炸裂した。


「エリン!」

 アルフの声に応じ、二の矢が放たれる。

 矢は狙い違わず、バルドモアの眼下を貫いた。

 間髪入れず、アルフも槍先を巨体の頸部へと突き刺す。

 獣が低く唸りを上げ、巨体を揺らす。最後に牙で土をえぐりながら、崩れ落ちた。


 森が静けさを取り戻す。

 アルフは荒い息を吐き、汗を拭った。槍を握る手は震えていたが、顔には確かな安堵が浮かんでいる。

「……やったな」

 リオンが肩で息をしながらも笑顔を見せる。

 エリンは矢を回収しながら短く言った。

「……泥だらけにはならずに済みましたね」

 微かに微笑んだように見えた彼女の冗談に、アルフとリオンも互いに顔を合わせて笑い合った。


 * * *


 倒れたバルドモアを前に、三人は腰を下ろす。

 エリンが手早く血抜きの準備を整え、ナイフを取り出した。

「では……解体です。前回よりは上達してください」


 アルフとリオンは顔を見合わせ、同時に息を呑む。

「よし……やってみる」

 アルフが前脚に刃を入れる。前回の失敗を思い出し、力を抑えて慎重に。

 皮の境目を探るように刃を滑らせると、ぎこちないながらも裂けは最小限に抑えられた。


「くぅ……硬いな。刃が脂に滑って変な方向に行きそうだ……」

 手元に冷や汗を感じながら、アルフは必死に角度を保った。

 続いてリオンも挑戦するが、やはり刃が浅すぎて進まない。

「ぬぅ……やっぱり僕は不器用だぁ……」


 エリンは膝をつき、無駄のない動作で手本を示す。

「刃の面と皮の角度を一定に……焦らず、力ではなく刃の切れ味を利用して」

 彼女の指が走るたびに、皮は驚くほど滑らかに剥がれていく。


 アルフとリオンは必死に真似を続ける。裂け目もあるが、前回のように惨憺たる結果ではない。

「……少しは上達しましたね」

 エリンの声は淡々としていたが、その奥にはほんのわずかな評価の色が宿っていた。


 * * *


 解体を終え、包んだ皮や肉を荷袋に収めると、三人は肩で息を吐いた。

 山積みになった血の匂いと土の湿気が、まだ鼻に残っている。


「……ふぅ。なんとか形にはなったな」

 アルフが汗を拭いながら呟く。

「前よりはマシ、かな……僕のはまだ酷いけど」

 リオンが苦笑いを浮かべると、エリンはわずかに首を振った。

「最初はそんなものです。それと、解体ナイフはちゃんと手入れしてくださいね。」

 言葉は淡々としている。だが、二人の姿勢を静かに認める響きがあった。


 森を出る帰路、アルフがふいに荷袋を持ち上げながら口を開いた。

「この肉、全部売るのもいいけど……自分の取り分を少し孤児院に持っていってもいいか?」

 リオンは目を丸くし、それからすぐ笑顔を見せた。

「アルフは孤児院出身だったもんね。もちろんいいよ。子どもたち、絶対に喜ぶよ」


「私も特に問題ありません」

 そう答えたエリン。いつもと同じく無表情のはずなのに、目の奥にかすかな揺らぎが走る。


 (二人とも誰かとの繋がりがちゃんとある。私は......)


 ギルドのある街へ向かう道すがら、リオンは薬草をどう渡すかを熱心に話し、アルフは孤児院に持って行く量を真面目に考えていた。

 その横でエリンは、二人の会話に入るでもなく、ただ静かに歩いている。

 だが、ほんの一瞬だけ口元が緩んだように見えた。


(……私には、まだ二人しかいない。けれど、二人と一緒に前へ進む。今は、それでいい)


 言葉の続きを胸の奥に留めたまま、エリンは弓を背に掛け直した。

 三つの影は重なったり離れたりしながらも、確かに同じ帰路を、真っ直ぐに延びていた。




【収支報告】

所持金:1,503G

内訳:

・前回終了時点:1,344G

・依頼報酬+素材販売:+190G

・食事費(朝・携帯食・夜):−21G

・宿泊費:−10G


【アイテム取得/消費】

取得:バルドモア皮・肉(売却済)

消費:携帯食


【装備・スキル変化】

武器: スレイルスピア

防具: 軽革製防具

補助装備: 解体ナイフ+革鞘

スキル:《間合制御》

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