第48話「初めての解体作業」

 森へ向かう街道を歩きながら、アルフとリオンは依頼書を何度も見返していた。

 鹿のような姿をした魔獣、ミリバール。その皮を持ち帰れば、報酬は思ったよりも悪くない。


「これで三頭くらい獲れたら、臨時収入だな」

 アルフが笑みをこぼすと、リオンも調子に乗る。

「肉を少し残して食堂に持ち込めば……豪華な夕飯だよ。塩焼きにして……」

 二人の声はどこか浮ついていた。

 その横で、エリンは無言のまま歩いていたが、やがてぽつりと落とす。

「……まずは、一頭」

 その一言に、二人は顔を見合わせ、気恥ずかしそうに咳払いした。


 * * *


 森の入口は湿った土の匂いと鳥の鳴き声で満ちていた。踏み込むと、ひやりとした空気が肌を刺す。

 朝靄が枝の隙間を漂い、光が葉の間からまだらに差し込んでいる。

 その中に、獣臭が混じっているのをアルフは鼻で感じ取った。


 やがて、草むらの奥で枝を踏み割る音が響いた。現れたのは角の大きな影。


「……あれか」

 木漏れ日の中から姿を現したミリバールは、鹿によく似ていた。だがその瞳は鋭く、耳を伏せ、鼻息を荒くしている。

 鹿の穏やかさなどかけらもない。魔獣特有の敵意がむき出しだった。

 群れで行動することもあるが、今回は幸運にも単独。狙うなら今しかない。


 ミリバールが前足で地をかき鳴らす。乾いた音が森に響いた次の瞬間、轟音とともに突進してきた。

 角は丸太のように太く、突き上げられれば人間など簡単に宙を舞うだろう。


「来るぞ!」

 アルフが声を張り上げ、槍を構えた。

 衝撃を正面から受けると吹き飛ばされる――だから、迎え撃つのではなく、力を流す。

 騎士団の戦いを思い出しながら、槍の穂先を横へ滑らせるように差し出す。


 ガンッ、と角と槍がぶつかり合う。金属ではなく骨の硬さが、腕に鈍い震えを伝えた。

 アルフの足が地面にめり込み、土が弾ける。


「っ……リオン!」

「分かってる!」

 リオンが杖を振り下ろし、詠唱を吐き出す。

 足元の大地に光の輪が走り、ミリバールの脚を絡め取るように鈍らせた。

 巨体の速度がわずかに落ちた、その刹那。


 エリンの指が弦を弾いた。

 風を裂く鋭い音とともに矢が一直線に飛び、首筋へ深々と突き刺さる。


 苦鳴を上げて揺れる巨体。

 それでもなお、怒りに燃える瞳がアルフを射抜く。

 再び角が突き出される。


「くっ!」

 アルフは歯を食いしばり、槍を斜めに滑らせて角を受け流す。

 衝撃で膝が笑うが、迷いはなかった。

 昨日の騎士団を思い出す。命を懸けて守るあの刃の迷いなさ。

(俺も……一歩でも、近づく!)


 渾身の踏み込み。槍の柄を押し込み、突進の勢いをそらす。

 巨体がよろめいた瞬間、二の矢が空を裂いた。

 矢羽は光を反射しながら目の下を正確に射抜き、血飛沫を散らす。

 巨体が喉を震わせ、地鳴りとともに崩れ落ちた。


 静寂が戻る。

 槍を握るアルフの手は震えていたが、瞳はわずかに誇らしげだった。

(怯まず……対応できた。けど、まだ槍が震えてる。あの騎士たちには遠い)


 戦いを終えた三人は、倒れたミリバールの巨体を前にして肩で息をついた。

 角に付いた土と血がまだ滴っており、獣の体臭と鉄の匂いが周囲に広がっている。


 * * *


「……ここからが本番です」

 エリンが腰のナイフを抜いた。刃先が朝の光を反射して淡く光る。

 続けざまに、背から取り出した細いロープを二本、アルフとリオンに投げ渡した。


「まずは素早く血抜きです。近くの木に吊るしてください」


「えっ……吊るすの!?」

 アルフが慌てて巨体の前脚と後脚にロープを回し、リオンが反対側で必死に引く。

「お、重っ……! 筋肉が詰まりすぎだよ、これ……!」

「リオン、もっと引け!」

「無理ぃぃ……! 木の枝が......いや、僕の腕が折れるぅ」


 ふたりが顔を真っ赤にして踏ん張り、何とかミリバールの巨体が木の枝に持ち上がる。

 その様子を見届けてから、エリンは短く頷いた。


「……これで血が重力で抜けやすくなります」


 喉元に刃を入れると、どろりとした赤黒い血が土に滴り落ちる。

 鉄の匂いが濃くなり、湿った土に染み込んでいく。

「血抜きを怠ると肉は臭くなり、日持ちもしません」

 エリンはそれ以上説明せず、淡々と作業を続けた。

 無駄のない動作と、刃の走る乾いた音だけが森に響いた。


「次に皮を傷めないように、まず関節に沿って刃を入れます。筋をなぞるように」


 エリンが膝をつき、前脚の付け根に刃を滑らせる。

 皮と肉の境を見極める指の動きは迷いがなく、切り口は滑らかだった。

 アルフとリオンは思わずごくりと喉を鳴らす。


「じゃあ……アルフさん、どうぞ」

「えっ、もう?」

 指名されて、アルフは慌てて構える。

 刃を当てるが、どこまで力を入れていいのか分からない。結局、力任せに押し切ってしまい、皮がざくりと裂けた。


「うわっ……!?」

「……力を入れすぎず、刃で切るという感覚を掴んでください」

 エリンの声は淡々としているが、冷ややかでもあった。


「リ、リオンもやってみろ!」

「えぇっ!? 僕!?」

 リオンは半泣きでナイフを持ち、震える手で切り込みを入れる。だが力が弱すぎて刃が滑らず、逆に肉をぐちゃぐちゃにしてしまった。

「ひぃぃっ……これ、駄目なやつだよね」

「……駄目です」


 二人は顔を見合わせ、同時に項垂れる。

 汗が首筋をつたい、森の冷気に触れて冷たく感じた。


「皮を残すのが目的です。裂いてしまったら価値は落ちます」

 エリンはため息を一つこぼし、もう一度手本を見せる。

 筋をなぞるように刃を走らせると、みるみる皮が剥がれていく。

「焦らず、角度を一定に。……ほら、こう」


「いやいやいや、無理だって……」

「アルフぅ、僕ら絶対不器用コンビだよ……」

 ぐったりした二人の声に、エリンはわずかに眉をひそめる。

「……言い訳より、手を動かして」


 結局、アルフとリオンの手で処理された部分は裂けや切り口だらけ。

 綺麗に残せたのは、エリンが指導しながら手を貸した箇所だけだった。


「……まぁ、最初はこんなものです」

 淡々と告げるエリンの声。


「三頭とか、大口叩いてすみませんでした……」

 アルフはしょんぼりと頭を下げる。

 その横でリオンは苦笑しながら肩をすくめる。

「皮だけじゃなく、自尊心までズタズタだよ……」


 エリンは無言でナイフを拭い、血の匂いを払うと、背を向けてぽつりと落とした。

「……次は、もう少しマシにしてください」


 残された二人は「はい……」と蚊の鳴くような声で返事をした。


 * * *


 ギルドの一角、素材査定を受ける窓口は、武具油と乾いた木の匂いが混ざっていた。

 そこに座るのは、髭面に皺を刻んだ壮年の男リッツ。無駄口を叩く様子はなく、眼光は職人そのものだった。


「……持ってきたのは?」

 低く短い声に、アルフたちは袋を差し出す。

 皮と肉、角の一部が布越しに覗いていた。


 リッツは黙って皮を取り出し、光の下にかざした。

 無造作に指で撫で、裂け目を探る。爪先で布地のように広がった切り口をつまむと、口の端がわずかに下がった。


「……裂けてるな。刃を入れすぎた跡だ。綺麗な部分もあるから依頼分は大丈夫だが、他はひでぇな。まるで下手な仕立て屋の縫い目だ」


 次に肉を取り出し、包丁で軽く切り込む。血がまだじわりとにじみ出る。

「血抜きは一応ちゃんとしてそうだが……もっとマシに切り分けられねぇのか? 扱いも雑だなぁ」

 机に並べた素材を一瞥し、指でとん、と木面を叩いた。


「評価は……並以下だ」


 短く告げられた言葉に、アルフは唇を噛んで拳を握りしめ、リオンは半泣きで肩をすくめた。

 査定票に刻まれる金額は、予想よりも三割は低い。


「うっ……」

「は、初仕事だから少し甘くみてくださいよぉ。容赦ないなぁ……」

 リオンが呻くが、リッツは視線を向けもしない。


 一方、エリンが差し出した皮は切り口が整い、肉も美しく処理されていた。

 リッツは刃先で軽くなぞり、今度は短くうなずく。


「……こっちは上等。綺麗に仕上がってる。文句なしだ。お前ら、少しはこれを見習え」


 別々に記録された報酬額。アルフとリオンの分と、エリンの分では明らかな差があった。

 二人は横目でエリンを見て、彼女の手際を思い出しながら「やっぱり凄いな……」と心の中で同じ感想を抱いた。


「……次はもっと丁寧にやれ」

 リッツはそれだけ言うと、受け取った書類に無骨な印を押した。

 依頼報酬も合わせて、合計510G。三人で分ければ一人170G……依頼にしては悪くないが、エリンのおかげで何とか帳尻が合ったようなものだった。

 冷ややかに突き返された現実を前に、アルフとリオンは再び重いため息を吐いた。


 * * *


 査定を終えた三人は、肩を落としたままギルド食堂へ足を運んだ。

 厨房からは香ばしい匂いと湯気が漂い、空腹の腹を刺激する。

 残しておいたミリバールの肉を焼いてもらい、皿に載せられたそれが卓に運ばれてくると、アルフとリオンはようやく顔を上げた。


「……次はもっと丁寧にやらないとな」

 アルフが肉を切り分けながら呟く。

「うん。刃を寝かせて、筋をなぞって……だよね」

 リオンも真剣な顔で頷くが、すぐに肩を落とす。

「そもそも三頭分なんて素材運べないし、一頭解体しただけで、もう腕がパンパンだよ……」

「僕も手が震えて……もうナイフ恐怖症になりそう」

「はは……でも、依頼報酬だけじゃなくて余った素材を売ってお金になるのはやっぱり大きいね」


 二人の反省がテーブルに重く落ちる。だが次の瞬間、軽やかな音が割り込んだ。

 視線をやると、エリンの皿はすでに空っぽだった。


「……早っ」

 リオンが呆然とつぶやく。

 エリンは平然と水を口にしていたが、その目線はちらりと二人の皿へ流れていく。

 すぐに戻すものの、また、ちらり。


 アルフはたまらず声を掛けた。

「……エリン、半分食べる?」

「いえ、もう十分食べました」

 口調はいつも通り冷静だが、視線だけは明らかに肉を追っている。


 リオンとアルフは互いに目を合わせ、同時に気まずそうに肉を口に運んだ。

 咀嚼音が妙に大きく響く。

「……これ、どうすればいいの」

「知らん」

 小声のやり取りに、エリンの瞳がまたちらりと動いた。

(あんな細い体のどこにそんな食欲が潜んでるんだろ)


 食堂のあちこちでは他の冒険者たちが笑い、酒を酌み交わしている。

 その賑わいの中、三人の卓だけがどこか不器用に沈黙しつつ、同じ皿を前にした。


(冒険者の道って……本当に簡単じゃないな)

 アルフは肉を噛み締めながら、そんな思いを抱いた。

 だが同時に、向かいで水を飲むエリンと、隣で肩を落とすリオンを見やり、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。




【第48話 成長記録】

筋力:11(熟練度:87 → 89)【+2】

→ 解体作業で腕・背筋に強い負荷。

敏捷:11(熟練度:70 → 71)【+1】

→ 槍での受け流しと解体作業での細かい動作により微増。

知力:11(熟練度:33 → 36)【+3】

→ 解体手順や素材価値について学び、知識の幅が拡大。

感覚:15(熟練度:1 → 3)【+2】

→ 獣臭や気配を察知して戦闘に備え、また解体で筋や皮の境目を意識。

精神:13(熟練度:79 → 81)【+2】

→ 失敗と厳しい査定評価を受け止め、反省を次に活かそうとする耐性。

持久力:16(熟練度:63 → 65)【+2】

→ 戦闘後の解体作業・運搬作業で全身の持続的負荷が増。


【収支報告】

所持金:1,344G

内訳:

・前回終了時点:1,203G

・依頼報酬+素材販売:+170G(3人分割後)

・朝食+昼食用携帯食:−13G

・食堂での食事:−6G(肉持ち込み)

・宿泊費:−10G


【アイテム取得/消費】

取得:ミリバール肉(消費用)、角の一部(換金済)

消費:肉(食堂調理で消費)


【装備・スキル変化】

武器: スレイルスピア

防具: 軽革製防具

補助装備: 解体ナイフ+革鞘

スキル:《間合制御》

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