第40話「霧に挑む三つの足音」

 ギルドの扉を押し開けた瞬間、紙の擦れる音とインクの匂いが鼻をかすめた。朝の自己鍛錬を終えたアルフは、まだ袖に残る汗と金属の匂いを意識しながら、リオンと今日も冒険者ギルドで待ち合わせる。


 二人は掲示板の前で足を止め、並んだ依頼票に視線を走らせた。羊皮紙の端を指でなぞりながら、アルフは今日という一日の行き先を決める重さを噛みしめる。


「……そろそろ、違う景色の依頼も欲しいな」


 隣でリオンがぼそりと呟いた。気の抜けた声に、アルフは苦笑しつつ一枚の札を撫でたが、言葉は飲み込んだ。


 リオンとの連携にも確かな手応えを感じていたのも事実だ。


 その軽さを、次の瞬間に断ち切る声が落ちてきた。


「……あの、ひとつ、相談があります」


 背後から響いたその声は、鈴の音に刃を仕込んだように柔らかく鋭かった。二人が同時に振り返る。


 そこにいたのは、弓を背負った少女──エリン。以前と同じ軽装だが、革のベルトを締める手つきや、ほんの一瞬アルフの槍に吸い寄せられた視線、そのわずかな違和感が空気を張り詰めさせる。


 彼女は一拍置き、短く言った。


「……ご一緒、できますか?」


 指先が無意識に弓の弦をなぞり、その震えが微かに空気を揺らした。


 アルフの喉がわずかに鳴った。予想していた“偶然の再会”ではない。これは、彼女の意志による一歩だ。


「……もちろん」

 短い返事を返す声が、少し硬いのを自覚した。すぐに笑みを添えようとするが、表情が整うより早く、横から声が落ちる。


「あ、えっと……こういうの、ちょっと意外ですね」


 リオンは言葉を探すように視線を泳がせ、それから小さく肩をすくめた。

「僕なんて……声かける勇気ないから。すごいなって」


 自虐気味の言葉に、場の緊張がわずかにほぐれる。エリンは視線だけを動かし、無表情のまま答える。

「……そう見えますか」


 淡々とした声の奥に、ほんの刹那、言葉の熱が潜んだように感じたのは気のせいだろうか。


「アルフ」

 リオンが視線で意味深に促す。


 アルフは札を整列させるふりをして視線を外し、恥ずかしさをごまかした。そのまま一歩踏み出し、「と、とにかく、話を聞こう。受付で依頼を確認しないと」


 三人は並んでカウンターに向かう。木の床に刻まれた足音が、少しだけ新しいリズムを刻んでいた。


* * *


 カウンターでミーナが差し出したのは、一枚の札だった。


《依頼:北方林帯の探索と安全確保(Eランク)/内容:盗賊アジトの調査および付近の危険確認》


「盗賊、ですか……」

 リオンが眉をひそめる。


「北方林帯は霧が濃く、過去に行方不明者を出した危険な場所です。単独じゃ危ないですが、三人なら適任です。索敵役もいらっしゃいますし。ですが、危険な任務です」

 ミーナの視線がエリンをかすめると、彼女は小さく頷いた。その仕草には迷いがなく、まるで先に答えを決めていたかのようだ。


「……やります」


 アルフも札を受け取る。手にした札の重みが、彼女との距離を測る物差しのように感じられた。

「僕も異存はないです」


 リオンはため息を一つ落として、ぎこちなく笑った。口元は笑っているのに、指先がわずかに震えている。

「じゃあ……僕も、頑張ります」


 その小さな声に、アルフは目を細めてうなずく。エリンは反応を示さない。ただ、視線が一瞬だけアルフと交わり、その奥で何かが揺れた。


* * *


 ギルドを出た三人は、昼の光を浴びた石畳を歩いていた。通りには祭りの準備を告げる旗が揺れ、どこか浮ついた空気が流れている。それでも、彼らの足取りは軽くなかった。


 アルフは肩にスレイルスピアを担ぎながら、隣を歩く二人を横目に見る。


(……この並び、そんなに経ってないはずなのに久しぶりだな)


 リオンは口を閉ざし、ちらりとエリンを見ては視線を逸らす。その手は、杖を握りしめて白くなっていた。言葉を探しているのか、それとも沈黙を選んでいるのか、判断できない。


 一方、エリンは歩調を乱さず、前だけを見据えていた。視線も、表情も、何も変わらないように見える──だが、その指先は微かに弓の弦を弾くように動いていた。


「……北方林帯って、危険みたいだけど?」  リオンがようやく声を出したのは、街の門が見えてきた頃だった。


「そうだね」アルフは短く答える。「霧が濃いし、視界が効かない。自分を見失ったら、それで終わりらしい」


 その言葉に、ザイランの教えが脳裏をよぎる──

 『間合いは生き死にの境目だ。仲間がいるなら、その線を重ねろ』


 アルフは深く息をつき、二人の顔を順に見た。 「……僕は自分の間合いは意識するから、サポートは頼っていい?」


 エリンの金の瞳が、一瞬だけアルフをとらえた。その奥に、かすかな熱が灯ったように見えたのは錯覚だろうか。


 リオンは小さくうなずき、杖を持つ手を握り直す。 「……やれるだけ、がんばるよ」


 その声はかすれていたが、確かな決意を帯びていた。


* * *


 北方へ向かう街道は、門を抜けた途端に空気の色を変えた。


 青空の下でさえ、林帯の先は薄靄に沈んでいる。風が通るたび、白い帳がゆらぎ、その奥に何かが潜んでいるように見えた。


 アルフは足を止め、肩に担いだスレイルスピアを握り直す。

(ここから先が──依頼の本番だ)


 隣でリオンも小さく息を呑む。杖を持つ手がまだ硬い。けれど、歩みは止まらなかった。


 一方、エリンは何も言わず、ただ弓を下ろした。その指先が弦を軽く押し、音を立てずに確かめる。視線は淡々としているのに、その奥にあるものまでは、誰にも読めない。


 アルフは二人を見渡し、わずかに笑みを浮かべる。

「──行こう」


 湿った風に、かすかに腐葉の臭いと木々の軋む音が混じっていた。

 三つの影が霧に向かって踏み出した。その先に待つものを、まだ誰も知らない。



【おまけ】

いつも本作をご愛読いただき、誠にありがとうございます。

このたび、本作の“テーマソング”を、友人の協力を得てAI(Suno)にて制作いたしました。


タイトルは──『生き延びろ、僕の足音で』


霧の中、三人の足音が重なったこの回の“空気感”と、“物語の核”を音に込めた一曲です。

作者自身もとても気に入っており、読後に聴いていただければ、また違った印象を感じていただけるかもしれません。


▶【視聴URL】https://suno.com/s/u2YXo2iSFpEnefZW


これからも、アルフたちの物語を、どうぞよろしくお願いいたします。




【第40話 成長記録】

筋力:11(熟練度:71 → 74)【+3】

→ 朝の自己鍛錬および移動時の荷重行動による軽度負荷。

敏捷:11(熟練度:55 → 56)【+1】

→ 朝の自己鍛錬による瞬発力の向上。

知力:11(熟練度:18 → 20)【+2】

→ 依頼内容に対する理解や戦略性検討にともなう成長。

感覚:14(熟練度:82 → 83)【+1】

→ 林帯入口での環境変化への警戒、霧の挙動を意識した行動。

精神:13(熟練度:52 → 54)【+2】

→ エリンとの再会による心理影響。

持久力:16(熟練度:42 → 44)【+2】

→ 自己鍛錬による走り込みの効果。


【収支報告】

現在所持金:1,405G

内訳:

・前回終了時点:1,413G

・朝食(ギルド食堂):−4G

・保存食購入:-4G(計上しない場合は1,411G)


【アイテム取得/消費】

取得:保存食

消費:なし


【装備・スキル変化】

武器:スレイルスピア

防具:軽革製防具

スキル:《間合制御》



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