第39話「霧の中で踏み出す一歩」

 ギルドの扉を開けると、ざわめきが耳を包んだ。朝の光と冒険者たちの声。その中で、僕とリオンは掲示板の前に立つ。


「……あった。これだ」


 リオンが指さした依頼票には、赤い印と『伐採所の安全確保・害獣討伐』の文字。


「さっき言ってたやつか」

「ああ。ミーナさんが“骨がある”って言ってた依頼。現場は霧の出る伐採地で、魔獣は牙と毒針持ち。……それに、合同依頼だってさ」


 合同。つまり、複数パーティでの大掛かりな討伐だ。


 胸の奥で小さな不安と、それを押し返す期待がせめぎ合う。


「……やるか」


 そう言うと、リオンが僕を見て、目を細める。


「本気だね」

「最近、慣れた仕事ばっかだったからな。そろそろ挑戦しないと」


 リオンは短く息をついて、口の端を上げた。


「じゃあ、腹くくるか」


 依頼票を引き抜くと、紙の手触りが指先にざらりと残った。


* * *


 伐採所へ向かう馬車は、想像以上に揺れた。荷台には俺たちと、見知らぬ冒険者が十二人ほど。武器の種類も装備もさまざま、ベテラン風の者も混じっている。笑い声に金属音がまじり、誰かが矢羽を指で確かめていた。


「初参加か?」


 隣の男が声をかけてくる。皮鎧に、使い込まれた片手剣。手の動きに隙がない。


「はい。合同は初めてです」


 答えると、男は口元をゆるめた。


「気負うなよ。範囲が広くて獲物は多いが、牙と針にだけは気をつけろ。麻痺でもしたら置いていかれるからな」


 軽口の裏にある警告に、空気がわずかに引き締まる。笑い声が遠くに感じられた。十二名という数は、僕たちみたいな駆け出しにはやっぱり迫力がある。


 リオンは視線を落とし、肩をこわばらせたまま拳をぎゅっと握っている。


「大丈夫。僕らのペースでやろう」


 小声でそう言うと、リオンが短くうなずいた。


* * *


 伐採地に近づくにつれ、空気は重くなり、霧が地面から立ち上るように広がっていく。視界は白に染まり、木々の輪郭さえ曖昧だ。声を潜めなければ、飲み込まれそうな静けさ。


 足を踏み出すたび、しめった土が靴底にねばりつく。冷たい湿気が肌をなで、じわりと体温を奪っていく。耳を澄ませば、遠くで金属の打ち合う音や誰かの掛け声がかすかに響いた。他のチームが動いている証拠だ。だが、その距離感が逆に孤立を強調する。


「……ここから、自分たちの区画だな」


 リオンが地図を見ながら低く言う。周囲は白一色で、数歩先さえぼやけている。


「気を抜くなよ」


 僕は声を落として応じ、槍を握り直した。胸の奥で、不安と期待がせめぎ合う。これを超えれば、何かが変わるかもしれない。


 一歩、また一歩。足裏で地形を探り、膝で沈みを測る。斜面の微妙な傾きや、苔のぬめりを感覚で読み取るのは、何度も繰り返した訓練の賜物だった。


(……悪くない)


 視線は前方の白を裂こうとしながら、耳と足と全身で世界を捉える。この白さに紛れて、何だって牙を剥ける──気を抜けば、一瞬で呑まれるだろう。

 ───風が止んだ。霧の奥で、何かが身じろぎした気がした。


* * *


 ぴし、と空気を裂く音がした。反射的に身を低くした瞬間、何かが白を切り裂いて飛んだ。槍の柄にかすかな衝撃。毒針だ。鼻腔をかすめるのは、湿った土とわずかな金属の匂い。


「来るぞ!」


 声をあげるより早く、霧を割って影が滑り込んできた。──スモグファング。四足の獣で、肩の高さは腰ほど。背には棘が並び、赤い瞳がかすかに光っている。その足音はぬめった泥をはね、鈍い水音を響かせた。


「下がれ、リオン!」


 叫んだとき、リオンの詠唱が霧に溶けた。光弾が放たれる──はずだった。だが、霧が弾を拡散させ、光はぼやけて逸れる。冷えた風が頬を打ち、視界の白が一層濃くなる。


 スモグファングが牙を剥き、リオンへと一直線に跳んだ。


(間に合わない──)


 足が一瞬止まった。脳裏に、矢の音と鋭い声がよぎる。


 ……だが、迷いは一瞬だった。


 次の瞬間、身体は勝手に動いていた。足裏がぬかるみに沈み、滑りそうになる。体勢を崩しかけた瞬間、膝で重心を押しとどめる。訓練で叩き込まれた感覚が、脳より先に応えていた。泥の匂いと湿気が、息に絡みつく。


「どいて!」


 槍を構え、霧を裂いて踏み込む。獣の横腹へ、全身の力を込めて突き上げた。硬い手応えと、肉を裂く感触。生ぬるい飛沫が頬に散る。スモグファングがのけぞり、低い咆哮を吐いた。


 だが、まだ死んでいない。喉奥からくぐもった唸り声を漏らし、牙が再びこちらに向いた瞬間──


「仕留める!」


 リオンの詠唱が重なり、短い魔力の刃が閃いた。喉を正確に裂く一撃。霧に血の匂いが広がり、赤が白を汚す。耳に残るのは自分の荒い息だけ。音が吸い込まれるように、世界が静まり返った。


 呼吸が荒い。腕に力が入らない。視線を落とすと、袖に小さな針が刺さっていた。指先に、じわりと痺れが広がる。


「助かったよ。すごい踏み込みだった」


 リオンの声が近くで響く。俺は短く息を吐いた。指先がじんじんと重い。それなのに、不思議と心地よい。胸の奥に、静かな熱が灯ったような感覚があった。白い霧に赤が溶け、景色が揺らいで見えた。


* * *


 スモグファングの死骸を、白い霧があっという間に飲み込んでいった。血の赤が溶け、まるで最初から何もなかったかのように景色が静まり返る。


「……これで、終わりか」


 リオンが小さく息を吐いた。声は落ち着いていたが、その指先はわずかに震えていた。俺も似たようなものだ。針の痺れは腕にまで広がり、握った槍がやけに重い。それでも、嫌な感覚じゃなかった。


 休憩所に戻ると、他の冒険者たちの声がざわめきを取り戻していた。笑い声、武具を打ち合わせる音、成果を語り合う声。それらを横目に、俺とリオンは簡単な手当てを済ませ、並んで腰を下ろした。


「アルフ」


「ん?」


「背伸びしてみて良かったね」


リオンが短くそう言った。その横顔に、少しだけ笑みが浮かんでいた。


「そうだね……ありがとう」


 言葉はそれだけ。けれど胸の奥で、熱がじんわりと広がっていく。まだ指先の痺れは残っている。だが、いつかは消えるだろう。


(迷いは成長の糧……か)


 視線を上げると、伐採地の白が遠くまで続いていた。あの霧はまだ晴れない。けれど──


(道は、きっとある)


 そう心の中で呟き、ゆっくりと息を吐いた。



【第39話 成長記録】

筋力:11(熟練度:67 → 71)【+4】

 → 足場の悪い霧中での踏み込み、槍の全力突き、全身を使った横薙ぎによる瞬発的負荷で向上。

敏捷:11(熟練度:52 → 55)【+3】

 → 視界不良・ぬかるみ環境での回避・踏み込み・重心制御により、身体操作性が強化。

知力:11(熟練度:16 → 18)【+2】

 → 霧中での情報統合、危機察知から瞬時に戦術転換、攻撃順序の即断により戦術判断力が増加

感覚:14(熟練度:78 → 82)【+4】

 → 視覚が奪われる状況で、足音・風の切れ間・霧の動きから魔獣の位置を察知、感覚優位性が顕著に強化。

精神:13(熟練度:46 → 52)【+6】

 → 合同依頼という心理的圧力、毒針による痺れ、極限状況下での踏み込みをやり切ったことで、胆力・克服力が飛躍的に成長。

持久力:16(熟練度:37 → 42)【+5】

 → 馬車での長距離移動、湿地での行軍、戦闘・負傷後の耐久行動により総合的なスタミナ強化。


【収支報告】

現在所持金:1,413G

内訳:

 -前回終了時点:1,185G

 -依頼報酬(伐採所の安全確保・害獣討伐):+250G

 -朝食(ギルド食堂):−4G

 -夕食(ノネズミ亭):−8G

 -宿泊費:−10G


【アイテム取得/消費】

取得:なし

消費:なし


【装備・スキル変化】

武器:スレイルスピア

防具:軽革製防具

スキル:《間合制御》

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