第38話 歌姫と神韻魔法学院


「……神韻魔法学院に来てみないか?」


そう誘ってきたのは、マーヤの祖父にして、学院の学院長でもあるガレリオだった。


音楽の魔法を教える学院……。


どんな教えがあり、どんな楽器が並ぶのか?

どんな旋律が、学院の空気を震わせているのか?


凛人の中に、ムズムズと好奇心が芽吹き始めていた。



その言伝を届けに来たのは、マーヤ本人だった。普段着で、肩の力の抜けた様子でやって来た。


「いろんな楽器とか、神韻具とかね。

見たことないの、きっとたくさんあるよ。

ミコト村行く前に行ってみよ?」


新居の片付けに追われていた凛人だったが、マーヤに誘われるまま、学院へ足を運ぶことにした。


学院は城下町の東側。

その建物は、どこか楽器や音を模しているのだろうか、曲線的で、目を引く不思議な外観をしていた。


後にガレリオから聞かされたが──

その建物は、学院内広場での演奏時に反響を調整し、音の輪郭を強めたり、響かせたり、演出効果を高めるために設計されているという。


「……まるでコンサートホールみたいだな」



学院に入るや否や、大騒ぎだった。


何せ、神韻魔法の申し子と称されるマーヤが、学院にやって来たのだ。

しかも、今や彼女は、奴隷狩りを殲滅し、捕らわれていた領民たちを救い出した、まさに英雄……いや、英雄譚のヒロイン。


「マーヤ様!」「歌姫様だ!」


学院の広場には人だかりができ、生徒たちは我先にと、彼女の姿を一目見ようと殺到していた。


けれど、マーヤは慣れたものだった。


「皆さん。ごきげんよう」


微笑みを浮かべ、優雅に手を振る。

その姿はまるで宮廷の姫のようで、貴族生まれの多い生徒たちの心を一瞬で掴んだ。


「今の、オレに言ってくれた……?」


男子は騒ぎ、女子はうっとりして見惚れる。

皆、上等な制服に身を包み、気品を纏ってはいるものの、まだ十代の若者たちだった。


騒がしくなるのも無理はない。


一方で、マーヤ目当てではなく、騎士のリオを探す声もあった。


「リオ様はどこ!?」「あの異邦人じゃなくて、リオ様が見たいのに!」


──おお、聞こえてる聞こえてる。歓迎されてないのはわかる!余裕でな!


凛人は人ごみの中で自嘲する。エルセリア語もだんだんわかってきた。

たしかにリオは美丈夫で、マーヤと並ぶと絵になる。

リオは女生徒に圧倒的な人気があるようだ。


だが、

(オレは呼ばれてきたんだぞ!)


堂々としていればいい……はず。



マーヤは迷うことなく学院内を進み、学院長室へと凛人を案内した。

そしてガレリオの引率で、神韻具が並ぶという学院の「宝物庫」へと向かう。


その部屋には、まさに宝のような楽器が所狭しと並んでいた。


リュート、ヴィエール(フィドル)、チェンバロ、オルガン。

タブラやタンバリン、ハープにリコーダー、オーボエのようなもの、パンフルート風の笛──

凛人の知らない、しかし見惚れるような楽器が、美術館のように並んでいる。


だが──ピアノも、ギターも見当たらない。


(この世界には無いのか...)


凛人の専門はギターだ。アコースティックもエレキもいける。

だが、ピアノや鍵盤楽器も多少は弾ける。子供の頃何年かだけ習っていたから、基礎はできている。

だが、難しい曲は弾けない。曲作りのためにコードを弾きながらメロディを弾く。

ピアノはもっぱら曲作りのために弾いていた。


そんな彼の目を引いたのは、一台の小型オルガンだった。


(……この鍵盤、見覚えがある)


白鍵と黒鍵の配置──まさに現代と同じだ。

ドレミファソラシドが白鍵、半音が黒鍵。

それに88鍵ある。


こうした鍵盤配置が主流になったのは200〜300年前からのはずなのに。



(……鍵盤楽器だけ技術の進歩、早すぎないか?)


懐かしさに吸い寄せられるように、凛人はそのオルガンに向かった。



「触ってもいいですか?」


許可を得て、彼は鍵盤に手を伸ばした。


──音は出ない。


(……空気を送らないと、鳴らないのか)


足元のペダルを踏む。音がふわりと響く。

澄んだ、懐かしい音。


少しずつ、彼の指が鍵盤の上を滑る。

試すように、探るように。


自然と、いつものコード進行を弾いていた。


C → G/B → Am7 → G → FM7 → CM7 → F → G


パッヘルベルの《カノン》で知られる、あの印象的なコード進行。現代のポップスでも繰り返し使われる、美しく調和した循環の響き。


左手はコードを支え、右手で即興のメロディを紡いでいく。

それは作曲でもなく、アドリブと呼べるほどでもない。

感情のままに旋律を編む──それが、かつての彼の作法だった。


「……ずいぶんと、久しぶりな気がするな」


ただ、音を楽しみながら、心の中に浮かぶ感情の断片を拾い上げていく。

それは、音楽と共に生きてきた凛人の記憶だった。



マーヤとガレリオは、少し離れた場所で見守っていた。


そのときだった。


凛人の周囲に、緑の光がふわりと浮かび始めた。


神韻魔法の発動時に似た光──

だが、線ではなく、蛍のように漂い、やがて舞い、輪を描き始める。


「……!?」


マーヤが困惑の目を向ける。


ガレリオの瞳が、大きく見開かれた。


「これは……見たことがある……」


「ワシが精霊の神韻魔法を編む時に、幾度か……」


「今、まさに凛人は──神譜を編もうとしている……!」


光は旋律に導かれ、円となり、線となり、

やがてマーヤとガレリオの元へと、感情の奔流のように届いた。



凛人の心には、次々に想いが浮かび、流れていく。


──親のこと

──先輩の笑顔

──地元の海辺の景色

──連絡の絶えたバンド仲間

──兄弟と姪

──嬉しさ、悔しさ、惨めさ、憧れ


その一つひとつが旋律となって流れ出し、

神韻魔法となり、彼の奏でる音楽が、感情そのものへと昇華していく。


マーヤの目に、ふと涙がこぼれた。


何が起こったか分からないまま、頬を伝うその涙を拭う。


ガレリオは感じていた。

自分の感情ではない。だが、それ以外に思えない。誰かの記憶が、まるで自身の過去のように、胸を満たしていく──



それらはすべて──凛人の“記憶”がもたらした、郷愁の神譜だった。



「お祖父様……外に出ましょう」


「しかし……」


「彼には、今……一人になる時間が、必要なように思います」


ガレリオは、孫娘の優しさに目を細め、静かに頷いた。



凛人は、

ただ、鍵盤に指を置いたまま、旋律を奏で続けていた。


──音楽が、記憶と感情を編み、魔法となる世界。


その瞬間、彼はこの世界で、紡いでは消え、紡いでは消えていくものに身を委ねていた

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