第38話 歌姫と神韻魔法学院
「……神韻魔法学院に来てみないか?」
そう誘ってきたのは、マーヤの祖父にして、学院の学院長でもあるガレリオだった。
音楽の魔法を教える学院……。
どんな教えがあり、どんな楽器が並ぶのか?
どんな旋律が、学院の空気を震わせているのか?
凛人の中に、ムズムズと好奇心が芽吹き始めていた。
◇
その言伝を届けに来たのは、マーヤ本人だった。普段着で、肩の力の抜けた様子でやって来た。
「いろんな楽器とか、神韻具とかね。
見たことないの、きっとたくさんあるよ。
ミコト村行く前に行ってみよ?」
新居の片付けに追われていた凛人だったが、マーヤに誘われるまま、学院へ足を運ぶことにした。
学院は城下町の東側。
その建物は、どこか楽器や音を模しているのだろうか、曲線的で、目を引く不思議な外観をしていた。
後にガレリオから聞かされたが──
その建物は、学院内広場での演奏時に反響を調整し、音の輪郭を強めたり、響かせたり、演出効果を高めるために設計されているという。
「……まるでコンサートホールみたいだな」
◇
学院に入るや否や、大騒ぎだった。
何せ、神韻魔法の申し子と称されるマーヤが、学院にやって来たのだ。
しかも、今や彼女は、奴隷狩りを殲滅し、捕らわれていた領民たちを救い出した、まさに英雄……いや、英雄譚のヒロイン。
「マーヤ様!」「歌姫様だ!」
学院の広場には人だかりができ、生徒たちは我先にと、彼女の姿を一目見ようと殺到していた。
けれど、マーヤは慣れたものだった。
「皆さん。ごきげんよう」
微笑みを浮かべ、優雅に手を振る。
その姿はまるで宮廷の姫のようで、貴族生まれの多い生徒たちの心を一瞬で掴んだ。
「今の、オレに言ってくれた……?」
男子は騒ぎ、女子はうっとりして見惚れる。
皆、上等な制服に身を包み、気品を纏ってはいるものの、まだ十代の若者たちだった。
騒がしくなるのも無理はない。
一方で、マーヤ目当てではなく、騎士のリオを探す声もあった。
「リオ様はどこ!?」「あの異邦人じゃなくて、リオ様が見たいのに!」
──おお、聞こえてる聞こえてる。歓迎されてないのはわかる!余裕でな!
凛人は人ごみの中で自嘲する。エルセリア語もだんだんわかってきた。
たしかにリオは美丈夫で、マーヤと並ぶと絵になる。
リオは女生徒に圧倒的な人気があるようだ。
だが、
(オレは呼ばれてきたんだぞ!)
堂々としていればいい……はず。
◇
マーヤは迷うことなく学院内を進み、学院長室へと凛人を案内した。
そしてガレリオの引率で、神韻具が並ぶという学院の「宝物庫」へと向かう。
その部屋には、まさに宝のような楽器が所狭しと並んでいた。
リュート、ヴィエール(フィドル)、チェンバロ、オルガン。
タブラやタンバリン、ハープにリコーダー、オーボエのようなもの、パンフルート風の笛──
凛人の知らない、しかし見惚れるような楽器が、美術館のように並んでいる。
だが──ピアノも、ギターも見当たらない。
(この世界には無いのか...)
凛人の専門はギターだ。アコースティックもエレキもいける。
だが、ピアノや鍵盤楽器も多少は弾ける。子供の頃何年かだけ習っていたから、基礎はできている。
だが、難しい曲は弾けない。曲作りのためにコードを弾きながらメロディを弾く。
ピアノはもっぱら曲作りのために弾いていた。
そんな彼の目を引いたのは、一台の小型オルガンだった。
(……この鍵盤、見覚えがある)
白鍵と黒鍵の配置──まさに現代と同じだ。
ドレミファソラシドが白鍵、半音が黒鍵。
それに88鍵ある。
こうした鍵盤配置が主流になったのは200〜300年前からのはずなのに。
(……鍵盤楽器だけ技術の進歩、早すぎないか?)
懐かしさに吸い寄せられるように、凛人はそのオルガンに向かった。
◇
「触ってもいいですか?」
許可を得て、彼は鍵盤に手を伸ばした。
──音は出ない。
(……空気を送らないと、鳴らないのか)
足元のペダルを踏む。音がふわりと響く。
澄んだ、懐かしい音。
少しずつ、彼の指が鍵盤の上を滑る。
試すように、探るように。
自然と、いつものコード進行を弾いていた。
C → G/B → Am7 → G → FM7 → CM7 → F → G
パッヘルベルの《カノン》で知られる、あの印象的なコード進行。現代のポップスでも繰り返し使われる、美しく調和した循環の響き。
左手はコードを支え、右手で即興のメロディを紡いでいく。
それは作曲でもなく、アドリブと呼べるほどでもない。
感情のままに旋律を編む──それが、かつての彼の作法だった。
「……ずいぶんと、久しぶりな気がするな」
ただ、音を楽しみながら、心の中に浮かぶ感情の断片を拾い上げていく。
それは、音楽と共に生きてきた凛人の記憶だった。
◇
マーヤとガレリオは、少し離れた場所で見守っていた。
そのときだった。
凛人の周囲に、緑の光がふわりと浮かび始めた。
神韻魔法の発動時に似た光──
だが、線ではなく、蛍のように漂い、やがて舞い、輪を描き始める。
「……!?」
マーヤが困惑の目を向ける。
ガレリオの瞳が、大きく見開かれた。
「これは……見たことがある……」
「ワシが精霊の神韻魔法を編む時に、幾度か……」
「今、まさに凛人は──神譜を編もうとしている……!」
光は旋律に導かれ、円となり、線となり、
やがてマーヤとガレリオの元へと、感情の奔流のように届いた。
◇
凛人の心には、次々に想いが浮かび、流れていく。
──親のこと
──先輩の笑顔
──地元の海辺の景色
──連絡の絶えたバンド仲間
──兄弟と姪
──嬉しさ、悔しさ、惨めさ、憧れ
その一つひとつが旋律となって流れ出し、
神韻魔法となり、彼の奏でる音楽が、感情そのものへと昇華していく。
マーヤの目に、ふと涙がこぼれた。
何が起こったか分からないまま、頬を伝うその涙を拭う。
ガレリオは感じていた。
自分の感情ではない。だが、それ以外に思えない。誰かの記憶が、まるで自身の過去のように、胸を満たしていく──
それらはすべて──凛人の“記憶”がもたらした、郷愁の神譜だった。
◇
「お祖父様……外に出ましょう」
「しかし……」
「彼には、今……一人になる時間が、必要なように思います」
ガレリオは、孫娘の優しさに目を細め、静かに頷いた。
◇
凛人は、
ただ、鍵盤に指を置いたまま、旋律を奏で続けていた。
──音楽が、記憶と感情を編み、魔法となる世界。
その瞬間、彼はこの世界で、紡いでは消え、紡いでは消えていくものに身を委ねていた
⸻
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