第37話 歌姫の旅支度と春の装い


ミコト村へ向かう前に、必要な準備を済ませておくことにした。


 


――まず、馬に乗れなきゃ話にならない。


 


本当は、マーヤの馬の後ろに乗せてもらえれば、いろいろと嬉しい。

だが、さすがにずっとそれというのは、男としてどうかと思う。

情けなさや気まずさで、心が折れそうになるのが目に見えていた。


 


そこで凛人は、リオに頼み込んで乗馬の特訓を受けることにした。

丸一日、みっちりと時間をかけて、なんとか人並みに乗れる程度にはなった。

足腰が笑ったが――まあ、乗れるだけマシだ。


 


 


装備品の買い出しは、マーヤに引率されながら市場を回った。


 


露店がずらりと並び、香辛料や焼き菓子の香りが鼻をくすぐる。

商人たちの呼び声と、値切る客のやりとりがひっきりなしに飛び交い、

陽光にきらめく果物や布地が、通りを鮮やかに染めていた。


 


ミコト村は日帰りで行ける距離らしいが、何が起きるかわからない。


 


干し肉やパン、チーズなどの保存食に加え、

水を入れる皮袋、簡易寝具、蝋燭、ナイフ、ロープ……

それらをまとめて運べる頑丈な鞄も必要だった。


 


初めて触れる品々ばかりだったが、マーヤの説明を聞きながら、一つずつ揃えていく。


 


 


衣装屋は市場から少し離れた場所にあった。

並んで歩くマーヤと凛人のそばを、子供たちが楽しそうに駆け抜けていく。


 


「みんな幸せそうで、良い街だな」


 


「そうでしょ! ボクの自慢の街」


 


マーヤがにかっと笑って凛人を見上げた。

あまりに真っ直ぐに見てくるものだから、眩しすぎて凛人は思わず視線を逸らした。


 


 


服屋では、まず凛人の旅装を整える。


 


藍色の中着は腰でしっかりと絞られ、皺の入った灰茶のズボンとよく馴染んでいる。

肩にはワックスで撥水加工された薄手の外套。春先の旅にはちょうどいい装いだ。


 


「……なんか、意外と様になってるな」


 


鏡に映る自分に思わずつぶやくと、店主の初老の男が渋い笑みを浮かべた。


 


「ふふ、旅人ってのは不思議なもんでね。

服にも顔にも、覚悟ってのがじわっと滲むもんさ」


 


カウンターに肘をつきながら、男は続ける。


 


「若いのに、落ち着いた色を選んだな。

大抵の若い客は、もっと派手な赤だの青だの欲しがるもんだけど……

まあ、そういう連中ほど、泥だらけで帰ってくるのさ」


 


――伊達に三十歳じゃない。

年齢を重ねると、無難な服を選ぶという知恵も備わるもんだ。


 


そう内心で自分を納得させつつ、マーヤの方に視線を移すと

どうやら「試着大会」が始まるらしい。


 


 


マーヤは目を輝かせながら、次から次へと旅装を試していく。

もちろん凛人は、“友達の買い物に付き合ってるだけですよ”というポーズを取りつつも、拍手と称賛の声は欠かさなかった。

 


……実のところ、凛人はめちゃめちゃ楽しんでいた。


まるで、ちょっとしたアイドルのライブのような賑やかさだった。


 


この世界の服装は、凛人が知る中世ヨーロッパとは、どこか感覚が違っていた。

思っていたよりも肌の露出が多い。


 


もちろん、よく見ていた異世界転生アニメほどではないにせよ、

スカートの丈も膝上くらいのものがあり、どこか開放的な印象だ。


 


宗教的な縛りが弱いのか、それとも素材や気候の影響か。


 


色彩も豊かで、街の庶民は落ち着いた色味を選んでいるが、

貴族や商人といった富裕層は、鮮やかな色や凝ったデザインの服を好んでいた。


 


ふと気になっていた下着事情も、意外としっかりしていることが判明した。


 


リネン――麻の一種だろうか。繊維が細かく、肌触りも滑らか。

裁断も立体的で、腰にゴムが入っていないのに、ぴたりと体に馴染んでくる。



この世界は、街の技術や紙の質、戦いに使われる兵器の話など――特に音楽の進展具合からして、

凛人の世界でいう「1500年代初期のルネサンス期」に近いのではないかと感じていた。


魔法が存在し、魔物もいるという点では大きく異なるが、

それでも、どこか**“もう一つの地球”**のような、パラレルワールド的な何かではないかと想像している。


ただ、見れば見るほど、聞けば聞くほど、凛人の知っている知識とは微妙にズレていて――

思わず「もっと西洋史、真面目に勉強しておけばよかった……」と頭を抱えることもしばしばだった。


今、凛人の考察に一番役立っているのは、

受験勉強でかじった頼りない西洋史の知識ではない。

それよりも――ルネサンス時代の女流画家を描いた漫画や地球の運動について描いた漫画だ。



試着の合間、マーヤが説明してくれたのは、この世界の服飾文化だけではなかった。


 「昔、お祖父様がまだ領主になる前のこと。ミコト村の水道技術に目をつけて、それをグレイヴェルン全域に広げたんだって。」


「50年くらい前の話。

それが今じゃ、ルメリア王国全土に広がってるよ」


 


(ガレリオ、若い頃から優秀だなぁ……)


(水道の概念は古代ローマ、つまり紀元前にもあった技術だしなぁ。

公共浴場”テルマエ”も紀元前だ。

うん?でも、この水道の技術はローマ帝国の衰退と共に失われたんだっけ?)


またしても、漫画の知識が凛人の支えだ。

 


「他にもあるよ。

ここの衣服の縫製技術や素材加工も、元はミコト村から来たものなんだって」


 


ミコト村……改めて、どんな村なんだか。


 


 


マーヤの旅装は、凛人のそれとは対照的に、どこか凛とした気品をまとっていた。


 


白と淡い青を基調としたワンピースは、春の日差しの中でやさしく揺れる。

脚にぴったり沿うアンダーウェアは、機能性と清潔感を備え、動きやすさも兼ねている。


 


その上からは、白銀に輝く軽量の胸当てと籠手、膝下の防具。

肩を守る小さな肩当ても加わり、防御性と可憐さが両立されていた。


 


背には薄手の白いマントがふわりとかかり、

腰には銀装の鞘に収めた細身の剣が、斜めに吊られている。


 


凛々しく、どこか優美なマーヤの姿に、凛人は鏡越しに思わずつぶやいた。


――俺の服、ちょっと地味すぎたかも。


 


 


試着大会から何着かを選び終えたマーヤは、ご満悦の様子だった。


 


そして――いよいよ、ミコト村への小さな旅が近づいてくる。


 


日帰りのはずなのに、まるで旅立ちの日のような高揚感だった。


 


そして、不思議と心が弾んでいる――そんな自分に、ふと気づいた。


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