第35話 歌姫と新しい部屋


「ねぇ、リントはこれからどうすんの?」


 


昼下がり。異世界の空気は今日もやけに澄んでいて、どこか非現実的だ。


 


窓の外には、煉瓦や木造の家々が並び、跳ねるように遊ぶ子どもたちの声が響く。


 


彼らが口ずさむのは、どこか懐かしくも神秘的な童歌。よく耳を澄ますと、それは回復の神韻魔法ルネーサの旋律の一節だ。神韻魔法の聖地とされるグレイヴェルンらしい。歌が生活に根付いている。


 


「この街で暮らすの?」


 


陽だまりの中、ふてぶてしくソファに寝転びながらマーヤがそう言った。お菓子をつまみつつ、足をぷらぷら揺らしている。


この地、ルメリア王国のグレイヴェルン侯爵領を治めるフィオラリス家の娘にして、歌を魔法に変える“神韻魔法”の使い手。

先日、奴隷狩りの一団を殲滅した警護団を率いたリーダーであり、今やその名は領地を越え、ルメリア王国全土に轟いている。

ルメリアの歌姫──それが、彼女のもうひとつの顔だ。


マーヤが摘んでいるのは、蜂蜜と果実を練り込んだ薄焼きの焼き菓子。パリッとした食感に、ほんのりシナモンの香りが漂う。


 


最近は、ヒマさえあれば凛人の部屋に入り浸っている。


 


遠くの空には、重力を嘲笑うようにそびえ立つ建築物が見える。神韻魔法学院や大教会だという。さらにその奥、山影のように構えるのが領主の城。幻想と荘厳が混ざり合う、不思議な眺めだ。


 


風に乗って、どこからか淡い香りが流れてきた。グレイヴェルン特産の香草のようで、清らかで落ち着いた香りが鼻をくすぐる。すべてがどこか、夢の中のようだった。


 


坂本凛人さかもとりんとは今、グレイヴェルンの元領主から滞在を許可されているガレリオ邸を出て、グレイヴェルン侯爵領の城下町メルヴィスで一人暮らしをしていた。


 


賃料は月に銀貨五枚。リオ曰く“中の上”の部屋らしく、治安も悪くないし、なにより太陽の光が部屋に差し込んで明るい。ひとりで住むには広すぎるくらいだ。そして一階には料理を提供してくれる女将さん付きだ。これなら、しばらくはこの異世界でも生きていけそうだ。


 


もちろん、金はある。領主レオニスから渡された“当面の生活費”――日本円にしてニ百数十万円分の金銀。貯金ゼロで転移した凛人としてはありがたすぎる話だ。

その他にも凛人にとって役に立ちそうな権利等も与えてくれたが、今のところ使う予定はない。

それに、いつまでも甘えているわけにもいかない。


 


「いずれ、出て行かないとって思ってたんだよな……」


 


どれだけ感謝していても、人ってのは、どこかで思っちゃう。


“こいつ、いつまで居座る気だ?”って。


 


凛人はそこまで図太くいられない。誰かに頼るというのが苦手だ。


頼った相手に嫌がられたり、迷惑だと思われるのが怖いのかもしれないと、自己分析している。


 


それに、せっかく異世界に来たんだ。この世界の空気の中で、自分で稼いで、自分で選んで、生きてみたかった。元の世界に帰る方法が見つからない今、立ち止まってるヒマはない。


 


――とはいえ。


 


「聖遺物、か」


 


この世界に、本来あるはずのないもの。凛人の世界からこの世界に転移してきたもの。


凛人が転移してきた原因であり、元の世界への鍵。


 


でも、それを探すなんて、簡単な話じゃない。


祭壇や神殿に奉納されてるものもあれば、闇市場で高額取引されて、盗まれたり消えたりしてることも多い。そもそも“どこにあるか”の手がかりすらろくにない。


 


「……話が果てしなさすぎるんだよな」


 


転移に失敗したあの日。


帰れないとわかった瞬間、凛人の中で何かがポキッと折れた。


DAWもない。Spotifyもない。YouTubeも、スプラトゥーンも、ラーメンもキットカットもない。


 


二、三日、部屋に引きこもった。飯も食わず、ずっとベッドで天井を見てた。


そして頭の中でずっと、「テレビもねぇ、ラジオもねぇ……」のメロディがループして、本気で泣いた。


 


でも、時間が経って、ようやく少しずつ前を向けるようになってきた。


 



今の凛人にできることと言えば、


神韻魔法――《エルネ》だけだが、使える。ただし、オリジナル魔法は教会にバレると面倒だから禁止されている。


 


それと作曲。これは、この世界でも通じるかもしれないが…


 


剣も体力もゼロ。


冒険者? 憧れるけど、凛人がやったら一瞬で死ぬ。


 


でも、現代知識で商売や技術開発なら……地味だけど、生きていけるかもって最近思う。


 


そう――なんというか、覚悟を決めたら、ちょっとだけワクワクしてきたのだ。


 


神韻魔法の謎、この世界の景色、ドワーフやエルフ、そして……


「美人メイドに囲まれた生活をしたい……」


 


「……は?」


 


「うわ、聞いてたのか」


 


「いや、ちょっと本音ダダ漏れすぎじゃない? ていうか、夢がショボい」


 


凛人の妄想タイムにツッコミを入れたのは、相変わらず自由人なマーヤだった。


 



 


……とはいえ、やるべきことも、気になることも山積みだ。


たとえば、凛人が転移した村、あそこは《ミコト村》のすぐ近く。ミコト村には日本語を話す人々が住んでいるそうだ。これは偶然なんかじゃない。絶対に、何かあるのではないか?


 


「ふーん。悠長ね」


マーヤがくすくすと笑う。こっちは真剣に考えてるってのに。


 


最近のマーヤは、城下町を商人の娘のような身なりで、自由気ままに歩き回っている。


すれ違う男たちが何度も振り返るのを、彼女は気にも留めない。


そんな姿を見て、凛人はふと思った――ああ、ようやく自由になれたんだな、と。


 


十五歳という若さで、貴族の責務を一身に背負ってきた少女が、ようやくその重荷を下ろし、羽を伸ばしている。


かつての騎士然とした姿も凛としていて良かったが、今の天真爛漫さも悪くない。むしろ――今のほうが“推せる”。


 


引っ越しのときも、当然のように着いてきて、家具屋で「あれと、これと、それがいい」と指差し、満足げに帰っていった。


 


家具屋では、最初は凛人に無愛想で、売り物もろくに見せなかった店主が、彼女の正体にうすうす気づいたのだろう。


態度を急変させ、かしこまった様子で商品の説明を始めた。


 


(けっ、小物が……オレにとった態度を悔やむがいい!)


と、凛人はせいせいしていたが、後日、店の入り口に《領主家御用達》の文字が躍っているのを見て、


「これは敵わねぇわ」と、どうでもよくなった。


 


支払いは、もちろん凛人持ち。


気がつけば、マーヤ用のソファにふかふかのクッションまで加わっていた。


このお嬢様は、城の暮らしとはまるで違う、凛人の部屋に勝手にワクワクしていたのだ。


 


「誰にも見られてないし、誰にも注意されない……。これが“自由”ってやつなんだね」


 


彼女が呟いたとき、凛人は思った。


――貴族として生まれるってのも、大変なんだな。


 


それでも、マーヤの表情はどこか柔らかくなり、年相応、17歳の少女らしく見えるようになった。


ずっと背負ってきたものを降ろして、ようやく“普通”になったのかもしれない。


 


「で、結局どうすんの? 聖遺物、探すの?」


 


「……探したいけど、簡単じゃない。生活の基盤もないし、一人で旅するには、力も知識も足りない。言葉もまだまだ怪しいし」


 


「そっか。じゃあ、どこか行くなら、ボクがついていってあげよっか?」


 


「まじで!?」


 


「あんた、仲間も友達もいないでしょ?」


 


「……なんだその言い方」


 


「それに弱っちぃから、魔物に食べられてすぐ死んじゃうよ」


 


「いやいやいや……」


 


……ん?

いやいやいやいやいや、魔物!?


 


「魔物いるの!?」


 


「はぁ? いるに決まってるでしょ」


 


「決まってない!!日本にはいない!!」


 


「このメルヴィスだって、グレイヴェルンの街にも村にも魔物は出ないよ!」


 


いや、そうじゃない!

そもそも“魔物が存在しない”という概念が通じてない……


 


それでも、森や山の奥地には群れで住んでいたり、街道に出て旅人を襲うこともあるらしい。


特に夜は、夜目が利く魔物もいて危険なんだとか。


 


「ねえ、リント。廃村に来るとき、カイルと夜の森を通ったでしょ?」


 


「ボクね、そんな危ない行動をしたカイルを思いっきり叱ったんだよ」


マーヤは綺麗な長い赤髪をバッサリ短く切ってから、一人称が”わたし”から”ボク”に変わった。

何か強い想いがあるんだろうと、特に触れてはいない。


「……でも逆に、“姉様はもっと危ないことしてたじゃないか!”って言い返されちゃってさ。何にも言えなくなっちゃった。まいっちゃうよね」


 


(……いや、いい話なんだけどさ。


俺も相当危なかったってことだよな。廃村に着く前に、パクッといかれててもおかしくなかったじゃん。


カイル、そんなこと一言も言ってなかったじゃん!!)


 


凛人は今更ながら冷や汗が滲んだ。


 


(ってか、カイルはそれ込みで覚悟してオレと廃村に向かったのか…)


 


あいつカッコいいじゃん。


凛人は何とも言えない複雑な気持ちでいっぱいになった。


 


「だから、一緒に行って、ボクが守ってあげよう!」


マーヤは腰に手をあて、胸を張って言った。任せろ、と言わんばかりの表情だ。


 


なんか、楽しそうだ。


マーヤは強い。正直、俺の百倍は頼りになる。


顔パスで通れない場所なんて、この領地にはないんだろうし、


 


「……じゃあ、まずは《ミコト村》かな。あそこには、何かある気がするんだ」


 


……ミコト村。


 


凛人が転移してきた村の近く。


そして、いきなり奴隷狩りに囚われた場所──そこからの道中で初めて神韻魔法≪迷いの詩≫を発動した。


 


そのミコト村に住む“日本語を話す人々”。


すべての始まりが、そこにある気がする。


 


過去と向き合い、未来を見据える。


この世界で、どう生きていくか。


自分にできることを、少しずつ積み上げていこう。


 

その隣に、だらしなく笑うマーヤがいてくれるなら――


……なんだか、ちょっとだけ、未来が楽しみになってきた。


イタズラっぽく微笑む彼女と旅する道のり。御伽話みたいに、不思議で、美しいこの世界。


想像しただけで、胸の奥がふわっとあたたかくなる。


まるで、発売日に買ったRPGのパッケージを開けるときのような――

はじまりの気配が、そこにある。


そして、物語はまた一歩、静かに動き出した。

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