第33話 浮かれた仲間と凛人の残件
凛人は、ガレリオと並んで庭園にいた。
午後の光が差し込む静かな時間。
机の上には、ひとつの“聖遺物”が置かれている。
それは、凛人が現代で使っていたICレコーダーだった。
「……なんで俺の物が、こっちに転移してきたんでしょうね」
ふと漏れた問いに、ガレリオは顎に手を当てて言った。
「それはわからん。だが、偶然とは考えにくい。
お主がこの世界に来たことと、無関係ではあるまい」
「たしか、最後に見たのは机の引き出しの中。
もう使ってなかったけど、捨てた覚えもないんです。
……気づかないうちに転移してたってことですかね。部屋から、消えた?」
ガレリオによれば、このICレコーダーがこの世界に現れたのは、約一年前だという。
凛人は眉を寄せた。
「それに……時間の流れも、おかしくないですか?」
たとえば、「ぐりとぐら」の絵本。
凛人の世界では半世紀ほど前に描かれた子ども向けの本だ。
だが、この世界では“古の伝承”として語り継がれているという。
「音叉もそうです」
凛人は、レコーダーの横に置かれた音叉へ視線を向ける。
「僕の世界では発明されたのはせいぜい200年前のはず。
バイオリンやリュートよりずっと新しい道具なのに、
こっちじゃ“神韻具”として遥か昔から崇められてる」
(“遥か昔”って、一体どれくらい前の話なんだ……)
「……やはり、転移には“時空そのもの”の歪みが関わっている可能性が高いな」
ガレリオの低い声が響く。
「となると……
いつ俺の世界に飛んだのか……正確には、わからないですよね」
「うむ。ただし、確かなこともある」
ガレリオは言葉を切ってから、ゆっくり続けた。
「ユル=ノトがこちらから消えて、戻ってくるまでに要した時間は、最長でも二年。
つまり、異世界間の往復は可能であり、時間差も致命的ではないということだ」
「じゃあ、俺が戻ったとしても、“元の日本”に帰れる可能性はあるってことですね」
「そういうことになる」
「……お主の帰還は、絵空事ではない。“希望”と呼ぶに足る理がある。」
ガレリオの口調は慎重だったが、そこには確かな手応えもあった。
不安はある。だが――
凛人の胸の奥には、言葉にできない確信めいた感覚が芽生えていた。
(……行ける。帰れる気がする)
ガレリオも、同じ思いを抱いているようだった。
「ユル=ノトという前例がある。元の世界、元の時代に戻った例がな。
希望は、ある」
「……なら、やるなら早く、ですね」
凛人は机の上のICレコーダーを見つめながら言った。
「決心が揺らぐ前に、決行したほうがいい」
けれど――
凛人の胸には、確かに迷いもあった。
(帰って……何になる?
また会社に通って、毎日同じような生活?)
心の中で、誰かの声がささやく。
(そもそも、向こうの人生って……楽しかったか?)
思考は堂々巡りを繰り返し、過去の記憶ばかりが浮かんでくる。
久しく会っていない両親の顔。
もう連絡も取らなくなった友人たち。
音楽の道を背中で支えてくれた先輩。
別れたまま、もう二度と会えない恋人。
昔のバンド仲間たち――。
“本気なら応援するよ”と笑ってくれた、あいつらの声すら、今はもう遠い。
(……なんだよ、思い出すのは、過去ばっかりじゃないか)
凛人は苦笑した。
(オレ、人付き合い……サボってたのかもな)
けれど、それでも胸の奥にひとつだけ、確かに残っているものがあった。
音楽だ。
“プロになれないなら意味がない”と、仲間が次々と夢を手放していった中――
凛人だけは、最後まで音楽にしがみついていた。
“いい年してまだ音楽?”
“ギター弾いて何になるの?”
“え、作曲? 誰かに聴かせるの?”
何度も浴びた、そんな言葉。
その裏にあったのは、“もう歳なんだから諦めろ”、”良い年して音楽やってるなんて恥ずかしい”という無言の圧力だった。
それを敏感に感じ取ってからは、夢や趣味の音楽の話を聞かれても、笑ってごまかすようになった。
バンドは解散し、何を目指せばいいのかも分からなくなった。
けれど――作曲の世界を知ったとき、凛人はもう一度走り出した。
経歴じゃない。年齢でもない。
“実力だけで勝負できる”と知ったから。
プロじゃなくてもいい。
音楽は一生続けたい。
雲の切れ間から、淡い陽射しが机の上を照らしていた。
でも――できるなら、燃え尽きるまで挑んでみたい。
その時、警護団の若き騎士たち、それとマーヤのことが脳裏をよぎった。
彼らは、長いこと屈辱に耐えていた。
死ぬ未来を覚悟しながら、それでも笑って、支え合って戦っていた。
奴隷狩りのアジトに乗り込む時、出発前に凛人の客室をノックし、
マーヤはそっけなく「行ってくる」と言った。
あれは震える声を押し殺して、発していたのだ。
凛人が見たのは、その強さだった。
結果、彼らはやりきった。
(成功したのはたまたま、だけどな)
(……それでも)
(じゃあオレは、“やりきった”と言えるんだろうか?)
このままどんな世界で生きたって、後悔からは逃げられない。
もし戻れなかったら仕方ない。
けれど、“戻らない”という選択だけは、絶対にしたくない!
――オレは、元の世界に帰らなきゃならない。
なぜなら、あの世界で――
……まだ、オレの音楽は終わっていないんだ
凛人は、胸にその決意を強く刻みつけた。
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