第26話 鐘の音とセラヴェル

「……あんた、ほんといっつも気絶してるよね」

遠くから、誰かの呆れた声が聞こえた。


 


「まったく、修行が足りないのよ」

それは、マーヤの声だった。


 


どうやら凛人は、またしても神韻魔法の使いすぎで気を失っていたらしい。


 


「それにね、エルネはね、もっと優しい神韻魔法なの。

暗闇を照らす優しい魔法。あんな歌い方する人いないよ」


 


意識の底をゆらゆらと漂う凛人の耳に、

その独り言のような声は、妙に心地よく響いていた。


 


体の奥に、じんわりと温かな光が染み込んでくる。

――おそらく彼女が、再び癒しの神韻魔法をかけてくれたのだろう。


 


半ば夢の中で、凛人はそう思った。


 


 


 



 


夜が明け、霧深い廃村に淡い朝日が差し込む。


 


だが、その光景はあまりに無惨だった。


 


広場には奴隷狩りの兵の死体が折り重なり、

血の匂いが土に染み込んでいる。


 


警護団は少し離れた場所に領民たちを集め、

毛布を配り、温かな食事を振る舞っていた。


 


死体の確認と後始末が続く中、

生き残った数名の敵兵が拘束され、

そのうちの一人が驚くべき証言を口にした。


奴隷狩りの移動経路が掴めなかった訳だ。


――廃村の森の奥には、ゼルトリア帝国へと通じる地下トンネルが掘られていたのだ。


 


奴隷狩りの一団は、その密かな道を通ってグレイヴェルンに侵入していた。

しかも彼らは、ただの山賊ではなく、ゼルトリア帝国の正規兵。


 


これは単なる略奪ではない。

帝国による本格的な侵攻計画の一端だった。


 


――同様の拠点が、他にも存在する可能性は高い。


 


だが今はただ、勝利の余韻に身を委ねるときだった。


 


警護団の面々は歓喜に沸いた。


 


かつて「敗戦の責を負わされた落ちこぼれ」と嘲られた彼らが、

今や領民を救い、敵を討ち、帝国の陰謀すら暴いたのだ。


 


胸には、確かな誇りが灯っていた。


 


そのとき、遠くで見守っていたカイルが、

駆けるようにマーヤのもとへとやって来た。


 


「よかった……ほんとによかった……!」


 


マーヤの胸に顔を埋め、子どものように声を上げて泣いていた。


 

マーヤはカイルがいることに驚いたが、すぐに優しく抱きしめた。

 


 



 


聖遺物も、無事に回収された。


 


意識を取り戻した凛人のもとへ、

マーヤが興奮気味に、だが慎重な手つきでそれを運んでくる。


 


「これ……あなたの世界のものでしょう!?」


 


黒く、小さな四角い機械。

それは、彼にとって見慣れたICレコーダーだった。


 


スマートフォンよりも高音質で録音できる、音楽用の専用機。


 


「間違いない……俺が使ってたのと同じだ。

懐かしいな……。大丈夫、危ないもんじゃない。ただの録音機。音を記録して、また聞くことができるってだけのやつ」


 


「ねぇ、これって……楽器なの? 音が聞こえるってこと?」


 


「録音ボタンだけは押さないで。赤い丸のやつ。

上書き設定になってたら困るから。

他のは……押しても大丈夫」


 


そう言いながら、凛人のまぶたは再び重く閉じていった。


 


眠気には抗えず、彼はまた深い眠りに落ちていく。


 


 


 



 


凛人と救出された領民たちを乗せた帰還の馬車が、

城下町へと近づいていた。


 


空気には、異様な熱気が満ちていた。


 


「勇者たちの凱旋だ!」

「奴隷狩りを全滅させたって!」


 


速報を受けたフィオラリス家は、ただちに使者を広場へ派遣し、

告解の布告を行った。


 


警護団の勝利、奴隷狩りの殲滅、そして帝国の侵攻計画の阻止――


 


その偉業は街中に響き渡り、やがてはグレイヴェルン全土、

そしてルメリア王国へと伝わっていくことだろう。


 まさに英雄譚のような話だった。絶望を覆した奇襲作戦――と、誰もが口にした。す


 


民衆の心を掴むには、これ以上ない題材だった。


 


街の人々は歓声を上げ、路上に列をなし、

凱旋の一行を待ち受けていた。


 


鐘楼の鐘が高らかに鳴り響く。


 


トランペットがどこからともなく音を放ち、

金管の響きが空へ舞い上がる。


 


屋根の上から子どもたちが手を振り、

広場には群衆が押し寄せる。


 


剣を掲げた騎士たちが馬に乗り、

盾を打ち鳴らしながら堂々と入城してゆく。


 


続いて、救出された約一二〇名の領民が行進に加わると、

街の熱狂は一層高まった。


 


「グレイヴェルン万歳!」

「フィオラリス家に栄光あれ!」


 


やがて、鉄鎖に繋がれた黒衣の男たちが引き立てられる。

奴隷狩りの兵士たちだ。


 


中には、まだ少年の面影を残す若者もいた。

その目には怯えと、ほんのわずかな後悔が宿っていた。


その瞬間、空気が凍りつく。


 


沈黙。


 


そして怒号。


 


「人の子を売る鬼め!」

「恥を知れ、外道ども!」


 


泥や野菜の皮が容赦なく飛び交った。


 


それでも、騎士たちは止まらない。

まっすぐ前を向き、城門へと進み続ける。


 


最後に、マーヤたち警護団が街に入ると、歓声は最高潮に達した。


 


「ルメリアの歌姫万歳!!!」


 


その声に続き、群衆が一斉にエルセリア語で唱和する。


 


「セラヴェル!」


 


驚くべきことに、警護団には死者が一人もいなかった。


 


重装歩兵を中心とした奇襲作戦が完璧に決まり、

さらには、戦いの最中――

すべての切り傷が、なぜか自然にふさがっていたという。


 


「神のご加護だ」と、人々は囁き合った。


 


重傷者はいたが、彼らもまたマーヤの神韻魔法によって命を救われていた。


 


 


 



 


城の前には、重々しい出迎えが用意されていた。


 


最も威厳ある装いの男――領主が、常備兵の隊列とともに立ち、

中央にはガレリオが、待ちきれぬ様子で立っていた。


 


「ただいま戻りました、お祖父様」


 


マーヤが一歩進み、深く頭を下げると、

ガレリオは人目も憚らず彼女を抱きしめた。


 


「……よくぞ、無事で戻った……」


 


その背で、ヨネさんがハンカチを握りしめ、ぽろぽろと涙をこぼしている。


 


やがて、マーヤのまわりには家族らしき人々が集まってきた。


 


凛人の知らない顔ぶれ。


 


きっとマーヤは、「汚名をそそぐまでは会わない」と心に決めていたのだろう。


 


だが、カイルだけは例外だった。


 


あの性格なら、マーヤの意思など無視して押しかけたに違いない。


 


それを機に、形式ばった出迎えは終わり、

城の騎士団たちも警護団と抱き合い、喜び合った。


 


騎士団のひとりが、弟だろうか、若き警護団員の頭をぐしゃぐしゃに撫でている。


 


頭を撫でられた少年は、声をあげて泣いていた。

まだ一〇代の若者だ。無理もない。


 


それを見た周囲の騎士たちも、泣き笑いしながら盛り上がっていた。


 


長く暗く沈んでいたグレイヴェルンに、

ようやく――光が差し始めていた。


 


 


 



 


凛人は、ヨネさんの前でそっと頭を下げた。


 


「ただいま戻りました、ヨネさん」


 


「……あんたも馬鹿だよぉ!

そんな細っちょろい体で、何しに行ってだのぉ!

心配かげでぇ!」


 


そう言いながら、ヨネさんは泣き笑いの顔で、

凛人の背中を何度も叩いた。


 


そのやり取りを、ガレリオは黙って見つめていた。


 


そして静かに歩み寄り、穏やかな笑みを浮かべて、こう告げた。


 


「……お主には、返しても返しきれぬ借りができてしまったようだな」


 


凛人は、何と言えばよいのか分からず、

ただ静かにうなずいた。


 


霧の夜に始まった激闘の一日は、

ようやく――静かに幕を下ろした。

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