第15話 魔法を作る男と責任を負う姫
夕食時、ヨネさんが作ってくれたスープがあった。
まるで味噌汁のような、懐かしい香りと味――。
「……これ、昆布ですか?」
そう尋ねると、「うんにゃ」と言った後、聞いたことのない単語が返ってきた。
その味に、不思議と心が揺さぶられた。
泣きそうになってしまった。
(……やっぱり、帰りたいな)
実家に、ちゃんと顔を出そう。
そう決意したその時――
「なぁに、情けねぇ顔さしてんのぉ!」
ヨネさんに尻を叩かれた。
距離の詰め方が爆速すぎる。
だが、何故だか嫌な気持ちはしなかった。
そこへ、巡回が終わったらしいマーヤが凛人の様子を見にやってきた。
最近ちょくちょく庭園には顔を見せに来ていたが、凛人の借りている部屋にくるのは久しぶりだ。
「ヨネばぁ! お疲れ様! 元気? リントのために来てくれてるんだね!」
「マリアンナ様も、ご機嫌いかがですか?
そうなんですぅ、ガレリオ様に言われて来たんですが、びっくりですよぉ。
リント様、うちの息子にそっくりで……さっきも情けない顔してたもんだから、ついお尻を叩いちまったのよー」
「えー!? あっははは! あなたそんな間抜けな顔してたの?」
「そうです、酷いヘタレヅラですよぉ」
「……俺の入る余地は?」
凛人が小声で抗議しても、二人は聞く耳を持たない。
「本当、とんだへっぽこヅラね!!」
「リント様、その顔は何ですか? 敗北宣言ですか?」
(なんだこの文化!?
競うように人を馬鹿にしてくる!!!?
だいたい顔で敗北宣言って何だよ!
人を馬鹿にする芸術点が高すぎるよ!!)
凛人がツッコミを入れる前に、マーヤが悲鳴をあげる。
「ひー! やめて!
その顔見せないで!
顔面だけで謝罪するのはやめてぇぇぇぇ!!」
涙を流して笑うマーヤとヨネさん。
凛人の顔は、標準で敗北宣言し、謝罪している顔らしい。
意味はよくわからんが、とんでもない屈辱感だ……
ひとしきり笑い終えると、マーヤは「またね」と短く残して去っていった。
(マーヤ……お前、何しに来たんだよ……!!)
* * *
凛人はこれまでに何度か、新しい神韻魔法を生み出そうと試みていた。
それは、この世界で「神譜を編む」と呼ばれる行為だった。
だが、簡単にはいかなかった。
旋律を奏でると、デル=ハンはわずかに反応する。
だが、力が解き放たれるような気配はない。
「条件がいくつかある。
だが……正直なところ、まだ分かっていない部分も多いのだ」
そう前置きしたうえで、ガレリオは神韻魔法を発動させるために必要とされる要素をいくつか挙げてくれた。
⸻
【神韻魔法を編むための条件(現時点で判明しているもの)】
1. 神韻魔法を奏でる“素養”を持っていること
(ただし、これが最も曖昧な条件である)
2. 心と体の奥底から旋律と魔法効果のイメージが一致し、
自身に強く“共鳴”していること
⸻
凛人は、これらの条件に一つずつ挑戦してみた。
だが、どれも「正解」が見えない。
何かがズレている。
この世界で見聞きしたことや、実際に魔法を発動したときの経験を踏まえても、
ガレリオの言う条件は――どこか、腑に落ちなかった。
「……まあ、神韻魔法には、まだまだ解き明かされていない謎が多くてな。
これは、あくまで“今の”常識じゃよ」
そう言って、ガレリオはどこか楽しげに笑った。
「それに、お主は色々と“規格外”なのだ。
お主が異なる世界の“音”を持っている限り、
我々の常識など、あてにならんのかもしれんな」
* * *
それ以来、凛人はデル=ハンを肌身離さず持ち歩くようになった。
これはガレリオの助言によるものだ。
仮に新たな神韻魔法を生み出せたとしても、
それを再び使うには、初発時とまったく同じ旋律を、正確な音程で再現する必要がある。
つまり、一度きりの奇跡では意味がないということだ。
そのためには、基準音を示す神韻具――デル=ハンのような存在が欠かせない。
何の基準もなく歌った旋律を、あとから寸分違わず再現するのは、
いくら音感が良くても至難の業だからだ。
とはいえ――どんな歌を作れば、どんな魔法になるのか。
そのイメージすら、まったく浮かんでこない。
凛人は作曲が趣味だったはずなのに、
今はその“入口”さえ見つけられなかった。
(……曲って、どうやって作ってたっけ?)
この疑問は現代でも散々味わった。
一曲作り終えると次を作る際、何故かどうやって曲を作って良いのかさっぱりわからなくなるのだ。
ガレリオは「イメージが大事」と言っていた。
でも、イメージってなんだ?
あまりに漠然としていて、手がかりにもならない。
そこで凛人は、いったん自作を諦め、
自分の“好きな曲”を思い出してみることにした。
好きな曲なら、いくらでもある。
歌詞もメロディも思い入れは深いし、
そこから魔法のイメージを膨らませていければ、
何かしらの神韻が発動するかもしれない――
そう思うと、胸が高鳴った。
(……ただ、音程は正確じゃなきゃいけないんだよな)
ふと、凛人は駐屯地でのマーヤとのやりとりを思い出した。
⸻
「お嬢、またあのフレーズで音外してましたね!」
「ふふっ。でも、あの流れのほうが魔法のノリが良くなる気がするのよ」
⸻
(音程がすべて……ってわけじゃないのか?)
ピアノの白鍵・黒鍵だけが正解じゃない。
その中間の音――微妙なズレや“揺れ”でも、
魔法が発動することはあるのかもしれない。
――ということは……?
凛人の思考は、自然と現代日本での記憶へとつながっていった。
* * *
凛人が勤めていた会社に、菅野さんという先輩がいた。
就職氷河期に就職し、今の会社がブラック企業だった時代を“生き抜いた悲劇世代”の一人だ。
理不尽なパワハラや徹夜勤務にも耐え抜き、基本は優しくて仕事もできるが、とにかく昔話が長い。
「クソみたいな連鎖は、オレの世代で止める。だからせめて愚痴だけは言わせて。……そしてちょっとだけ褒めて」
そんな情けなさも含めて、どこか憎めない人だった。
夜勤明けなどテンションが高いときは、懐かしい歌やCMソングを口ずさむことも多く、
凛人が「それ何ですか?」と聞くと、嬉しそうにスマホで動画を見せてくれる。
特に印象に残っているのは、ある格闘家が出演していた髭剃りのCMだった。
――髭剃り中の格闘家が突然襲われるが、刃は横滑りして肌は無傷。
彼は笑顔で言う。
「キレてなーい♪」
インパクト抜群で、商品の特徴も一発で伝わる。
そのCMの影響で、凛人も実際にそのメーカーの髭剃りを使うようになり、肌荒れとは無縁になった。
そして気づけば、あの「キレてなーい♪」を鼻歌のように口ずさむようになっていた。
この異世界では、凛人は髭剃り用のナイフを借りて使っていた。
お湯に浸した布で身体を拭くついでに、顎を剃るのだ。
体を拭く時もデル=ハンを鳴らして、基準音の余韻を頭に刻むことを忘れない。
ナイフでの髭剃りは最初は怖かったが、今ではだいぶ慣れた。
剃刀負けして血がにじむのも、日常の一部になっていた。
だいぶ慣れてきて、今日も体を拭きながら髭を剃り、気分よく口ずさんだ。
「キレてなーい♪」
その瞬間――凛人の身体が、光に包まれた。
(なっ!? 何これーーー!?)
次の瞬間、凛人は意識を失った。
⸻
目を覚ましたのは翌日の昼過ぎだった。
慌てて服を確認すると、裸ではない。どうやらメイドたちが着せてくれたようだ。
……裸を見られた、ということか。恥ずかしい。
「起きたか?」
部屋にはガレリオがいた。椅子に腰かけ、本を読んでいたようだ。
凛人を見るなり、興奮気味に声を上げる。
「新しい神韻を編んだのか!?」
どうやら凛人は、新しい神韻魔法を発動させ、その反動で気を失っていたらしい。
(……魔法発動って、こんなに負荷高いの? ちょっと怖いな)
思い出して再現してみせる。
デル=ハンを鳴らし、声を整えて――
「キレてなーい♪」
すると、凛人の顎を中心に光が集まり、奇妙な文様が浮かび上がったのだった。
「そ、それは……」
凛人はしばらく顎に手を添え、思案するようにさすった後、口を開いた。
「……たぶん、剃刀負けせずに髭が剃れる魔法、です……」
ガレリオは無表情で凛人の顔を見つめていた。
凛人の顎は綺麗に髭が剃られ、魔法の光で輝いていた。
***
夕暮れ時、ヨネさんと二人でお茶を飲んでいると、ふと話題がマーヤに及んだ。
「マリアンナ様はね、小ぃさな頃からお世話させていただいでます」
“マリアンナ”――それがマーヤの本名だった。
「ほんに、ええ子でねぇ。
わだすのことも“ヨネばぁ、ヨネばぁ”って呼んでくれて、本当の孫みてぇに思える時もあんだわ。
ほんに優しい子でねぇ、わたすらや領民にも分け隔てなく接してくれる子です。」
ヨネさんは目を細めて懐かしむように語る。
だが、話すうちに、その声は少しずつ沈んでいった。
「……でもね、あのお嬢様が、苦しまねばならん理由なんて、オラにはさっぱりわかりません」
凛人は思わず手を止めた。
「お貴族様のことは、オラのような庶民にはわかりません。
でも、あんなにちいさくて、健気で、人にも優しくできる子が……幸せになれねぇなんて、おかしいですよ」
凛人には何の話かわからない話のようだ。
だが、今ヨネさんが話しているのは、とても大事な話に思えた。
ヨネさんは、ぎゅっと手を握りしめ、ぽつぽつと、絞り出すように言葉を続けた。
「……お嬢様が背負わなきゃなんねぇ責任なんて、ほんとは、何一つないんです。
あんなに、あんなに優しい子に……」
声はだんだんと独り言のようになり、ついには下を向いて沈黙した。
(……)
「申し訳ねです。
わだすが口出しちゃいけねぇことでした。……忘れでください」
ヨネさんはそう言って、無理に笑って立ち上がり、静かに去っていった。
残された凛人は、湯気の消えかけた茶を見つめたまま、なにも言えずにいた。
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