第13話 温度と湿度と漢のサーガ

気がつけば、ガレリオ邸での生活も三日目。

初日は緊張で肩がこわばっていた凛人だが、今では庭を散歩したり、書斎で古書をめくったりするのがすっかり日課になっていた。




最初はよくわからなかった神韻魔法やこちらの世界のこともわかってきた。



そんな穏やかな時間が増えるなかで、新たな訪問者が現れた。


マーヤの弟、カイル。九歳の少年だ。


姉と同じ赤みがかった癖のある髪に整った顔立ち、利発そうな目。


そして何より――元気で生意気なガキンチョである。


「お前がリントってやつだな?

 姉様から聞いてるぞ。ヘンな音鳴らしてるんだってな」


初対面からこれである。


だが、人懐っこい笑顔に満ちたその顔は、嫌な感じがまるでしない。


(こういう、人をいじっても嫌味にならないやつって、どこの世界でも最強の“人たらし”だよな……)


(ガレリオもマーヤもそうだけど、貴族様ってスペック高すぎじゃない?)


そんな凛人の思考をよそに、ガレリオが笑みを浮かべて言った。


「お主が貴族でも領民でもないからこそ、カイルも気楽に接するのだろう。

 子どもというのは、立場に敏感だからのう」


「……そんなもんなんですかね」


カイルは凛人とガレリオの会話にも平然と割り込んできては、からかい、笑いながら逃げていく。


二日目には凛人の背中に乗ってくるようになった。


(……急に弟か甥ができたみたいだな)


ちょっとウザい。でも憎めない。かわいいもんだ。


馬の後ろに乗せてくれた青年・リオもたまに顔を出しては、その様子を見て笑う。


「リントさん、カイル坊ちゃんにも懐かれてるネ〜」


“も?”ってなんだ、“も”って。


妙に気になる。

まるで他の誰かにも懐かれているようじゃないか!?

期待させるな!


* * *


マーヤは日が暮れると城へ戻ってくる。


駐屯地での宿泊もあるが、野営には準備も危険も伴う。


疲れを取ることを考えれば、1〜2時間かけてでも戻ってくる方が効率的なのだろう。


その夜、マーヤはカイルとともに客室にやってきた。


「今日は、転移のこと、何か分かった?」


「ガレリオじいさんと、いろいろ話してみたんだけど――」


凛人は記憶をたぐりながら、これまでの出来事を整理していった。


「……“聖遺物”ってのがあるんだよな?」


「ええ。

 お祖父様は、それが“リントの世界から来た物”じゃないかって仰ってたわ」


「そう。

 オレが“あるべき場所に帰る”神韻魔法で、ユル=ノトと共にこの世界に来てしまったように……

 オレの世界から転移してきたとされる聖遺物に“帰還”の神韻魔法を使えば――」


ガレリオとの話の中で、一つの仮説が生まれていた。


今までの出来事すべてが、その可能性を裏付けている。


「……もしかしたら、オレは、元の世界に帰れるかもしれない!」

希望というにはまだ遠く、それでも確かに“道筋”が見えた気がした。


マーヤは少し黙って、膝の上で指を組んだ。


視線を落とし、言葉を選んでいる。


すると、カイルがぽつりと呟いた。


「リント、帰っちゃうの?」


その声には、驚きよりもほんの少し――寂しさが混じっていた。


「……ま、自分がいるべき場所ってのは、誰にでもあるからさ。

 いつかきっと、そこに帰る日が来るんだよ」


そう言って、カイルの頭をくしゃっと撫でる。


「でもリント、やっとエルセリア語ちょっと覚えはじめたのにぃ〜!」


――そう。凛人はエルセリア語を学んでいるのだ!


ガレリオ、ヨネさん、そしてこのカイルから教わりながら、少しずつ。


「えっ?

 エルセリア語を!?」


マーヤが目を丸くし、次の瞬間、ぱぁっと顔を明るくした。


「そうなんだよ!

 姉様、リントすっごく頑張っててさっ!」


「へぇ……やるじゃない。

 ……ちょっと見直した」


マーヤは凛人を褒めすぎないように言葉を選んだように見える。


「オレだって、ずっと受け身でいるわけじゃないからな。

 今は何もできないなら、今できることを探して、自分の手で運命を切り拓かなきゃって思ってさ」


元の世界でも思っていたこと。


けれどこの世界に来て、それを本当に痛感した。


ただ文句を言ってるだけじゃ、何も変わらない。


マーヤの視線が、少しだけ変わったような気がした――そのとき。


カイルが感心したようにぽつりと呟いた。


「さっきの元の世界に帰る話のときより、ずっと真剣な顔してたよ。


……メイドたちのハーレム?ってやつの作り方、お祖父様に聞いてたときなんて――」


「…………」


「………………」


その瞬間、部屋の室温が体感で4度ほど下がった。


湿度は120%に跳ね上がった気がする。


……さっきまで、どこか嬉しそうに見えていたのに。


マーヤが、湿気をまとったような目で凛人を見ている。


このまま見つめられ続けたら、カビが生えそうだ。


凛人は、今動いたら死ぬと思っているように微動だにしない。


「ふぅ……」


マーヤが小さく息を吐く。


気持ちを切り替えるのかと思った、その瞬間。


最大級の軽蔑を込めた目で、ひとこと。


「キモッ……」


それだけを言い残して、マーヤはひらりと部屋を出ていった。


カイルも「なんでぇ……?」と首を傾げながらその後を追う。


凛人は、空っぽになった部屋の中で、ぽつんと立ち尽くしていた。


「……お、オレは悪くない……!

 ……たぶん……」


空っぽになった部屋は、まるで誰も味方がいないことを教えてくるようだった。

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