第八話 選択を突きつける手
レオナ達は草原を歩き続けた。朝のすがすがしい風が、レオナの髪をなびかせる。だが、レオナの気持ちは晴れない。茫然自失のまま、レオナは足だけ動かしていた。レオナの眼前には、橋が佇む。長い橋の向こう側には、砂浜が広がっている。不鮮明ではあるが、白い波しぶきが立っていた。
「あれはホワイトウェーブ湾だな」
「ホワイトウェーブ湾?」
顔を無理矢理上げ、レオナはグリフに問う。海を見たことがないレオナにとっては、湾など想像がつかない、絵本の中の物のようだ。
「そこには海という、川よりずっと広い水が広がっているのだ。その向こうには、沢山の島がある」
グリフは橋の奥を見る。波の音がグリフの耳に入ってきた。まだ見ぬ世界に、レオナの瞳に少しだけ輝きが戻る。
「グリフさんは海を見たことがあるの?」
「あるとも。きっとお前なら腰を抜かすぞ」
冗談めかすグリフに、レオナの声が少し弾んだ。軽くなった足取りで、レオナは橋を渡ろうとする。
「ちょ、ちょっと待て。そんなにはしゃぐと危ないぞ」
レオナはグリフの言葉を聞き。橋の途中で静止する。ふと下を覗き込むと、海水が波打っていた。磯の香りが潮風とともに、レオナに向かって吹き上げてくる。海は見るからに深く、もし橋から落ちたらただでは済まない。
「ひぇぇっ!」
レオナは海から目をそらし、身震いする。虚勢を張ってレオナは平気そうな顔をした。しかし、必死に表情を作るレオナの足元は震えている。
「そんな顔をしても、足が震えているぞ」
「だって、怖いものは怖いもん」
グリフに指摘され、レオナは恥ずかしくなり、そそくさと橋を渡る。グリフは笑いながら、レオナの後をついて行った。
空は晴れ渡り、白い雲が点々とそよいでいる。雲はレオナの視界から消えては現れ、現れてはまた視界の外へと流れていく。足元からは橋を踏みしめる音が延々と続く。
「ねえ、グリフさん。なんかこの橋おかしくない?」
歩いても、歩いても、向こう岸までたどり着かない。進んでいない……というよりは、同じ道を歩き続けているようだ。レオナは足を止める。
「見えないが、誰かの気配がするな」
グリフは背中をかがめ、辺りを見回す。レオナも周囲に冷たい気配が漂うのを感じた。
「誰だ!? 出てこい」
グリフは見えざる敵に向かって吠える。すると、レオナの目の前に人影が浮かび上がった。人影はやがて輪郭を形作り、全貌をあらわにする。レオナはその姿に見覚えがあった。青肌に赤いベスト。一本を残してオールバックにしてある白髪。先刻、プルパの森で会った悪魔だ。
「ヌッフッフッフ。よくぞ見破ったな! それでこそ倒しがいがあるものよ……なんてセリフ、一度でもいいから言ってみたかったんだよネ」
デイビーは自信満々に笑う。グリフは呆気に取られて調子が狂う。
「アンタらは生きてこの橋からは出られないぜ。へへ……」
グリフの背後にダミアンが現れる。グリフすぐさま後ずさった。二人は完全に、悪魔の兄弟に包囲されている。
「ニッヒヒヒ。おマヌケな一行よ。今日という今日はサイバイ……じゃなくてセイバイしてやる!」
「恨むなら自分の使命を恨むんだな。トンガリ帽子」
デイビーは手を振り上げ、氷を作り出す。魔法を見るなり、レオナの顔に恐怖が浮かんだ。筆箒を落とし、レオナは逃げ腰になる。
「ウッヒッヒ、オレ様のデイビー様特製アイスジェラートで、氷漬けになってしまえ!」
デイビーは一斉に氷を放出した。氷は雹のように橋目掛けて降り注いで来る。以前とは違い、氷は橋に命中した。氷は橋を飲み込み、柱を作り出す。デイビーは本気だ。だが、レオナは瞳を震わせ、筆箒を取ろうとしない。
「レオナ、どうした!? 魔法を使わぬと、氷漬けにされてしまうぞ!」
グリフの声がレオナの耳元に響く。自分を奮い立たせてレオナは筆箒を取るが、その手は今にもすり抜けてしまいそうだ。魔法を使おうとすると、瓦礫と化した村がレオナの脳裏に浮かぶ。その隙をつき、ダミアンはレオナとの距離を一気に詰める。
「させないぞっ」
グリフはさせまいと、ダミアンに飛びかかった。しかし、ダミアンの体はグリフの爪が触れた瞬間、霧のように消えてしまう。霧は巨大な手に変形し、グリフをつかんだ。
「なっ!? 離せ!」
グリフはもがくが、不思議なことに霧で出来ているはずの手はびくともしない。レオナは怯えた目でその光景を見ていた。あの時と同じ状況に、レオナの胸が苦しくなる。ダミアンは不気味に笑い、霧の手でグリフを締め上げた。
「さあ、どうするガキンチョ? 次の一手を考えねぇと、このおっさんの背骨が折れるぜ」
グリフの骨が軋む。突きつけられた選択に、レオナは怯えるしかなかった。グリフの苦しみの声が、レオナの耳を揺さぶる。ダミアンは表情一つ変えず、霧の力を強めた。レオナの言葉が喉元でつっかえる。
「に、兄ちゃん。さすがにそれはやりすぎじゃあ……」
デイビーは攻撃の手を止める。だが、ダミアンはグリフを離そうとしない。ダミアンはただ、グリフを締め上げながらレオナの答えを待っていた。レオナは筆箒を持ったまま、後退りする。
「レオナ、逃げろ! コイツは本気でお前を殺す気だ!」
苦し紛れにグリフが叫ぶ。その声も霧の手に握り潰された。このままではあの時と同じだ。レオナの目頭が熱くなる。筆箒を握り、レオナは一歩を踏み締めた。気持ちを落ち着かせ、レオナはゆっくりと呼吸する。大気がざわつき、レオナのマントがはためいた。筆先が水色に変色し、冷気の風が広がる。デイビーをも身震いさせる風は霧の手を吹き抜け、一瞬で凍て付かせた。凍った霧の手が砕け散り、グリフは解放される。ダミアンは水色に染まった筆箒を見ると、僅かに目元を上げた。
「ヘッ、やるじゃねぇか。そうこなくちゃ面白くねぇ」
「あーっ! オレ様の必殺技を真似するんじゃない! オレ様の技はもっとグレートなんだぞ!」
デイビーは憤慨し、大きな氷の塊を作り出す。両手で氷塊を持ち上げ、デイビーはレオナ目掛けて投げ飛ばした。レオナは一歩も退かず、筆先を赤色に変化させて炎を撃ち出す。両者はぶつかり、空中で水蒸気を上げた。
「ぬあにぉう!? こしゃくな!」
デイビーは更に巨大な氷塊を作り出す。氷山のような塊はデイビーの頭上にのしかかる。デイビーは両手で持ち上げようとするが、重さで橋板が崩壊した。
「なっ!? おわーっ!」
「うわああぁーっ!」
デイビーは氷の塊を持ったまま、真っ逆さまに川へと落ちていく。大きな悲鳴が、水しぶきの音にかき消されていった。レオナも筆箒を持ったまま、空中に放り出される。白い水飛沫が、レオナを引き摺り込もうと手を伸ばす。
「レオナ!」
グリフが翼を広げ、レオナを背に乗せた。レオナは羽毛の感触が伝わるなり、グリフにしがみついた。グリフは羽ばたき、橋の対岸まで舞い上がる。地上に足をつけると、グリフはレオナを下ろした。
「あらあら、泳げないのに水に飛び込んじまうなんて、よっぽど水火を踏むような状況だったんだな」
ダミアンはため息をつき、橋の下を覗き込む。レオナは顔に付いた水滴を払い、すぐさま筆箒を構えた。
「おお、怖い怖い。そんな顔すんなよ。ここは一旦アンタとの勝負はお預けさ」
ダミアンは気怠げに笑い、両手を上げる。だが、鋭い瞳は笑っていない。グリフも警戒しながら、レオナの側で身構えた。
「そんじゃ、俺は可愛い弟を引き上げに行くぜ。縁があったらまた会おうな」
「待って! 君達の目的は一体何なんだ?」
レオナは翼を広げるダミアンを引き止める。
「言っただろ? 俺達はアンタらのお邪魔虫だぜ」
ダミアンは砕けた態度を変えようとしない。レオナの目は依然と真剣だ。
「それだけ? 本当にそれが目的なの?」
「俺は難しい事は嫌いな性分でね。アンタがどんな大層な理由を考えても、俺はその為だけに邪魔してるんだ」
ダミアンは羽ばたき、蜃気楼のように海の向こうへと消えていく。腑に落ちない様子で、レオナは崩れ落ちた橋を見つめていた。騒がしい兄弟がいなくなると、橋の上には静かな波音が響くだけだ。
「食えない奴らだな」
グリフはため息をつく。一度ならず二度までも、レオナの前に立ち塞がる二人。彼らは一体何者なのだろう。敵か味方か、それすらレオナには分からない。
「でも、きっとあの人達は好きで僕達を邪魔しているわけじゃないよ」
「奴らの目的は何にせよ、吾輩は魔王を止めに行くしかない。気を取り直していくぞ」
グリフは大きく伸びをして歩いて行く。レオナもほどけた胸元のリボンを結び直し、歩き始めた。波音が次第に近くなる。果てしない大海原を想像しながら、レオナは歩き続けた。
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