51話【寝食を共に】

ーーーマリエッタ視点ーーー


どうしてこうなったのかしら。今の状況を考えたくないわ。無心になって悟られないようにするしかないわ。そうするしかない…!



【語り部】

ラーメンでの一件の後、トウマに無事追いついたマリエッタはそのままジョゼの家へと向かっていった。トウマはまた手を握りたがり、マリエッタは恥ずかしながらも受け入れた。その道中を見た者はさも恋人同士の様な光景には見えない。姉と弟が仲良く手を繋いで帰っている様に見える。だが、邪な心を持った者は今からホテルかお互いのどちらかの家へと向かい朝を迎えるかと思う者もいるかもしれないが。だが、スラム街ではトウマを知らない者はいない。誰しもトウマを見かけたら手を振って挨拶するし、ベランダ越しでトウマを見かけたらわざわざ声をかけるご婦人もいる。そのトウマのキャラクターを知っているから、横に女性が居ても邪な事が起こるかもしれないと思う者はトウマを知らないモグリだ。だが、誰しもが噂はする。あの女性は誰なのかと。トウマの事は知っていても、マリエッタの事を知るものはごく稀だ。それはトウマに姉がいるという、アイカの存在は大半は知らないと受け取れる。トウマだけがこの新生ガリア国家では有名人だという事だ。

さて、そんな彼らはジョゼの家へと帰宅をした。その一部始終を見て頂こう。


「お前! いきなり出ていって何やってるんだ! 椅子も転がしやがって!」

「ごめんなさい。ちょっと戸惑って」

「お、おう。なんかお前、どうした? 気でも触れたか?」

「いつも通りだ。源さんにも言われた。何も変わらない」

「そうか…。わかった。…お嬢ちゃん、なんだ。何があった」

「えっと、ただ私の事をお姉ちゃんと認識しなくなってから、ああなりまして」

「何だって…? ん〜。まぁ、良い事か。ふらふらしないで歩いているようだし」

「あ、それ思いました。でも、甘えん坊なのは変わらないですよ。あの…手を握りたいって言うもので」

「ん? それくらい減るもんじゃないだろ。構わないよな?」

「え? 減る…いや、そうですね。減らないですね」

「ああ。まぁ、今日は遅くなってこっちもトウマが変な事して申し訳ないから泊まっていけ。風呂とか色々案内する」


この様にトウマの異変にいち早く察知するジョゼだが、彼の中での移り変わりを正確に見抜く事はできなかった。そうしてマリエッタは寝る準備を進めて客室を用意されて、そこのベッドで寝ようとした、だが、客室の扉が承諾も何も無くガチャリといきなり扉が開いた。マリエッタはその瞬間もう誰が来たのかは予想は出来ていたが、それでも淑女の部屋をノック無しで開ける事実に驚愕をして体を固めてしまった。トウマは遠慮は何も無く、一言だけ一緒に寝たいと言ってから彼女が横になっているベッドに潜り込んできた。彼女は流石にそれはマズイと思って両の手で必死の抵抗をする事ができた。だが、彼の体の力に微塵も逆らえずにトウマはマリエッタの真横に陣取っている。そしてすぐにトウマの寝息が聞こえた。一瞬にして眠ってしまったのだ。マリエッタはトウマをジョゼさんに運んでもらうか悩む。だが夜も遅い。ジョゼさんは既に寝ている事だろう。だから、マリエッタは硬直しながら寝る羽目になったのだ。



ーーーマリエッタ視点ーーー


彼の事を子供だと思ったら愛おしく思えてきたマリエッタは彼の方へと寝返りをうつ。トウマはこちら側を向いて寝ていた。呆けた顔が似合う彼の寝顔は実に可愛らしい。自分がさっきまで思っていた考えが吹っ飛ぶ。だから、つい彼の顔を撫でるように触ってしまう。反応は何も返ってこないが今のこの状態では嬉しい。あたしはつい感想を口にこぼす。


「何の夢を見ているのかな。見ていないのかな。純粋な顔して」


私は彼の顔を撫でるのを止めて次に頭を撫でる。ゆっくりと撫でる。彼が起きないように。もしかしたら、彼のお姉ちゃんと楽しい夢を見ているかもしれないから。その邪魔をしないように、頭を撫でてお姉ちゃんとの一時を助長したい気持ちと、私が自分の欲望に負けて彼の事を触りたいと思う気持ちを併せ持って。


ふと、その事を考えていたからライラの事を思い出す。そして、ユーリィ様達の事も。私は今の今まで何も連絡はしていない。慌てる心を指先に伝染させない様にして彼の頭から手を離して、ゆっくりとベッドから身を起き上がらせて立ち上がる。ベッド近くの小机の上に置いてあるフォーカスを耳にはめる。そしてこの部屋にはリビングがあるから窓をゆっくりと開けて入り閉じて、解放されたエリアへと身を置く。その先の光景は綺麗とは言えず、建物もそこまで点在していないから一面を埋め尽くしていた固い灰色の地面が広がる。私はレーヴンさんから教えて頂いた通りフォーカスの通信機能を起動させる為に手を添えて前へとスライドさせる。


だが、何も反応は返ってこなかった。最初は私のやり方が辿々しいものだったから駄目なのかと思い、もう一度同じ動作を繰り返す。だけど結果は同じだった。どうしてなのか理由がわからない。私は焦るけど出来ないものは出来ない。だから、しょうがないから今日は諦めた。私は再びリビングの窓をゆっくり開けて入り閉じる。彼は寝たままの背中が見える。彼の背中を見てまた愛おしい感情が戻ってきた。私はフォーカスを外して小机の上に戻し、またゆっくりとベッドの所定位置へと戻り、今度は恥ずかしいから彼に背を向けて眠る体制へと戻った。そして私はゆっくりと眠りへと向かっていく感覚に逆らわず身を委ねた。


私は寝覚めの良い方で朝日が昇るタイミングで目を開けた。メイド業のお陰で体内時計は正確だ。ビックリしたのが惑星間の時間軸が違くても対応できた。ソレイユ号の時でもそう。この体が朝のしなくてはいけないルーティンを欲しているのがわかる。私はどんな所へ行ってもメイド業に似た仕事が相応しい。特に大人数だったとしても朝の食事の準備をできる仕事くらいが良いだろう。


私は彼の方へと体を寝返る。彼はまだ寝ていた。可愛い寝顔が崩壊して、ヨダレを枕に垂らしている。それを見て私はホッとした。それは何も緊張はしていなくてリラックスしていると受け取れた。私は嬉しかった。それを見て私は確信してしまった。ちょっと前からうっすらと思えていたけど。


私は彼の事を家族の様に思った。これは恋人とか、その前の段階とか、そう言うものじゃない。ある家庭で妻が夫へと向ける細やかな愛情。私は決して一目惚れはしていない。彼の生い立ちを知って、その前では私と重ねて彼の事を思って、それを経て彼の事を想っている。だけどまだ彼の事をどうにかしようとは思わない。これは恋心の立ち位置に留まった愛情。だからソレイユ号が飛び立つ時には彼とはお別れ。それはしょうがない。彼の今後の事を想ったらこの惑星で幸せに過ごして欲しい。


この愛情は既に失恋している。それを最初からわかっていたから、私は今でも彼の寝顔は愛おしいし、同時に安らかに居て欲しい。私は最初から恐らく最後まで彼には安寧の時代を過ごして欲しいと心から願っていた。私はこの世界が無くなって欲しくないと心の奥底から思う。私が出来る事なら何でもする。だから、元気で幸せで居てねと、早いけど彼への別れを勝手に切り出した。彼が聞こえていないというのに。


私は彼の顔を見るのを止めて、寝巻きのまま出口の扉前で、それを聞こえない様に伝える事にした。彼の気持ちは置いておいて。


「私がいなくなってもそのままでいてね。トウマ」


大好きとも、愛しているとも、そんな言葉は言わないし言えない。それは私も彼もお互いに縛ってしまう言葉だから。私は出口の扉をゆっくりと開けて調理場へと向かった。ちゃんと、扉をゆっくりと閉めて。



ーーートウマ視点ーーー


「私がいなくなってもそのままでいてね。トウマ」


目を閉じたままトウマはマリエッタが閉じた扉の音と共にその言葉を聞いていた。朝には極端に弱いのだが、何故か今日は目覚めが良かった。彼は彼女の視線を感じて心のどこかでむず痒い物を感じ取って目を閉じたままでいた。


私がいなくなってもそのままでいてね。


彼の中でこの言葉を復唱する。目を閉じるのを止めて、目を開けたまま。彼はこの言葉の意味をわかっていた。彼の中で時間が急速に進行していっている。その影響で言葉に宿った意思を感じ取ろうと努力した。


彼は気づいた。


彼にはマリエッタが必要な存在となっていた。それは姉ではなく、何か違う別の存在として。


その存在とは何なのか、彼の中で答えは出なかった。


そして彼はまた目を閉じる。今度は寝るのではなく、また違う何かを考えようとして。

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