第1話 目覚めと決意

目が覚めるたびに、世界は少しずつ鮮明になっていった。


最初は、光と影の区別すらつかず、誰かの顔が近づくだけで泣きたくなるほど不安だった。


けれど、日に日に視界ははっきりし、音も聞き取れるようになっていく。

ここがどういう場所なのか、ぼんやりとでも理解できるようになってきた。


……言葉はまだわからない。

でも、誰がやさしくて、誰が偉そうで、誰がよく笑うか――そういう“雰囲気”だけは、不思議と伝わってくる。


そして何より驚いたのは――


どうやら、けっこう裕福な家に生まれたらしいということだ。


天井は高く、壁には色とりどりの布がかけられている。

机や椅子も装飾が細かく、窓辺には花瓶や水差しが並んでいる。


何人もの大人が入れ替わり立ち替わり世話を焼いてくれる。

……赤ん坊一人に対して、この人数はどう考えても多すぎる。


もちろん、声にはならない。


けれど、前の世界――“優人”だったころの知識が、状況を冷静に分析してくれた。


ここは庶民の家じゃない。

おそらく、貴族。それもかなり高位の家だ。


そんな中、いつもそばにいてくれる人がいた。


年配の女性で、背筋がすっと伸びていて、誰よりもやさしい手をしている。

毎日抱き上げては、やさしく名前を呼んでくれた。


「ふふ……今日はよく目が合うわね、エルヴィン」


祖母。そう呼ぶには確証がなかったけれど、きっとこの世界での“祖母”なのだろう。


エルヴィン。


それが、この世界での俺の名前らしい。

何度もそう呼ばれるうちに、次第にその響きが、自分のものとして馴染んできた。


彼女の笑顔はどこか懐かしくて、でもやっぱり知らない誰かで――

思い出すのは、前の世界で亡くなった“おばあちゃん”のこと。


……あの時、何もできなかった。


無力だった自分が、今も胸の奥で後悔を抱えている。


だからたとえ、いま赤ん坊の体でも。

何かを始めたかった。


もちろん、できることは限られている。

歩けない、喋れない、書けない、調べられない。


誰にも自分の意思を伝えられない、完全な無力。


でも――だからこそ、俺は“観察する”ことから始めた。


まずは、両親のことを。


父は鋭い目元に引き締まった顎、短く切られた髪と、軍人のように正しい姿勢をしていた。

無口で、表情は厳しい。でも、ふとしたときの視線はどこかやさしい。


俺を抱き上げたとき、手が少しだけ震えていた。


「……エルヴィン、元気に育てよ」


その低く響く声に、最初は少し怖さを覚えた。

けれど何度か顔を見ているうちに、ぶっきらぼうなだけだと気づいた。


母は栗色の髪に明るい瞳をした、やわらかい雰囲気の女性だった。

香りも上品で、いつも笑顔で俺に話しかけてくれる。


「今日はごきげんなのね。かわいいわね、エルヴィン」


そんなやさしい言葉にまじって、ある日、母はぽろっとこう言った。


「きっと、おばあさまに似たのね。あの方も、小さい頃から魔力が強かったって言うもの」


――魔力。


その言葉の意味を、そのときの俺はまだ完全には理解していなかった。


けれど、ある日目にした光景で、それが“現実のもの”だと確信した。


祖母が、ロウソクに何も触れずに火を灯したのだ。


手をかざし、何か小さくつぶやいた瞬間――

空中に火花が生まれ、ロウソクに火が灯った。


その光に驚いて目を見開く俺を見て、祖母はくすっと笑った。


「どうしたの、魔法が好きなのかな?」


あれは、この世界で“当たり前”に存在する魔法の一つ。

後に知ったが、それは“生活魔法”と呼ばれるもので、火をつけたり水を出したり、日常生活で使われる小さな魔法だという。


でも――


本当に、魔法があるんだ。


前の世界、科学の時代には絶対にできなかったこと。

それが、この世界では普通に行われている。


心の中で、興奮がこみ上げてきた。


魔法があるなら、それを学べば――


誰かを救う力を、手に入れられるかもしれない。


もちろん、生活魔法でできることは限られている。

人を治す、守る、救う。そんな大きな力には、もっと高度な魔法が必要だろう。


でも、それでいい。今はまだ赤ん坊だ。


焦ることはない。


まずは観察。

観察して、真似して、学ぶ。


祖母や母の呪文、身振り手振り、魔法を使うときの視線や呼吸。


すべてを目と耳と肌で感じ取り、頭に刻み込む。


――人を救うために。

大切な人を、もう二度と失わないために。


この世界に、どんな魔法があるのか。

医療はどう発達しているのか。

自分には何ができるのか。


それを知るためにも、まずは学び続けるしかない。


赤ん坊でも、学べることはある。


むしろ今だからこそ、何の先入観もなくすべてを吸収できる。


かつて“優人”だった俺の記憶と感情は、今の俺――“エルヴィン”を突き動かしてくれる原動力だ。


もう、誰かを失いたくない。

今度こそ、この手で救いたい。


その日のために――

俺は、今できることをやる。

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