第二章 一本道の灯り
バス停でひとり、バスを待つ。
風が吹き抜け、紫陽花の葉がわずかに揺れた。
遠くで鳥が鳴いている。
ここは、美桜が生まれ育った町。
数年前に一度離れた場所。
音楽の夢を追って上京し、何度も転んで、
もがいて、
やっと少しずつ形になり始めたところだった。
けれど、祖母・桜子の体調が
悪化したと聞いたとき、迷わず帰ってきた。
──あのとき、
あのまま上京せずにいれば良かったんじゃないか。
そんな迷いも、一度は胸をよぎった。
けれど、祖母は何も責めなかった。
ただ「美桜は紫陽花のような子だから」と、
微笑んでくれた。
「振り返らずに歩きなさい。
その先に夢の国があるよ。」
その言葉が今も、静かに胸に響いている。
バスがゆっくりと止まり、ドアが開いた。
運転手に軽く会釈して乗り込み、
窓際の席に座る。
見慣れた町の風景が、
少しずつ後ろに流れていく。
やがてバスは丘を下り、
小さな一本道に差し掛かった。
ポツリポツリと等間隔に並ぶ街灯。
薄暗い一本道を、
昔もこうして歩いたことを思い出す。
──あの頃、蘭とよく歩いた道だった。
絵を描くことが好きだった蘭は、
よくこの一本道に腰を下ろしてスケッチしていた。
電柱の影、舗装の割れ目、
誰も見向きもしない景色を、
丁寧に紙の上に閉じ込めていた。
「どうしてこんな何もない道を描くの?」
そう聞いたことがある。
蘭は笑ってこう答えた。
「だって、誰も見てないから。
見過ごされる風景って、
何だか人の心みたいじゃない?
私は、そういうのを描きたいの」
──あれから、会っていない。
帰郷してからも、
蘭にだけはなぜか会いに行けなかった。
自分が夢を追って故郷を出たあの日から、
何かが止まったままだったから。
けれど今、美桜はようやく決めたのだ。
再び歩き始める前に、
どうしても蘭に会っておきたかった。
バスが止まり、ドアが開く。
美桜はゆっくりと立ち上がり、
懐かしい一本道に降り立った。
あの日と同じ街灯の下、足音だけが静かに響く。
歩き出すたびに、
少しずつ胸の奥に積もったままの時間が、
柔らかくほどけていくようだった。
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