第12話 大量の嫌がらせプリント

「じゃあ、あたしやるよ」


 紫苑は愛から包丁を受け取って、にんじんを角切りにする。

 紫苑も慣れているわけでは決してないが、桃子に叩きこまれたのでできないわけではなかった。


 それにしても、と紫苑は隣の愛に目を向ける。

 せめて自分のできることを、と思ったのか、愛は薄力粉とベーキングパウダーをふるいにかけていた。


(包丁苦手なのに、あたしに作業を選ばせてくれたんだ……)

 言葉はきついが、意外と悪い子ではないのかもしれない。


 しばらく無言で、さつまいもとにんじんを角切りにしていく。



 他の机のグループはすでに知り合いだったのか、話が弾んでいるようだった。わいわいとした空気で、赤羽先生と一緒に盛り上がっている。


 対して、紫苑たちの間に流れる空気は冷たい。体の芯から冷えそうだ。

 ちらっと愛を盗み見る。ボウルをふるう愛の目は真剣だ。

(真面目、なんだろうな……)


 だから、人にも厳しくなってしまうのかもしれない。

 もちろん、自分にも。


「ねえ」


 紫苑は、思わず声をかけていた。

 愛は、睫毛をびくりと震わせたあと、こちらを向く。


「何」


 目の奥の尖った光にひるみそうになるが、ここで引き下がったら、一生この人と会話できないような気がする。


「あたし、紫苑っていうんだけど」

「知ってるわ」

「だよね……」


 何から話したらいいか分からなかったので、とりあえず名乗る。あとは、何を訊いたらいいのだろうか。

 若葉先生が一年生だと言っていたので、同い年だろうから……。


「ねえ、もう十六歳になった? あたしは誕生日九月だから、まだ十五歳なんだ~」


 自然に訊けたような気がして、心の中でガッツポーズを決める。そんな紫苑とは裏腹に、愛は冷めた声で答えた。


「もうとっくに十六歳になってる。今、十八だから」

「へえ~。え?」


 今、聞きなれない言葉を聞いた気がする。十八?


 その瞬間、紫苑の顔が真っ青になる。


 

 高校は、義務教育ではない。だから年齢が違うことも当たり前にあり得る。その可能性を考えていなかった。

 もしかしたら、今しがた紫苑は年上に対して物凄く失礼なことを訊いてしまったのかもしれない。

 しかも、タメ口で。



 紫苑が黙ったことにイラついたのか、愛はギロリと紫苑を睨んだ。


「何? なんか文句あんの?」


 人を殺せそうな勢いの眼力に、紫苑は縮み上がる。

 立ったことはないが、断頭台に立ったような気持ちだ。


「ご、ごごごごめんなさい! 違う! 違うの! 年齢にびっくりしたんじゃなくて、知らなかったもんで失礼こいちゃって、その、タメ口とか」


年にびっくりしたわけではなく、年下になれなれしく話しかけられて、気を悪くする人もいるだろう。タメ口で愛を嫌な気持ちにさせたかもしれない、ということを説明すると、愛の纏う空気が少し和らいだような気がした。


「いいわよ、別に。タメ口とか私、気にしないし」

「そっか……良かった……ごめんなさい」


 再度謝罪を口にすると、愛は手近なボウルに、紫苑の計量した砂糖たちと、自分が振るった薄力粉たちを混ぜていく。


「あんまり謝らないで。こっちが調子悪いでしょ」


 言い方こそ尖っていたものの、保健室で最初に会ったときの敵意が薄れていて、紫苑はホッと胸を撫でおろす。



 その後は、生地に具材を混ぜ合わせ、型に入れ、蒸し器で蒸していく。

 その間に一言もしゃべらないのもどうかと思って、紫苑はいろいろ愛に話しかけた。


「ねえ、このあと何の授業に出るの」

「……理科」

「蒸しパン、意外と簡単だったね」

「そうね」

「あ、髪色、可愛いね」

「……え? あ、ありがとう」


 端的な答えに苦笑いしそうになったが、髪の色をほめると、愛は少し頬を染めた。褒められ慣れていないような表情だった。



 蒸しパンはあっという間に蒸し上がり、少し味見をすることになった。


 パクリとカップケーキにかぶりつくと、優しい甘さが口の中に広がった。哀れなにんじんにもちゃんと火が通っている。

「おいひいね」

「……ええ」


 口にものが入ったまま喋った紫苑を見て、愛は初めてクスリと笑った。最初よりも柔らかな空気になっている。


(人と関わるって、距離を縮めるって、こんなに楽しかったんだ……)


 閉鎖的な愛だから余計にそう思うのかもしれない。はたまた、紫苑が引きこもりから脱出する一歩なのか。


 紫苑は達成感で小躍りしたいくらい、うれしくなった。



 そのあとは洗い物と調理器具の片付けを分担して行う。

 作った蒸しパンは小さなカップに八つほどできたので、四つずつ愛と分けて持ち帰ることにした。家に帰ったら桃子や褐平に食べてもらおう。


(母さんも、食べてくれるかな。寝る前に帰ってきてくれたらいいけど)


「じゃあ、これで授業は終わりになります。片付けが終わり次第、教室を出てください」


 赤羽先生の声がかかるころには、片付けが済んでいたので、紫苑と愛は調理室を出る。


「じゃ、またね、愛さん」


 初対面のとき下の名前で呼ぶなと言われたので、今まで名前を呼ばないように気を付けていたつもりだったのに、うっかり口がすべってしまった。その瞬間、血の気がすうっと引く。

 小さく手を振って誤魔化して、数学の教室へ向かおうとする紫苑。


 その腕を、愛がはしっと掴んだ。


「……何ですか」

「……ねえ! 授業、二時間後に終わるわよね?」

「うん。そうだけど」


 紫苑が不思議に思いながらもうなずくと、愛は紫苑の腕を離す。

「分かったわ! 行って」


 愛の鼻息が荒かったのは気のせいだろうか。だが愛がぐいぐいと紫苑の背中を押してくるので、後ろ髪引かれる思いで、一階の教室二へ向かった。


 結局、下の名前で呼んだことを咎められることはなかった。


 愛にビビりまくってすっかり忘れていたが、次は数学だ。数学教師にこの前途中で抜けたことを謝らなければいけない。



 後方の建付けの悪い、塗料が剥げた教室の扉を力いっぱい開ける。

 教室に入って早々、黒板の前に立っていた数学教師とばっちり目が合ってしまった。


 仕方がないので、紫苑は一番前の教卓まで歩いていき、数学教師――水谷先生に、ぼそぼそと告げた。


「あの、この間、授業を途中で抜けてしまった、星名です。その節は、すみませんでした……」

 頭を下げると、水谷先生はニコリともしないで、眼鏡のふちをクイッと押し上げた。


「そうね。出席時間が足りないと単位をあげられないから、課題を出せば出席扱いにしてあげる。でも原則、出席しないとだめよ。あまりあてにしないでね」

「はい……すみません……」


 紫苑は、心の中でさめざめと涙を流した。

 このキツイ語尾。高圧的な雰囲気。やっぱり苦手だ。


 でも今日は、失敗できない。

 と、思って、栄養ドリンクをぶち込んできた。

 

 朝から目はバキバキだ。

 白目を真っ赤に充血させて、水谷先生を見上げると、さすがの彼女も恐れおののいたようだった。


「と、とりあえず、これを六月中にやってきて」

「……」


 どん、と渡されたのは、プリントの山々だった。

 五枚一束ホチキスでまとめられたものが五部。


「あのこれ全部……?」

「ええ。全部。これをやっても二時間分。本授業は今日でいったん終わりだから、足りない二時間分は補習ね。休むとは、そういうことよ」


 やっぱりこの数学教師、嫌いだ。どうしてそうやって人を絶望させることしかできないのか。


 心の中で散々ブーイングしながらプリントを受け取り、席につく。


「それじゃあ、時間になったので始めます――」


 鬼のような水谷を前にしても、紫苑と授業を一緒に受ける生徒たちは全く動じない。


 左隣の男子生徒は、合図の瞬間大口を開けてあくびをし、机に突っ伏した。

 右隣の女子生徒は、持ち込んできたタブレットに絵なんか描いている。


 紫苑は渋々ノートを取り出し、黒板の板書を始めた。



 青春を送りたいと思うならば、まず努力だろう。

 馬鹿真面目でもいい。青春を送るために精一杯やったという自負と自信が、紫苑には必要だった。


(まあ、水谷に怒られるのが嫌だっていうのが、一番の理由だけどね)

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