第11話 じいちゃんごめんなさい

 部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。


(誰も、理解してくれない)


 ついこう思ってしまってから、悲劇のヒロイン面した自分が嫌になる。



 こういうときは、推しを見るに限る。


 ありしゃは、家族と喧嘩したり、上手くいかなかったりしたときの救世主だ。

 パワフルでキュートなパフォーマンスは、一瞬で嫌なことを忘れさせてくれる。

 ウインクにどきりとしたり、歌声に魅了されたりと、目も耳も幸福だ。


 ありしゃの推しポイントは、まずなんと言っても三十歳とは思えない美貌だろう。下手をすれば、そこらへんの二十代前半よりも若いのではないか。顔が紫苑の好みど真ん中なのだ。

 そして何より性格が良い。礼儀正しいし、インカラのメンバーにも常に気を配れる。

 これ以上の推しはいない。



「ありしゃ。あたし、どうすれば良いと思う?」


 スマホのホーム画面に向かって話しかける紫苑を、どうかキモイと思わないで欲しい。ありしゃは紫苑の心の支えなのだ。



「そうだなあ。紫苑は紫苑のままでいいと思うぞ」


 部屋の扉の向こうから、しわがれた声がする。


 こんなのありしゃの声ではない。


 紫苑はキッと扉を睨む。この声の主は、絶対に褐平だ。


「じいちゃん? どうしたの?」


 食事のときはだんまりを決め込んでいた褐平が、一体どうしたのだろうか。紫苑が黙っていると、褐平が少し部屋のドアを開けた。

 そのまま褐平を部屋に招きいれ、勉強机の椅子に座らせた。

 紫苑はベッドに腰掛ける。


 すると、褐平は紫苑に、べっこう飴を握らせてくれた。

 それが好物の飴だったため、紫苑は心の中で涙を流した。

(じいちゃん。前に、じいちゃんのことくそじじいとか思ってごめんなさい……)


「紫苑。さっきのばあちゃんと母さんが言った言葉が、気にかかってるんだろ」


 穏やかな声で語りだした褐平に、紫苑は素直にうなずく。

「そうだよ。あたしはこれでも悩んでるのに。みんなと同じ、で片付けられたから、嫌な気持ちになった」


 紫苑の言葉に、褐平は目尻のしわを深くした。


「紫苑。だが紫苑は、みんなと違うから、悩んでいるんだよなぁ。みんなと違う、で悩んでいるのに、みんな同じ、って言われると、嫌な気分になる」


 褐平の言葉は、嫌に核心をついていた。この矛盾は、紫苑の歪んだプライドがそうさせるのだろう。

 どうしてみんなと同じ青春が送れないの、と悩んでいた劣等感が、「あたしはみんなと違うんだ」とそっくりそのままプライドに変化した。だから同じだと指摘されると反発してしまう。


 鋭い指摘に紫苑が黙っていると、褐平は椅子から立ち上がる。

 そのまま扉を開き、部屋から出ていこうとする。

 そして振り向きざま、扉から半分顔を出してこう言った。


「だから、紅里たちは紫苑に言ったんだ。『紫苑はそこまで違わないから、大丈夫だよ』と。あの人たちなりの慰めだから、あまり責めないでやってな」


 パタン、と柔らかく扉が閉まる。

 紫苑はぼうぜんとしていた。


 褐平は、紫苑に同情し矛盾を気づかせた上で、桃子と紅里のことも擁護した。

 普段はマイペースに見える褐平だが、この家で一番大人なのも、褐平なのかもしれない。


「でもねえ……」


 褐平に気持ちが伝わったことがうれしい半分、なぜか腑に落ちない。それは、褐平が中立の立場だからだろう。

 完全に紫苑の味方をしてくれるわけではない。

 褐平には、桃子や紅里の気持ちも分かるからだ。


「うわあ……」


 答えの出ない問題に直面し、紫苑は頭を抱えた。



***



 その後の平日も、四時半に優斗の体力指導を受け、金曜日がやってきた。

 毎日公園で会う優斗は、心なしか元気がなさそうだった。

 それも気になったが、それより金曜日だ。

 そう、金曜日だ。

 学校だ。


 朝から気分がダダ下がりだった。

 

 今日は、家庭科と、数学。


 数学教師に会うのが死ぬほど嫌だが、逃げるわけにもいかない。


 今日も、九時から始まる授業に合わせて、登校した。



 最初の二時間は、家庭科だ。「幼児の間食」と題し、蒸しパンを作るそうだ。



 校内の二階、階段を上ると図書室のように、本棚と畳のスペースがホールのように広がっている。図書室を中心に右、左と廊下がのびていて、右が保健室、左が調理室だ。今日は調理室でスクーリングを受けるのだ。


 調理室は、蛇口とシンクがついた大きな黒机の周りに丸椅子が並び、それが等間隔に三つある。

 その机と対面する黒板の前に、家庭科教師が準備をしていた。


「こんにちは。好きなところ、座ってください」


 調理室の扉の前に立ち尽くす紫苑に、四十代くらいの優しげな女性教師が促す。


 机は前列二つに先客が三人ずついて、それぞれ男子と女子で別れ、埋まっていた。


 紫苑は教師に頭を下げて、後列の丸椅子に座った。


「一、二、三、四……」


 紫苑が座るなり、教師が生徒の数を数え、ニコリと笑った。


「じゃあ、始めましょうか。わたしは、家庭科を担当しています、赤羽です。今日は、蒸しパンを作ります」

 赤羽先生が、幼児の間食について大切なことを授業しているとき、


「すみません、遅れました」


 前方の扉から堂々と、謝罪の声が聞こえる。

 調理室の全員が声のした方を向くと……青みがかった髪を肩で切りそろえた、赤ぶち眼鏡の女子生徒が、息を切らして立っていた。


(うぁ愛さん⁉)


 紫苑は叫びそうになったのを、すんでのところで我慢する。


「あらあら、授業始まってますよ。早く席について」

「はい。すみません」

 促した赤羽先生に再度謝罪し、愛は席に着こうと教室を突っ切る……紫苑の方へ。


(いや何で来るかな……? 分かってるよ? 机、あたしのところしか空いてないもんね?)


 紫苑はなるべく愛を凝視しないように目を逸らすが、背中にたらたらと冷や汗が伝っているのが分かった。


 愛が紫苑の隣の席に着くと、赤羽先生が口を開く。


「はい。じゃあ、机ごとにこれから蒸しパンを作ってもらいます。作業を分担しながらやってください」


(……うん。嫌な予感はしてた。あたしこれから、愛さんと一緒に作業するんだね、二人きりで)

 紫苑は絶望に似たものを感じながら、先生の言葉にうなずいた。


 初対面であんな暴言を吐かれておいて、何事もなかったように接することなんて、できるだろうか。


 紫苑がそんなことを考えている間に、愛はスッと立ち上がり、砂糖やらサラダ油やらを机に持ってくる。


「ねえ」

「はいっ!」


 話しかけられた。ちらりと愛の様子をうかがうと、彼女の眼鏡の奥の目が、不機嫌そうにちらりと光る。


「……なんでしょうか」

「今から砂糖と油を計量するのと、さつまいもとか、にんじんを刻むの。どっちやりたい?」

「あ……じゃあ、計量します」


 とっさに楽な方を選ぶ自分の怠慢さが、情けない。

「分かった。じゃ」


 愛はボウルを押し付けてくる。紫苑はそれを受け取った。


 秤とにらめっこしながらグラムを測り、再び愛の様子をうかがう。


 すると、愛は目を泳がせながら、ブルブルと手を震わせて包丁を持っていた。その包丁は不器用にもスパーン! と大きな音を立ててまな板に振り下ろされ、にんじじんを真っ二つにかち割る。

 スポーンと飛んでいったにんじんが哀れに見えたのは、気のせいだろうか。


 紫苑は飛んでいったにんじんを慌てて広い、愛に渡す。


「もしかして、包丁苦手?」


 顔を覗き込むと、愛はバツが悪そうに小さくうなずいた。


 

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