第52話マイヒーロー

「オルコット、ずいぶんと勝手なことをしてくれたな」


 コリンは、ウンウンとうめきながら体勢を整えようとしている叔父を見おろしつつ言った。


 その冷たく低い声は、王宮のときと同様ゾッとさせるものがある。


「貴様は、大切な妻子を傷つけた。その代償は高いぞ。貴様の借金よりもはるかにな」


 コリンは、問答無用で鞭を振り上げた。


「ひいいいっ」


 それに気がついた叔父は、腰を抜かしたようにズリズリと廊下を這うようにして逃げようとしている。


「貴様が愛する妻にやってきたことだ。妻が味あわせてくれたのと同じ痛み、苦しみをくれてやる」

「コリン」


 たまりかねて彼の名を叫んでいた。その叫びに、「ビュッ」と鞭が空を切る音が重なった。


「ゆ、許してくれ。許してくれ」


 叔父は、廊下にはいつくばって許しを乞うていた。


 コリンの鞭は、叔父を傷つけはしなかった。鞭は、鋭く空を切っただけだった。


 子どもの頃からわたしを鞭打ち、傷つけてきた叔父は、ほんとうにろくでなしだった。そして、ほんとうに弱かった。


 恐怖と傷みに堪えながら鞭打たれていたわたしの方が、ずっとずっと強かった。



 あの夜、コリンはわたしに言った。「きみのろくでなしの叔父一家に会うようなことがあったら、おれはなにをしでかすかわからない。理性を保つことは出来ないだろう」、と。もしもそういうことがあったら、短気な彼らしく叔父を殴ったり蹴ったりして暴力行為に及ぶのではないかと思っていた。


 だけど、実際は違った。彼は、紳士だった。鞭でぶつふりをしただけだった。そして、最終的には叔父一家と書斎で話をしていた。それが終ると、叔父一家は逃げるようにして去って行った。


 三人ともわたしを見ることもなく、ほんとうにそそくさと去って行った。


 書斎での話には参加しなかった。


「きみの夫として、代理で話をする」


 彼は、そう言ったのである。だから、彼にすべてを任せた。


 彼の妻として、そうすべきだと思ったから。


 コリンとバーナードが話をしている間、子どもたちとクレイグと待っていた。


 料理人役のカイルが焼いてくれたクッキーとホットミルクを飲みながら。


「ミヨ、彼らはもう二度ときみの前に現れない。オルコット男爵家の屋敷からも出て行く」


 コリンとバーナードが居間にやって来た。


 わたしにそのように告げたのは、バーナードである。


「きみはすでに成人していて、自分で生活出来るだけの能力がある。遺産の運用、日々の生活、仕事だって出来ているし、自分の意思で何でも出来る。後見人など必要ない。だから、きみの叔父は後見人ではなくなった。ということは、きみの屋敷に居座ることが出来ない」

「あ……」


 バーナードの説明に、それしか出てこなかった。


 もしかして、わたしってかんじんなことを失念していた?


 もしかして、成人になった時点で叔父一家を追いだせたわけ?


 実際のところは、手続きやら証明やらが必要でしょう。だから、そうすんなりといくわけではない。


 いずれにせよ、わたしってバカだわ。


 この数年を返してって、いままでのわたしに声を大にして言いたい。


「きみは、ほんとうに目が離せないな。『トラブル量産レディ』ってやつだ」

「失礼ね、コリン。トラブルを招くのとうっかりさんとは意味が違うわよ」


 コリンに噛みつくと、彼は苦笑した。


「だけど、それで叔父たちがよく納得したわね」


 ど厚かましい叔父たちが、それでよくひきさがったものだわ。


「そこはほら、駆け引きというやつだ。あるいは脅し、というものかもしれないが」


 コリンは、視線を合わせたまま嘯く。


 駆け引きにしろ脅しにしろ、あの叔父一家を納得させただなんて、よほどのことがあったのね。


 内容を知りたいとは思わない。コリンも気軽には教えてはくれないでしょうから。


 とりあえず、叔父一家がいなくなる。


 それだけでいい。


 確実に言えることは、コリンは信頼出来る。だから、彼がそう言うのなら間違いない。


「コリン、ありがとう」


 だから、素直にお礼を言った。


「どういたしまして」


 彼は、意外にも素直に謝辞を受け取ってくれた。


「そうだわ。ノーラ。あなた、声が、言葉が出たわよね」


 隣に座っているノーラに尋ねると、彼女はキョトンとした。


「思い出したの。さっきだけじゃない。サザーランド伯爵に鞭でぶたれたときも、ヘンリーといっしょに止めに入ってくれたわよね? そのときも『やめて』って叫んでいたわ」

「そうだよ。そうだよ、ノーラ。ぼくもきいた」


 ヘンリーが自分のお気に入りの席から飛んできた。


 そう。さきほども叔父に鞭でぶたれそうになったとき、ノーラは「やめて」と叫んだのだ。


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