第2話 前半 魔法開花儀式 ①
ゆらゆらと揺れる馬車の中、ラリンヤは窓の外に広がるドミュウシガ王国の城下町の光景を見つめ、目を輝かせていた。
あちこちに店が並び、人々はにぎやかに暮らしている。魔法はこの街の生活に当たり前のように溶け込んでいて、なくても生きてはいけるけれど、その便利さは、この光景を見ればすぐにわかる。
ある者は豚肉を焼くために火を灯し、またある者は、重たい台車を軽々と動かしていた。
魔法が使えない者のほうが多いこの世界。けれど、魔法が使えないからといって、魔法を操る者たちに見下されることはない。彼らは互いを認め合い、穏やかに共に生きている。
馬車が石畳の道を静かに揺れながら進んでいくと、やがて、城下町の中心にある大きな噴水が姿を現す。そのふもとでは、子どもたちが輪になって座り、にこにこと笑い合いながら、小さな手で花冠を編んでいる。
「魔法が使えなかったら、花園でもやろうかな」
「それ、すごく素敵だと思います」
この国の人々は、女でも男でも、皆、花を愛している。小さなこの国には、果てしない花畑と、丁寧に手入れされた花園が広がっている。さまざまな種類の花が咲き、季節を問わず、どの花も色鮮やかに咲き続けている。ほかの土地では育たないはずの花さえも、ここでは自然に咲き誇る。不思議な国だ。
「お花はこんなに素敵なのに、どうして外の人は、この国を悪く言うのかな?」
「……そのようなこと、どなたからお聞きになったのですか?」
「前に、外のお客さんがうちに来たときに言ってたの。“こんな弱い国に遠征を断られたところで、何の問題もない”って」
「あぁ…」
ジュリアは戸惑いながら、口を開く。
「……実は、そうなんです。この国、ドミュウシガ王国には、花以外にこれといったものがありません。理由は分かりませんが、ここで生まれた人々は、体力も魔法の力も、どこか控えめで……魔法が使える人たちも、せいぜい生活魔法か、お花に関するものばかりなんです。」
ラリンヤは、小さく息を吐いてつぶやく。
「外の人たちって、どうしてあんなに自信たっぷりなのかしら。魔法の強さだけで人を判断するなんて、傲慢だと思う」
街のあちこちで色とりどりの花が咲き、通り全体が花で飾られているように見える。人々も花を身につけて歩いていて、服の模様や髪飾りに、小さな一輪がそっと添えられている。どの通りにも花が咲きこぼれていて、この国全体がやさしい彩りに満ちている。
外の国から来た人がこの景色を見れば、きっとこう思う。まるで妖精の国に迷い込んでしまったかのようだ、と。
「お花の美しさすら分からない人たちは、無理に相手にする必要はないわ」
ラリンヤはそう言って、そっぽを向くように鼻を鳴らした。その態度はあまり褒められたものではないと、咄嗟に注意しかけたが、まだ幼いのだと思うと、ジュリアはつい甘くなってしまう。
シャナトル伯爵家の屋敷を出て馬車で二時間。街を抜けると、遠くに花畑の広がる丘が見えてくる。その頂には、小さな教会が静かに佇んでいる。
しばらくして、前方から御者の声が聞こえてくる。
「お嬢様、到着いたしました」
馬車はゆっくりと教会の前に停まり、後ろから馬で付き従っていた護衛が近づいてきて、そっと扉を開ける。
ドミュウシガ王国では、魔法開花儀式のような特別な日でもなければ、ここを訪れる者はほとんどいない。今日集まっているのも、ラリンヤと同じ日に儀式を受ける子どもたちと、その家族だけだった。
「お待ちしておりました。ラリンヤ・シャナトル伯爵令嬢様」
教会の扉の前に立っていたのは、三十代後半ほどの牧師だった。彼はラリンヤを迎えると、丁寧に、落ち着いた動作で一礼する。
「わたしのこと、知ってるの?」
「ええ。一目見てわかりましたよ」
牧師は優しく微笑んだ。その穏やかな空気に包まれて、ラリンヤは、この人はきっと優しい人なのだと感じた。
「さて、中へお入りください」
教会の扉が開き、ラリンヤは一歩、中へ足を踏み入れた。前を歩く牧師に導かれ、まっすぐに一番前の長椅子へと向かう。そのすぐ後ろを、ジュリアが歩調を合わせてついていく。
外の空気はすっかり秋に移ろいはじめているのに、この教会の中はまるで春の訪れを感じさせるような、やわらかな明るさに満ちていた。
祭壇や長椅子の端には、淡いピンク、ラベンダー、ミルキーホワイトの花々が飾られ、まるで春風が通り抜けたあとのような、やさしい彩りに包まれている
歩を進めるラリンヤに、教会の一番後ろの席から視線が集まる。今日の魔法開花儀式に参加する他の子どもたちと、その家族たちのものだ。「可愛い」「まるでお人形さんみたい」そんな小さな声が、かすかに聞こえてくる。
けれど、ラリンヤは気づかない。彼女の意識は、教会の空気にふわりと引き寄せられていた。
やわらかな光と、淡く香る花の匂い。神聖で優しいその雰囲気に包まれながら、ラリンヤは夢を歩いているような気持ちで、前だけを見つめていた。
……わかる、この温かさ。
どこかで、きっと、感じたことがある。
懐かしいのに、思い出せない。
指先に触れそうで、すり抜けていくような、そんな記憶のかけらが、心の奥で揺れている。
「それでは、魔法開花儀式を始めます」
教会の高い位置にあるステンドグラスから差し込む太陽の光が、角度を変えて、深く射し込むようになる。まるで、これから始まる儀式の刻(とき)を告げる鐘のように。
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