第2話 舞踏会前夜


 月の光が雲間から顔を覗かせる頃、リリアナは寮の自室で椅子に沈んでいた。机の上には、たった今読み終えたばかりの不採用通知の手紙がある。


「最終面接までいい感触で終わったのに…どうして?」


 ぽつりと零れた声は、部屋の静けさに吸い込まれていった。何通目の不採用通知だろうか。何度こうして希望が打ち砕かれるのを繰り返しただろう。


 気落ちするリリアナのもとに、明るくノックの音が響いた。


「リリアナ、入ってもいい?」


声の主はミリー。扉を開けると、彼女はいつも通りのにこやかな笑顔で立っていた。


「ねえ、明日は約束通りに一緒に入場してファーストダンスを踊ってくれるよね?」


リリアナは目を伏せたまま答える。


「…なんでもいいわよ。どうせ親も来れないし」


「ネックレスを持ってきたよ。明日、これをつけてほしいんだ。」


ミリーはソワソワしながら小箱を差し出す。開けてみれば、宝石をふんだんにあしらった髪飾りと首飾りのセットが月明かりを受けて淡く輝いた。透明度の高い水晶の中に、光がくるくると回折している。高級魔石だ。


「リリアナのために用意したんだ。気に入ってくれた?リリアナに喜んでもらえたらって、それで」

「今はそんなこと考える気分じゃないの。一人にして!」


冷たく言い放ち、背を向けたリリアナ。ミリーは少しだけ寂しそうに、しかし笑顔を崩さぬまま返した。


「分かった…じゃあ、明日ね。玄関ホールだよ、待ってるから。」


扉が閉まり、再び部屋が静けさに包まれる。リリアナはベッドに顔をうずめて、小さな嗚咽を漏らした。

 社会に必要とされない自分。

 親切で来てくれたミリーに当たり散らしてしまう不出来な自分。

 惨めだった。惨めで、どうしようもなく不安だった。








 翌朝、陽光がカーテン越しに差し込むころ、目を腫らしたリリアナはゆっくりと体を起こした。小さな、飾り気のない封筒が一通、部屋の手紙受けに届いていた。


 差出人名がない。けれど、封を開けて文字を見た瞬間、リリアナは震えた。


『今日の舞踏会で会おう。大事な話がある』


──父の筆跡だ。牢に繋がれているはずの父からの手紙。


「お父様…ご無事だったのね」


 胸の奥が、不安と期待でめちゃくちゃだ。

 だが、久しぶりに見せる顔が腫れてみっともないのは避けたい。リリアナは急いで身支度に取り掛かった。


 鏡台に座ろうとして、昨夜ミリーが置いていった髪飾りと首飾りの箱と向き合うことになった。冷たい態度を取ってしまったことを思い出し、リリアナはゆっくりと手に取る。


「ミリー、私のために……」


 寮付きのメイドを呼んで鏡の前に座り、身支度を始める。化粧を整え、髪を結い上げて髪飾りをつけた。


 靴を履き、ドレスの裾を整えて玄関ホールへと向かう階段を下りていく。


 そこに、ミリーはいなかった。ミリーだと思って手を振りかけた相手は、男性だったのだ。


 ミリーと同じ栗色の髪、紫がかった瞳、そして白い肌。けれど、長い髪は男性風に後ろでひとまとめに整えられ、身につけているのは王族に準ずる格式の、紋章付きの正装だった。


「…?」


リリアナは思わず足を止めた。男性もまた、リリアナを見て息を呑んだ。


「おはよう、リリアナ」


 話し方も、仕草も、確かにミリーだった。でもその姿はリリアナが知るミリーではなない。

「綺麗だ、リリアナ、僕の女神」

「…え?ミリー?男の人の恰好なんて…なんの冗談」


「リリアナ、これが僕の本当の姿。今までは変身術で女装していたんだけれど、もうその必要がなくなったからね。これにはちゃんと理由がある、話を聞いて欲しいんだけれど」


 言葉の意味をすぐには理解できなかった。ただ、彼の瞳がまっすぐに自分を見つめていることだけは分かった。

 彼は、真摯にリリアナの瞳をみつめる。そしてふわりと魅惑の微笑みを浮かべた。

「…でも、舞踏会が始まってしまうから。さあ、お手を、リリアナ」


 まっすぐに手が差し出される。


 リリアナは、まだ混乱していた。俄かには信じられないが、でもミリーであることは確からしい。

 それに事情をちゃんと話そうとしてくれている。

 いつも冗談だか本気だか分からないことばかり言って笑わせてきたミリーだけれど、いつもそばで支えてくれたミリーを、リリアナは信頼している。

 だから、少しの間思い悩んだ末に彼女はその手を取った。






 僅か数分後。

 舞踏会に向かう魔回路式自動運転車の中で、リリアナの心は憂慮で満ちていた。


 この自動運転車は学院内の建物を巡回する移動手段で、魔回路が動力源なので運転手がおらず、鉄道でいうコンパートメントのような作りの内装になっている。定員は6人だがドレスがかさばるので、今日はペアごとに一台ずつ利用している。

 ふたりきりの車内。当然のように向かい席ではなく隣に座り、当然のように腰に手を回し、体を密着させてリリアナの手を握るミリー。

 改め、フェルナンデス公爵家子息ミリセント・フェルナンデス。



 『女同士だから』でなあなあにしていた今までのあれこれが、リリアナの脳裏を駆け巡る。


 手を握り、体を寄せて。脇をくすぐったり、抱き着いたり、首筋に息を吹きかけてきて反応を楽しんだり。


(そういえば前に、クリームがついているっていって、唇からぬぐいとったらそのまま、食べちゃってなかった?)


(乗馬の授業の前後には、着替えも一緒に…しかもそういえば「リリアナの身体、きれい」とかうっとり言われて…ふざけてるんだと思ってたけど)


(成績優秀者表彰のときは、ごほうびは膝枕がいいって…しかもそういえばちょっとだけスカートの中まで手が入ってきて、腿をすりすり…)





 リリアナは煩悶する。

 ミリーだから、と信頼して手をとったが。


(ミリーだから…全く信頼できないのでは?!)


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