怪奇クラブ
空岡立夏
一、理科準備室の悪魔
第1話 理科準備室の悪魔
一
海だ。海が歌っている。
海沿いに建つ高校の部室で、きゃっきゃと高校生の無邪気な笑い声が聞こえる。春の終わりの薫風は塩気が混じり、ゆえに木造の校舎も湿り気を帯びる。
「あそこの理科室に鏡があるじゃん」
「あの、使われてない、布がかぶせてあるやつ?」
「そう、あれ、出るらしいよ」
平和な放課後のことである。使われていない部室は元々書道部のものだったらしく、今は彼女ら五人の秘密基地よろしく、密やかに使われる。書道部がクラブから部活に昇進したのは、部員が五人から六人に増えたからだと聞いている。が、そんなものは建前で、去年の部長が展覧会で金賞を取ったから、この四畳半の畳張りの部室とはおさらばとなったのである。
後釜として設立されたばかりのこのクラブの部員はまだ五人。六人に増えたとしても書道部のように部屋を移ることはないだろう。
「出るって、幽霊!?」
このクラブの部長である朝葉佐奈の話題に前のめりに聞き返したの畑野理沙で、その話を傍らでまるで興味がないように聞いているのが甲斐田カスミである。佐奈は闊達な少女で、教師にばれない程度の茶髪をふわりと巻いている。対して、カスミは黒髪を綺麗に真っ直ぐに毎朝アイロンをかけてくる、どちらかといえば和風な顔立ちだ。理沙はショートボブに綺麗なアーモンド形の瞳を有する女の子である。理沙は怖がりにもかかわらず、こういった話題にはいちばんに反応する。つまり人は怖いもの見たさで、好奇心には敵わないのである。
そのほかにこのクラブには倉恵美子と平野かえでという女子部員が在籍している。恵美子は佐奈にすすめられ、佐奈と同じような髪色に染めた、背の低い女の子。かえでは優しい顔立ちで、ポニーテールがトレードマークの女子部員である。恵美子とかえではいつもワンセット、トイレに行くにもどこに行くにも一緒の仲良しだ。中学からの付き合いで、高校でも同じクラスになったふたりは、このクラブにも当然のようにふたりで入部した。
ここがなんのクラブなのかといえば、それは先の通り、「怪奇現象」を研究するクラブであった。
怪奇クラブと称されたこのクラブで、カスミ、佐奈、理沙、恵美子、かえでは、おのおの面白そうな怪奇を持ち寄っては、それを検証するのが彼女たちの放課後である。ある時は校外に謎を探し、ある時は学校の七不思議を探す。この学校にも七不思議なるものは存在する。深夜のテケテケ、悪魔の鏡、人面犬、花子さん、屋上の天使、窓際のこびと、そして言わずと知れた『人魚』。
「出るってなに、なになに。そんなに怖いの、出るの?」
理沙がますます佐奈に詰め寄ると、佐奈は得意げになって鞄からとあるものを取り出した。茶色味を帯びたそれは、独特の匂いを放っている。古本屋の匂いだ。
「じゃーん」
「え、なに……? 伝記?」
「そう。見つけちゃったんだよね、理科室の資料室で」
いかにも『それっぽい』古い本は、今時珍しい紐閉じの本であるし、虫食いや紙の焼けなど、雰囲気を演出するには十分である。
佐奈が取り出した古びた本に、先ほどまでまるで興味も示さなかったカスミでさえもくぎ付けで、ほかの部員もまた、佐奈が机の上に広げた本を覗き込んでいる。
「かえでに聞いたの。この学校には、ある伝記があるんだって」
「へえ、かえでか。珍しいね、かえでが話題持ってくるの」
カスミが伝記の表紙をひと撫でする。ザラりとした質感、古い紙だろうか。紐は麻だ。
佐奈はその本をぺらぺらとめくり、そしてとあるページでその手を止めた。ページの文頭に書いてあったタイトルに、カスミを含めた皆が注目する。達筆ですぐには読めない。それたけで雰囲気もある。虫食いの跡を無視しながら、五人で伝記の文字を追う。
「『呪われた理科室の鏡』……?」
タイトルを声に出して読み上げたのはかえてである。先ほどまで興味のかけらもなかったカスミをぎゃふんといわせることができたようで、佐奈はすでに満足気である。そもそも、かえでが伝記の話を持ちかけたのに、感動が薄いのが気に入らなかった。カスミほどではないにしろ、かえでも妙にリアリストなところがある。つまり、怪奇現象を信じていない。
かえでのポニーテールが肩にかかって、かえでがかぶりをふって馬の尾を払い除けた。「アホらし」
「なになに、私も読ませて」カスミまでもがそれを覗き込む。
「珍しいじゃん、カスミが食いつくなんて」
理沙はカスミと一緒に伝記を覗き込む。理沙はいちばんに伝記を読み終えて、隣にいるカスミをからかうように言った。
カスミは怪奇現象を全く信じていない。それは入部した時から誰もが知っていることだった。怪奇現象を調べるには、科学要員も必要だ、と佐奈が引き入れたのは記憶に新しい。
「そりゃ、今までが今までじゃん。人魚のミイラだの、カッパ伝説、人面犬に工事を邪魔する生き霊」
「あったあった! どれもガセだったよねえ!」
「そ。だからさ、他でもない自分のガッコの伝記とか、そそられるよね」
カスミと理沙がキャっキャと笑う。こうやって打ち解けられる日が来るとは誰も思わなかった。部活が必須の学校だったから、仕方なしにこういった部活に入るものも少なくない。そんな中で、五人という決して少なくない人数が和気あいあいと部活に励めるのは、なによりの幸いだ。
すでにカスミは伝記に興味津々で、佐奈は鼻高々である。かえでのノリが悪いのは気に入らないが、普段怪奇現象に興味のないカスミを引き入れることが出来て、佐奈は満足したようにうなるのだった。
しかし、本題はここからだ。佐奈は伝記を手に取って、とあるページを開いて、四人に見えるように胸の辺りに伝記をかかげた。
「ここ、読んでみて」
「うーんと……『丑三つ時に理科準備室の鏡を覗くとき、悪魔の姿が見えることだろう』……って意味であってる?」
「そう、そうなの。まさしくここに書かれてるのは、そういうことなの」
佐奈の持ってきた伝記を、カスミが読み上げると、次は理沙、恵美子、かえでの順に回し読みして、五人で「きゃー」と顔を見合わせて歓喜の声を上げる。怪奇クラブでは時々こうやって、うわさ話や七不思議など、怪奇にまつわる場所に赴く。そうしてその怪奇を検証するのが彼女たちのいい暇つぶしなのだ。
今回もまた、女子高校生の退屈しのぎにはもってこいの、なんの根拠もない伝記である。学校の七不思議のひとつでもある、理科準備室の鏡。あれはいつも布が被せてあるから、鏡を実際に見た人は少ない。もしかすると、鏡に度々悪魔が見えるから、布を被せたのかも。
「ねえ、次はこれで決まりでしょ」
「カスミに賛成!」
いの一番に紗奈が賛成し、そのあとに続いて残りのメンバーも賛成の意を示した。手を挙げて、にこやかに声高だ。
「私も」
「私も!」
「もち私も!」
決行はその日の夜に決まった。いったん家に帰った五人は、深夜にこっそり家を抜け出して、学校の後者脇で待ち合わせた。いかにも『出そうな』雰囲気に、待ち合わせの時点でカスミのボルテージは上がりっぱなしである。来る途中、街灯がチカチカ点滅していることだけで、この危険を引き返せと言われている気分になれた、しかし、ひとりで夜道を歩くのは違った意味で恐怖もあった。恵美子とかえでは幼なじみみたいなものだから、一緒に来るらしい。今日ばかりはみながそれを羨んだ。
カスミが校舎脇の待ち合わせにつくと、まだ誰もいなかった。恐怖に身をちぢこませて数分、トン、とカスミの肩が叩かれた。
「ひっ」
「えっ!? あ、ごめん、私。佐奈」
大袈裟に跳ねたカスミに笑いを噛み殺し、佐奈が両手を顔の前で合わせて今一度謝った。「ごめんって」
「もう、佐奈遅い。怖かった~」
「カスミが一番乗りかぁ。普段あんまり怪奇ネタに乗ってこないカスミが一番乗りとか、ウケる」
「いっとけ。それで、理沙たちは?」
「うん、もう家は出てるからすぐ来ると思うよ」
季節は初秋、九月とは思えない暑い日が続いている。肝試しにはもってこいであるが、今日は心なしか肌寒い。だがそれは、この肝試しで寒々しく感じているだけなのかもしれない、カスミはそんなことを思いながら、残りのメンバーを待つ。佐奈が隣にいるだけで、寒気も和らぐのだから不思議だ。スマホのライトをつけて、ふたりの顔が青白く光っている。
カスミは今か今かと理沙やかえで、恵美子を待っている。その横顔は、楽しそうだ。
その傍らで、佐奈もまた、今からの肝試しに心を弾ませ、恐怖からか期待からか、武者震いが止まらなかった。
次に待ち合わせに着いたのは理沙である。理沙の家は遠いから、タクシーを使ったのだと理沙が青い顔で笑った。すでに恐怖に染まった顔は、暗闇でも蒼白さがよく見える。
「ふたりとも、早いね」
「そうなの、カスミが一番乗り」
「へえ、カスミが! あんま興味なさげなのに。琴線わからないね」
「な、なに。だって学校の七不思議だし。あの伝記も雰囲気あったし。たまには、ね」
目に見えないものは信じない、ならば目に見える形になれば、信じるということだろうか。七不思議も噂も、形のない人々の伝言ゲームだ。しかし、今回の伝記は、本として記録されたものであったし、その伝記自体が、だいぶ古びたものだった。それゆえか、カスミの今日のテンションは過去一番に高いようだった。
「あ、恵美子! かえで!」
佐奈が手を振る先をカスミは見る。ふたりが手を繋いでこちらに向かってきていた。心なしか、恵美子の膝か笑っている。
「みんなもう来てたんだ」
「恵美子、顔真っ青」
理沙が心配そうに言うと、隣のかえでが、より一層恵美子と密着して、まるで男顔負けに口説き落とした。
「恵美子は私が守るから平気」
「お熱いこと。言っても、かえでは理沙の次に怖がりだもんね」
「それを言わないでよ。でも、今日は死んでも守るよ」
いつもなら萎んだ風船みたいになるのに、夜の学校に来てもかえでの様子はなんら変わりない。どころか、いつもより強気な雰囲気さえある。
怪奇クラブのすべてのメンバーが集まってから、五人でこっそり学校に侵入する。そろりと忍び足でみながみな、警戒を怠らない。用務員の夜勤なんて制度が昔はあったらしいが、今は労働者に働きやすい環境づくりのため、夜の巡回を実施する学校は少ない。この学校もまた、夜の見回りなどなく、門だって登って超えてしまえばあとはなにも障害はない。
これはれっきとした不法侵入になるのだが、高校生である彼女らにとって、それは大した意味を持たない。子供とも大人ともつかない年頃の彼女らにとって、好奇心に勝るものはないのだ。あとで教師にばれて大目玉を食らうことになろうと、彼女らはこの肝試しをやめることはないだろう。あの不思議な伝記の出処を探るよりもなによりも、そこに記された怪奇現象を確かめるほうが優先なのだ。
学校の一階の教室の窓の鍵を、クラブから帰る前にこっそりと開けておいた。その窓から、カスミをはじめとした怪奇クラブの面々が校内へ侵入する。教師が戸締りを確認したあとを狙って、カスミの入れ知恵である。日直が戸締まりして教師に報告、のち、教師が最後の戸締りを確認した後に忍び込んで鍵を開けた。少しスムーズすぎる気もするが、何事もタイミングだ。
鍵が開いていたことに安堵する間もなく、怪奇クラブのメンバーは窓をそっと開け放つ。狭いから、ひとりずつ教室に入る必要があるだろう。
「開いちゃった、ね」
しり込みしたのは佐奈である。しかし、カスミは「行くよ」と息を吐くように言い聞かせた。
先導を切ったのはカスミである。靴を脱ぎ窓をよじ登るも、後に続いた理沙が焦り気味にカスミを押す。カスミの身体を押し出して、理沙がさっと窓枠に上がった。
「いて、ちょっと押さないで」
「ごめん。暗くて見えなくて」
カスミと理沙が苦戦する中、残された佐奈たちはあたりをキョロキョロと警戒する。理沙は一刻も早く教室に入りたいようで、カスミとほぼ同時に校舎内に降り立った。理沙はやはり怖がりで、真っ暗な校舎でカスミの腕にしがみついた。
「動きづらいよ」
「ご、ごめん。でも」
ふたりがやり取りする中、佐奈が小さく、
「しっ、誰かに気づかれるかも」
「ごめん」
佐奈はカスミと理沙の両方を注意したのだが、謝ったのは理沙だけである。先に教室に無事に入れたカスミは、後に続く部員たちなどそっちのけで、夜の教室を楽しんでいた。そもそも、この学校に用務員がいないのは確認済みだ。だったら、それほど警戒する必要はない。カスミはリアリストだから、無用な恐怖は抱かない。抱くとしたら幽霊への恐怖ではなく、学校に侵入した罪悪感だ。
スリルに加えて、雰囲気もある、夜の学校に忍び込んだカスミは興奮気味である。どっどっど、カスミの心音が耳に響く。今までの怪奇現象では得られなかった感覚だった。幽霊だの怪奇現象だのは信じていないが、こうやって五人で秘密を共有する高揚感はひとしおだった。
カスミが足音を忍ばせて教室内を見て回っている間に、佐奈も恵美子もかえでも、無事に教室内へとよじ登ることに成功する。佐奈が先に入って、かえでが恵美子を先に行かせて、最後にかえでが窓を登った。
五足の靴は、窓の側に放置する。帰りもこの場所から出ていく予定だから、なんら問題はない。各々、サンダルだったりローファーだったり、不揃いな靴がなんだかおかしい。
「カスミ、うろうろしない。行くよ」
「あ、うん。なんかワクワクするね」
「ワクワクってアンタね。今から私たち、悪魔を見に行くんだよ?」
あきれた様子の佐奈は、夜の教室が怖いのか、いつもとは違い張りのない声でカスミをいさめる。怖気づいているのだろうか、あの強気な佐奈が。可愛いところもあるものだと、カスミは庇護欲さえ覚える。カスミにとってこれは小さな冒険だ。ただ、それだけ。幽霊なんて、ましてや悪魔なんて出るはずがないとわかっている。だからこそ、ひとり冷静でいられるのだ。
「大丈夫だって。私、幽霊とか悪魔とか信じてないし」
「そ、それはわかってるよ。そのうえで入部に誘ったんだから」
「怖がりのくせに肝試しするんだよら。大丈夫だよ。私がいるじゃん。この世に幽霊なんてものは存在しないって確信してるから、夜の学校なんていかにもな場所、来たんだから」
ふふ、と笑いながら、カスミの足取りは軽い。だが、佐奈も、そのあとを続く理沙も恵美子もかえでも、その足取りは重いものだった。
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