甘い悪魔はしあわせの青い鳥

鈴寺杏

第1話 盲目の少年

 適当なベランダに降り立ち羽を休める。

 別に肉体的に辛いわけではないが、気分的なもの。

 程よい風によってこの小さな体がそよぎ、この陽気のせいで必要もないのに眠気が訪れるような気になってくる。


 そんな時、ふと視線を感じた。

 現在の自分は普通の人間には見えないはず。そう思いながら視線を向けている対象を確認してみると、このマンションの向かいに存在する病院の屋上からであった。


『さっそく初仕事の機会が訪れたか? まだ仕事を初めて一時間程度なのに』


 そう囀りながら対象の元へと飛び、顔を合わせる。


 こちらを見つめていた少年は小学生くらいに見えた。

 特徴としては、盲目。目に膜が張ってあるように見受けられる。色は灰色っぽくもあり黄色っぽくもある。

 俺の第一印象は「死んだ魚の目」だったりする。

 

 あとは足を怪我しているようだ。車いすに乗っている。目が見えなければ、足を踏み外したりということも目が見える者に比べれば多くなってしまう。そのせいかもしれない。

 この屋上庭園には散歩で来たのだろう。小さな温室もあり、緑が多く目に映る。少年には見えていないだろうがね。建物の中にずっといては気が滅入る。付き添う者の気遣いが感じられた。


「母さん。青い鳥がいる!」


 おや?

 この少年は色を認識できているのか。更には鳥も知っていると……。

 なるほど。どうやら後天的に目が見えなくなったのだろう。


「どこにいるの? 母さんには見えないわ」


「そこだよ! そこに留まってる!」


 少年がこちらに向かって指をさすが、やはり母親には見えていない。母親の目は探すように動いているし、見つめる先は少々ずれている。

 普通はこうなるはず。俺が見えるはずがない。


「そう。青い鳥は幸せを運んでくるなんて話もあるわね」


「へえ。鳥さん僕にも幸せを運んでくれる?」


 探すことを諦めた母親と、こちらに向かって笑顔で話しかけてくる少年。

 どうやらこういったやり取りにも母親は慣れているようだ。

 この少年、元々目が見えていたからか、時々こうやって見えるはずのないものが見えているのだろう。脳内で作り上げた幻想や、霊なんかも。

 そうする内に母親も返答に慣れてしまったと……。

 これが初めてのことであればもっと驚いたりしているはずだしな。


「あっ!? 飛んで行っちゃった……」


「幸せを探しに行ってくれたのかもしれないわね~。さて、そろそろお部屋に戻りましょうか」


「うん……」


 残念そうにする少年が乗る車いすを押しながら、親子は建物内へと帰って行った。



 その日から度々少年の元を訪れた。

 彼には印をつけていたので、病室を特定することは容易であった。病室は個室だったので、もしかすると家庭は豊かなのだろう。彼や家族の振る舞いを見ていると、そんな気がする。

 花瓶に飾られた花の数からも、来訪者が家族だけではないことを示しているように感じられた。ここには幸せの気配がある。



 今日も病室のベランダに降り立つと、少年に話しかける。


『やあ少年。具合はどうだい?』


「あっ! 今日も来てくれたんだ!」


 家族や看護師が居ない時間を狙って、こうして話しかける。

 病室の窓は、事故防止のため大きく開くことは出来ないが、換気用に多少であれば開けられる。今の時期はエアコンが必須というわけでもないので、現在窓は換気のため僅かに開かれた状態だ。

 俺が用いている意思疎通の方法は念話なので窓が開いている必要はないのだけれど、元人間かつまだまだ新人の自分にとって人間っぽい雰囲気というのは存外大切な物だったりする。


「足が良くなってきたんだ! リハビリをがんばればもう少しで退院できるかもって!」


『そりゃ良かったな。で、例の話は家族にしたのか?』


「うん。したけどみんな信じてくれないんだ。鳥さんが父さんや母さんに話しかけるんじゃダメなの?」


『俺を見つけたのは君だろ? だから君としか話すことは出来ない』


 正直に言うと、そんなルールは存在しない。

 だが俺の選んだ相手はこの少年。親ではない。


 本来であれば、本人の承諾さえあれば願いを叶えることが出来るのだが、僅かにある俺の日本人としての良心が、少年と保護者が相談することを求めた。この甘さがきっと悪魔にされた理由なのであろう。


『では、またな』


「うん。また来てね!」


 そうして飛び立つと、病室にノックの音が響く。看護師が様子を見に来たのだ。


「入るよ~。どうしたの? 誰かとお話してたみたいだけど」


「うん。青い鳥さん。この前話したでしょ?」


 病室のそんな声を聞きながら、今日もまたこうして一日の活動を終える。



 しばらく経ち、少年の足も良くなってきた。支えを使いながら歩くことが出来るようになっている。本来であればもう少し長く入院を予定していたのだが「家庭の事情」ということで、早めの退院を希望しているらしい。その主な理由は、俺である青い鳥だったりする。

 そりゃそうだろう。見えるという話だけならまだしも、話しかけられて家族との相談も求められていると言われれば「息子がおかしくなった」などと考え、恐れる様にもなろう。


「ねえ母さん。ここを退院する前に鳥さんにお返事しなくちゃ」


「またそんなことを言って……。『目が見える様になりたいか?』ですっけ? 大丈夫。その青い鳥に頼まなくてもパパやママがきっといい先生見つけてあげるからね」


「そう言って未だに見つかってないじゃないか……」


「ごめんね。簡単には見つからないの。もし青い鳥に願えば、本当に見える様になるならどんなに楽か……」


「じゃあお願いしてみればいいんだよ」


「なんだか怖いわ。代わりに何かを求められたりはしていないの?」


「うん」


 母親は僅かに悩む素振りを見せ、そしてこう言葉にした。


「はぁ……。じゃあ、お願いしてみるのもいいかもしれないわね」


「いいんだね⁉ やった!」


 退院が近づいている高揚感、そして疲れからなのだろう。今まで反対し続けていた母親の言葉が変わった。これでこの少年の願いを叶え初仕事を終える事が出来る。




 翌日。

 少年の目は見える様になっていた。

 当然彼の両親のみならず医師や看護師、入院中の患者も交え病院中大騒ぎ。「奇跡の病院」「幸せの青い鳥は真実だった!」などと噂は広まっていくこととなる。

 

 少年は「本当に見えているのか?」ということも含め検査するために、予定よりも数日ばかり入院が伸びてしまったが、検査が終わるとすぐに自宅へと退院していった。

 俺に対してはお礼の手紙が病室に置かれていた。昨日「話すのはこれで最後」と伝えてあったのに律義なものだ。


 少年家族の急な退院。これについては以前とは理由が異なっている。噂を聞きつけたマスコミ、そして動画配信者などから逃れるためである。このような話題であれば、数字が取れること間違いなし。彼らが見逃すはずもない。連日病院、病室へと関わりのない者たちが訪れて困らせていた。


 少年の使った個室は「青い鳥の部屋」として多くの患者に入室を希望されるようになった。病身側としては、無理な要望に対処するために高額な部屋代を設定したのだが、それでも払ってしまう者が出てくる始末。自らの命のため、話題のためにならいくら金を払っても構わないという人間は少なくない。



『さて、行きますか……』


 少年の願いをかなえた後、しばらくの間騒ぎとなっている病院を眺めほくそ笑んでいたのだが、昨日俺にある知らせが届いたため駅前の大型ビジョンへと訪れ、その画面にてニュースを見ることにした。



【続いてのニュースです。昨日お昼過ぎ、〇〇にお住いの少年がマンション高層より落下するという痛ましい事故が発生いたしました。その様子を目撃しておりました、近隣の住人によりますと「何かを掴もうと空中に向けて手を伸ばしていたように見えた。おそらくその際に過って落下したのではないか」と我々の取材の中で語られております。この事故に伴いまして、マンションの安全管理に問題がなかったのかどうか、改めて調査が行われるようです。続いては……】



 女性アナウンサーのニュースを見届けると、俺は静かに飛び立つ。


 少年が落下したマンションの周辺には、青い羽根が風に飛ばされて浮かんでいた。

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