第25話
秋の収穫感謝祭が終わり、人々がそれぞれの暮らしへと戻った後も、俺たちの丘には、温かい余韻が長く残っていた。
祭りに参加してくれた人々からは、感謝の気持ちが綴られた手紙や、それぞれの土地の特産品などが、毎日のように届けられた。イーリスさんからは、新しい品種の果物の苗木が。ドワーフのガンツさんからは、アトリエで使えるようにと、頑丈な工具一式が。エリアーナお嬢様からは、子供たちが描いた俺たちの似顔絵が額縁に入れられて送られてきた。そのどれもが、俺たちの心を温かく満たしてくれた。
リリアさんとアロイスさんは、祭りで得た新たな知見や交流を元に、さらに研究に熱を入れている。ドワーフの鍛冶技術と錬金術の融合や、守り人の一族に伝わる古の薬草学の再現など、アトリエは常に知的な興奮と創造の喜びに満ちていた。
俺も、伝説の農具と古代種の種のおかげで、畑仕事がますます楽しくなっていた。新しく育った植物の中には、『追憶の花』以外にも、触れると優しい光で文字を描ける『光のペン草』や、奏でる音楽によって天気を少しだけ変えられる『空色のハープ草』など、ユニークで心温まる奇跡をもたらすものが次々と現れた。
フェンとルクスは、そんな丘を毎日元気に飛び回り、訪れる人々や動物たちに、笑顔と癒しを振りまいている。
これ以上ないほど、平和で、幸せな毎日。俺は、この穏やかな日々が、ずっと続いていくのだと、そう信じていた。
そんなある日、国王アルベール陛下が、再びお忍びで俺たちの丘を訪れた。以前会った時とは比べ物にならないほど、その顔色は良く、足取りもしっかりとしている。だが、その瞳の奥には、新たな、そしてより深い憂いの色が浮かんでいた。
「レオン殿、皆の者。先日は、素晴らしい祭りであった。朕も、心から楽しませてもらった。そして、我が身も、この通り、すっかり元気を取り戻した。これも全て、この丘と、そなたたちのおかげじゃ」
国王は、まず俺たちに深く感謝の言葉を述べた。
「滅相もございません。陛下がお元気になられて、俺たちも本当に嬉しいです」
俺がそう言うと、国王は静かに頷き、そして、重々しく口を開いた。
「今日は、そなたたちに、頼みがあって参った。いや、これは、朕個人の頼みではない。この国、アルストロメリア王国、その全ての民からの、願いじゃ」
国王は、俺たちをアトリエの隣に新しく建てられた、書庫兼談話室へと招き入れた。そして、セバスチャンさんが広げた、巨大な王国の地図の一点を指さした。それは、国の南部に広がる、広大な領域だった。
「ここは、『嘆きの砂漠』と呼ばれておる」
国王の声には、深い悲しみがこもっていた。
「かつては、この国で最も緑豊かで、肥沃な土地じゃった。じゃが、数十年前に起こった大災害以来、この土地は呪われたかのように、砂漠化の一途をたどっておる。緑は枯れ、川は干上がり、大地は死んでしまった。多くの村が砂に飲み込まれ、人々は故郷を追われ、今もなお、その広がりは止まることを知らん」
地図に描かれたその場所は、国の面積の三分の一ほどを占めていた。ここが全て、砂漠に……。俺は、その深刻さに言葉を失った。
「これまで、国中の賢者や魔導師、錬金術師たちが、この砂漠化を食い止めようと、あらゆる手を尽くしてきた。じゃが、原因すら誰にも分からず、我々はただ、国土が蝕まれていくのを、見ていることしかできんかった……」
国王は、悔しそうに拳を握りしめる。
「じゃが、そなたたちと出会い、朕は新たな希望を見出した。この丘で起こる数々の奇跡……。人々の心を癒し、死にかけた命さえも救う、そなたたちの力……。それならば、この死にゆく大地さえも、救うことができるのではないかと」
アルベール国王は、俺の目をまっすぐに見つめ、そして、深く頭を下げた。
「レオン殿。どうか、この国を救ってはくれまいか。この嘆きの大地を、再び緑豊かな、生命の土地へと蘇らせてはくれぬだろうか」
一国の王が、俺に頭を下げている。その背中には、この国の全ての民の、悲しみと願いが乗っているように感じられた。
これは、俺たちがこれまで行ってきた人助けとは、規模が違う。国の運命そのものがかかった、あまりにも大きな課題だ。
だが、俺の答えは、最初から決まっていた。
俺は、隣にいるリリアさんとアロイスさん、そして足元にいるフェンとルクスの顔を見る。みんな、真剣な、しかし迷いのない瞳で、俺を見つめ返していた。
「陛下、お顔をお上げください。俺たちにできることがあるのなら、喜んで、力を尽くさせていただきます」
俺がそう言うと、国王は、安堵と感謝に満ちた表情で顔を上げた。
こうして、俺たちは、この国最大の課題である、「嘆きの砂漠」の謎に挑むことになった。
数日後、俺たちは王家から特別に用意された、空飛ぶ竜……飛竜に乗って、南部の砂漠地帯へと向かった。揺れの少ない快適な空の旅だったが、眼下に広がる光景に、俺たちは言葉を失った。
見渡す限りの、茶色い大地。かつては豊かな森や畑だったであろう場所は、全て砂に覆われ、ひび割れた大地が、まるで大地の悲鳴のように広がっている。時折見える村も、ほとんどが廃墟と化し、人々の気配はない。
「これが……嘆きの砂漠……」
リリアさんが、悲痛な声で呟く。
やがて俺たちは、砂漠の端にある、最後の砦ともいえる町に到着した。町は、絶えず吹き付ける砂混じりの風から身を守るように、高い壁で囲まれている。人々は皆、活力を失い、その目には諦めの色が浮かんでいた。
俺たちは、まず情報収集を始めた。この土地に古くから住む長老や、砂漠を生き抜く術を知る、わずかな生き物たちから、話を聞くことにしたのだ。
俺は、町の隅の岩陰で、じっと動かずにいた、一匹の年老いた砂漠トカゲに、そっと話しかけてみた。
『旅の人かい……。こんな、もうすぐ終わる世界に、何の用じゃ……』
トカゲは、億劫そうに答えた。
「俺たちは、この砂漠を、元の緑豊かな土地に戻すために来たんだ。何か、知っていることはないかい?どうして、こんなことになってしまったのか」
俺の言葉に、トカゲは少しだけ興味を示したようだ。
『……緑の土地に、戻すじゃと……?馬鹿なことを……。あれは、神々の怒りじゃよ。わしらが、まだ小さかった頃……もう、何十年も昔の話じゃ。空から、黒い太陽が落ちてきたんじゃよ』
「黒い太陽?」
『ああ。真っ黒で、不気味な光を放つ、巨大な太陽じゃ。それが、森の真ん中に落ちた途端、大地は焼け爛れ、木々は一瞬で灰になり、川は干上がった。それ以来、この土地からは生命の気配が消え、死の砂だけが広がっていったんじゃ……』
黒い太陽……。それが、全ての元凶なのだろうか。
俺がその話をみんなに伝えると、フェンとルクスが、砂漠の中心部の方をじっと見つめ、何かを感じ取っているようだった。
『レオン、あっちの方から、すごく強くて、冷たい、嫌な感じがする……。でも、そのずっと奥の方で、ほんの少しだけ、温かくて、か細い光が、助けを求めてる……』
フェンが、そう言った。ルクスもまた、同意するように「ぴぃ……」と悲しげに鳴いている。
「嫌な感じと、助けを求める光……。おそらく、砂漠の中心に、大地の生命力を吸い取り続ける『呪いの核』のようなものがあるのでしょう。そして、その奥深くに、まだこの土地本来の生命力が、封じられているのかもしれませんわ」
リリアさんが、的確に分析する。
「原因は、あの砂漠の中心にある。そして、解決の鍵もまた、そこにあるはずだ」
アロイスさんが、決意を込めて言った。
俺たちのやるべきことは、決まった。あの砂漠の中心地、黒い太陽が落ちたという場所へ行き、呪いの核を破壊し、封じられた大地の生命力を解放するのだ。
それは、これまでのどんな冒険よりも、危険で、困難な旅になるだろう。だが、俺たちの心に、迷いはなかった。
「よし、行こう。みんなで、この嘆きの砂漠に、緑を取り戻すんだ」
俺たちは、過酷な砂漠の中心を目指すための準備を始めた。アロイスさんは、錬金術で、砂漠でも腐らない保存食や、少量の水から大量の真水を作り出すフィルターを開発する。リリアさんは、強い日差しや熱射病から身を守るための、特別な薬草や軟膏を用意してくれた。
俺は、動物たちから、砂漠を安全に旅するための知恵を教わる。夜の寒さをしのぐ方法、砂嵐をやり過ごす場所、そして、オアシスの見つけ方。
全ての準備が整った時、俺たちは、町の住民たちの不安と、わずかな期待の入り混じった眼差しに見送られ、広大な、そして死せる砂漠へと、その第一歩を踏み出した。
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