第44話 それでも、戦おうとした者へ――天使の涙

――サイリウムの波に包まれた魔王城前のステージ。

その光景を、ひとりの天使が睨みつけていた。


 


「これは……間違ってる。こんなもの、偽りの和解にすぎない」


セラフィナは歯を食いしばり、宙に舞い上がる。

その背中には、天界の光を凝縮した六枚の聖翼。

彼女の存在そのものが、天に誓った秩序の化身だった。


 


「戦いなくして、正義は示せない……!」

怒りに満ちた魔力が彼女の周囲を震わせ、空気が凍りつく。


観客がざわめき、リリスたちの背後に緊張が走る。


 


「セラフィナ……!」

舞台袖からアウレルが飛び出す。


「もう、やめて! あなたが信じた天界の掟は、今この瞬間、あの人たちによって変わり始めてるの!」


 


「アウレル……堕ちた者が、何を語る」

セラフィナの声は冷たいが、瞳の奥には確かに揺らぎがあった。


「私は、兄上を正し、母を救うために立ち上がった。

 魔王に惑わされたこの世界を、正常に戻すために……!」


 


「違う! あなたは、誰のためでもない。

 本当はずっと、自分の中の“不安”と戦っていたんだ……!」


アウレルの叫びが響く。


その時、ステージから一歩前に出たのは――リリスだった。


 


「セラフィナさん」


彼女の声は震えていなかった。優しく、しかしまっすぐに彼女を見つめていた。


「私は……あなたを倒したいわけじゃない。

 あなたの心にも届くって、信じてるから、ここに立ってるの」


 


セラフィナは目を細める。その瞳の奥に、かすかな迷いが走った。


「……あの日、母が泣いたのを見た。

 魔王に惹かれたことを、恥じているのだと思った。

 兄上が笑わなくなったのも、あなたが生まれたからだと思った」


「でも……」


彼女は、空中に舞い上がったまま、肩を震わせた。


 


「違った……全部、私が、勝手に決めつけてた……っ!」


 


その瞬間、彼女の背から放たれる光がひときわ強く輝き、

そして――まるで羽が千切れるように、白き聖翼が一枚、闇へと染まった。


 


会場が静まり返る。


 


「……私は、どうすればよかったんだ……!」


セラフィナは叫び、天からゆっくりと舞い降りていく。

その足元には、リリスとアウレル、そしてミリュエルが差し出す手。


 


「ここに来て。

 あなたも、私たちと一緒に歌っていい。

 どんなに間違っても、やり直せるって、私は信じてるから」


 


リリスのその言葉は、刃よりも鋭く、魔法よりも強く――

セラフィナの心を、ようやく貫いた。


 


「そんなこと……そんな言葉……ずるいじゃない……!」


涙を溢れさせながら、セラフィナは地に降り立つ。


その瞬間、空に淡い光が走り、彼女の翼の一本がふわりと散って――

代わりに、**“灰色の翼”**が広がった。


 


彼女は、“中立”となった。

天でもなく、地でもなく。彼女もまた、境界に立つ者となったのだった。


 



 


ステージに4人が揃い、観客からはどよめきと拍手が起こる。


アウレルが静かに言う。


「リリス。……次の曲、行ける?」


 


リリスは笑った。


「もちろん。だって今、やっと“みんな”でステージに立てるんだもん」


 


――光と闇、そのどちらにも属さない、誰もが共鳴できる歌が、今始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る