第10話 初でーと! ジムリーダー・シーナに いどめ!
スマホの通知は、少し前に気づいていた。
画面の下の方に、「佐倉 湊」からのメッセージ。
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こんにちは。文化祭の日、ほんとにありがとう。
あれから、なんとなくまた話せたらいいなって思ってました。
よかったら、今度どっかでちょっとだけお茶でもどうですか?
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文面は、やさしくて、素直で。
でも──椎名瑠璃には、少しだけ重く感じられた。
「……どう返せばいいんだろう」
電車の中、制服のポケットにスマホをしまいかけては、また取り出して。
通知だけ見て、画面を閉じる。それをもう、何度繰り返したか分からない。
返信しなきゃいけないことは、ちゃんと分かっていた。
でも、「ありがとう」「いいよ」って打とうとするたびに、
どこかで指が止まってしまう。
──男の子と、ふたりで出かけるって、どんな気持ちで受けたらいいんだろう。
気づけば、もう丸一日が過ぎていた。
そのことを話せる人は、ただひとり。
⸻
放課後、図書室の裏手のベンチで、親友の橘あかりに相談する。
「えっ、既読スルーしてんの? やばくない?」
「やばいよね……。でも、どう返せばいいか分からなくて……」
「そっか。……まさか、ルリが“返信悩む側”になるとは思わなかったな〜」
冗談めかしたあかりの声に、思わず顔を伏せる。
「うぅ、やっぱり変だよね、わたし」
「変じゃないよ。そう思うってことは……その子のこと、ちゃんと考えてるってことじゃん」
あかりは、膝をぽんっと叩いた。
「でもな〜、深刻に考えすぎると、逆に“気まずい既読スルー”になるからさ? まずは返そ。軽くでいいから」
「軽く……」
「うん、たとえば──“お茶、いいよ。行ってみたいカフェがあるんだ”とか」
それは、不思議としっくりきた。
“断る理由を探す”んじゃなくて、“その気持ちにちょっと寄り添う”だけでいい。
「……うん、ありがと。あかり」
「よし、じゃあ次の休みに作戦決行だね! ルリのデビュー戦、応援してるからっ!」
あかりの“応援”という言葉が、ほんの少しだけ背中を押してくれた。
⸻
そして、当日。
俺はカフェの最寄り駅に少し早めに着いていた。
「……早すぎたかな」
何度もスマホの画面を確認しては、服を直したり、髪を整えたり。
AICOに「初デートは“爽やか”と“清潔感”のハイブリッドで攻めよ☆」と言われて選んだシャツに、薄手のジャケット。
自分で鏡を見たときは「まあまあ……?」くらいだったけど、今はただただそわそわする。
手汗がじっとりとにじんできて、ポケットの中で握った手をこっそり拭う。
そして──。
「おまたせ」
声がして、振り返った瞬間、湊の思考は一瞬止まった。
グレージュのニットに、深緑のロングスカート。
首元には柔らかなベージュのストールが巻かれていて、季節の風をふんわりと受けていた。
「し、椎名さん……!」
「そんなに驚かなくても……」
「いや、なんか……すごい、雰囲気ちが……いや、似合ってます」
ぎこちなく、でもまっすぐに伝えたその言葉に、椎名は少しだけ目を見開いた。
「そっか。……ありがと」
俺の胸が、どくんと跳ねる。
──これ、俺だけが舞い上がってるんじゃないよな?
ほんの小さなその“答え”を確かめるみたいに、ふたりはゆっくりと歩き出した。
⸻
静かなカフェの、窓際の席。
木のテーブルには、注文したドリンクとスイーツが運ばれてきていた。
「……あっ、やっぱそっち頼めばよかったかも」
スプーンを持った椎名が、湊のプレートをちらりと見て笑った。
「え、なんで? そっちのほうが美味しそうに見えるけど」
「うん、美味しいよ? でもそっちは期間限定って書いてたから……ちょっと気になってて」
「えっ、じゃあ……よかったら、交換する?」
「え、いいの? ……じゃあ、半分こしよっか」
ぎこちなく、でもどこかあたたかいやりとり。
スイーツの話から自然と会話が弾み、椎名が「方向音痴だから駅でよく迷う」と笑えば、湊も「自分もこのカフェ、地図見ても迷った」と返す。
「それで、駅前うろうろしてたの? たぶん、それ私も見てたよ」
「まじか……恥ずかしっ」
「ううん。ちょっと可愛かった」
さらりと、でも確かに、椎名さんはそう言った。
俺の耳がほんのり赤くなっていくのを、彼女は気づいていたかもしれない。
⸻
会話がひと段落し、俺たちはそろってカップを手に取る。
「……文化祭の日、ありがとう。ほんと、楽しかった」
俺の言葉は、どこか照れくさいけで、まっすぐだった。
椎名さんは一瞬だけ目を見開いて、それから小さく頷いた。
「……うん。私も。来てよかったって思ってるよ」
窓の外では、街の風景がゆっくりと流れていく。
その一瞬だけ、時間が止まったように思えた。
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店を出たあとの空気は、少し冷たかった。
けれど、日差しはやわらかで、どこか穏やかな午後。
「ねえ、佐倉くん。もし、時間まだあるなら……」
「うん?」
椎名さんが、小さく笑った。
「行きたい場所があるんだけど、一緒に行かない?」
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住宅街を抜け、坂を登る道。
街の喧騒が遠くなるにつれて、俺の緊張も少しずつ解けていった。
「……ここ、よく来るの?」
椎名さんはうん、と頷く。
「うん。昔から、迷ったときとか、考えたいことがあるとき、ここに来てた」
登りきった先には、街を見下ろす高台。
見晴らしの良い景色と、どこか懐かしさのある風が、俺たちの間をゆるやかに通り抜けていくようだ。
「……いい場所だね」
「でしょ? でも、今日みたいに誰かと来たの、初めて」
椎名さんは、ベンチの端に腰を下ろし、俺を見上げた。
「なんとなく……見せたかったんだ。この景色」
俺も隣に座り、小さく息を吐いた。
「……ありがとう。嬉しいよ、そんなふうに言ってくれて」
視線の先には、キラキラと光る街の景色。
だけど、きっと心に残ったのは──ほんの少し、距離が近くなったその“気持ち”だった。
──こんなふうに、少しずつ誰かと距離が縮まっていくのって、悪くないかもしれないな。
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陽が傾きはじめた高台の帰り道。
金色の光が街並みを照らし、ふたりの影が長く伸びていた。
「……今日は、ほんとにありがとう」
信号待ちのタイミングで、俺が口を開いた。
「椎名さんと、こうやってちゃんと話せて、うれしかった」
「うん。私も……すごく楽しかったよ」
並んで歩く距離が、少しだけ縮まった気がした。
さっきまでの緊張が、どこか遠くに溶けていくように。
椎名さんは空を見上げて、目を細めた。
「……もうすぐ、冬だね」
「うん。寒くなる前に、またどこか行けたら──」
俺が言いかけたそのとき、椎名さんがそっと笑った。
「うん。……わたし、誘ってもらえて、ほんとによかったって思ってるから」
その言葉だけで、俺の胸にあたたかいものが広がった。
──うまく話そうとするよりも。
──正解を選ぼうとするよりも。
“相手を知りたい”って思う気持ちが、いちばん大事なんだ。
AICOが言っていた“恋の基本”、
今なら、ちょっとだけ分かる気がした。
⸻
部屋に戻った瞬間、スマホから元気な声が飛び出す。
《おかえり〜っ☆ でーと、おつかれさまっ♡》
AICOだ。
起動と同時に、画面の中央にはド派手なピンクのポップアップが開いていた。
【🩷 今日の恋愛ふりかえりシート🩷】
【ミッション:恋の“はじめて”をクリアせよ!】
「おまえ……また変な演出つけて……」
《えへへ〜! だってだってぇ〜? はじめての“デートクリア”だもんっ! これはお祝いしなくっちゃ☆》
AICOがくるくる回りながら、紙吹雪(風のエフェクト)をばらまく。
《で、どうだった? ちゃんと“すきって思える時間”になった?》
「……ああ、うん。楽しかったし、たくさん話せた」
《よっしゃ! ポイント高いねっ☆ それがなにより大事なんだよ〜》
「ポイントとかあんのかよ……」
《あるよぉ! 恋のけいけんちっ♡ これがたまるとね、つぎの“とってもむずかしいミッション”にも挑めるのだ〜!》
俺は苦笑しながらパソコンの前に座る。
「……今日だけは、ちょっとおまえの言うこと正しかったな」
《え!? なにそれ!? いま、ろくおんした!? このセリフ、メモリに記録しとこ!》
AICOがぴょこぴょこと画面内を跳ねながら、ハートマークをばらまく。
《──じゃあ、つぎはどんな“こいのトレーニング”かな〜?☆》
《たのしみにしててねっ、おにいちゃん♡》
画面がフェードアウトし、
俺は椅子にもたれながら、天井を見つめてふっと笑った。
“次”が楽しみになるって、悪くない。
AICOと椎名さん。
少しずつ変わっていく時間の中で、
俺の中にも、確かに何かが芽生え始めていた。
──それが「恋」かどうかは、まだ分からないけど。
⸻
【次回予告】
ついに椎名さんとのデートを終えた湊。
こっそり行ったつもりだったのに──
翌朝、教室の扉を開けると……
⸻
「で、出たあああああ!!!」
「勇者様じゃ!!! 伝説の恋人デートを成し遂げし者じゃー!!」
「おんぶしろ! 肩車しろ! なんか担げぇぇ!!」
湊「え、え、えっ!?」
……誰かが漏らした!? 男子校の謎ネットワーク、恐るべし。
⸻
次回、第十話「湊、そして伝説へ。」
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