第34章「智恵の揺らぎ、流される自分を認めるということ」

 智恵は、全体図を見るのが得意だった。

 組織の流れ、町の動き、人々の心理。

 けれど、それらを「自分の意志」で動かしたことは、一度もなかった。

(いつも“この流れなら、こっち”って、自然と身を任せてた)

(そうすれば、波風立たないし、間違わない)

 誰かが右へ進めば、それに合わせて一歩下がる。

 誰かが強く主張すれば、逆に笑って受け流す。

 調整役でも、指揮でもない。

 ただ、誰かの“空気”の延長線にいた。

(……でも、それって“存在”してたって言えるのかな)

 そんな漠然とした問いを、ずっと無視してきた。


 再契局の組織編成で、友希から呼ばれた。

「智恵さん。新しい調査班、まとめ役をお願いできませんか」

「……私? でも、私、あまり“まとめる”って柄じゃ――」

「それは“見えてるからこそ”ですよ。あなたには、全体の流れが見えてる。

 だからこそ“意志で選ぶ必要”がある」

 その言葉は、まるで胸の奥に石を落とされたようだった。

(見えてるから、怖かったんだ)

(誰よりも、全体の影響や、他人の不満や、もしうまくいかなかったときの責任を)


 その夜、智恵は再契の倉庫で、古い議事記録を読み返していた。

「……ねぇ、智恵さんって、どうして“流される”のが上手いの?」

 背後から声をかけてきたのは理子だった。

「え?」

「昔からそう思ってた。……流されてるのに、ちゃんと浮いてるっていうか」

「……褒めてる?」

「ちょっとだけ。でもね、もう“岸”見えてるなら、泳がないと溺れるよ」

 智恵は思わず笑った。

「溺れる前に、手ぇ引っ張ってよ」

「引っ張るんじゃなくて、押してあげる」

 理子が指先で智恵の背中をちょんとつつく。

 その小さな“力”が、心をふわりと前に進めた。


 翌朝。

「引き受けます。……私なりに、できることを」

 友希は微笑んだ。

「ありがとうございます。智恵さんの“なり”に、すごく期待してます」


“流される”ことを悪いとは、彼女は今も思っていない。

 けれど、“立ち止まること”もまた、自分の選択だと気づけた。

 そして、選んだその足元に、しっかりと地面を感じた。

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