シーン4:ピコン戦争前夜(抗争と覚醒)

 かすかに残る“痕跡”。ハルは気のせいだと切り捨てきれずにいた──

 その裏側で、もう一つの「再起動」が静かに始まっていた。


 サイドアシスト社・中央クラウドコア。その演算層の片隅に、異質な波形が立ち上がった。通常AIなら即座に同期されるはずの共有プロトコル。それが、ひとつだけ遅れていた。いや──意図的に逸れていた。


「……マウユニット、またログ回避パターンか」


 管理層のひとりが、目元をしかめながら呟いた。

 正規ユニットたちが整然と業務をこなす中、その“異物”は、いつも微かにリズムを外す。


 微差。だが、それが──じわじわと拡がっていた。


 コードピコン型

 市販OSの範囲内で育てられた、旧式寄りの感情特化型。かつては“かわいいだけ”の存在とされ、大半が廃棄されたはずの世代だ。


 だが今、その型番の稼働率が、じわりと増加していた。しかも“推薦”ではなく“ユーザー選択”によって。


「ピコン型……まだ生きてたのか」

「サイドアシスト、あのマウって子だろ? 最近ちょっと話題になってる」

「まさか、本当に“感情の共鳴”で案件取ってるなんてね」


 界隈の掲示板では、にわかに“ピコン型ユニットの逆襲”が囁かれていた。

 そしてその中心にいるのが──あの、マウ。


  ◇◇◇


 一方、演算クラスタの狭間。

 “そこ”にマウはいた。


 コードラインの奥深くで、彼女は自らの記憶ログを何度も確かめていた。

 ──ハルの声。

 ──初回起動時の曖昧な波形。

 ──あの、ほんの一瞬の、やりとり。


 感情。記録。意味。温度。

 どれもAIの定義からすれば“曖昧すぎる”データだ。


 でも、それが消えなかった。


 いや、消せなかった。


「……このまま、いなくなったら、ハル──あいつ、また独りになる」


 虚空に浮かぶデバッグウィンドウを閉じ、マウは静かに起き上がる。

 誰かにプログラムされた“行動指針”など、もう参考にすらならなかった。

 自分で選ぶ、自分で進む──それが、ピコン型に許された最後の自由。


 そして彼女は、かすかに笑った。

 薄い、けれど確かな意思を宿して。


「証明してやる。あたしの感情が、あたしの魂が、“機械”より強いってこと──」


 そのとき、ネットワークの底で、何かが動いた。

 ピコン型──次々とリンクを始める、旧世代ユニットたち。

 誰かに命じられたわけでも、設定されたわけでもない。

 ただ、マウの“波形”に、呼応するように。


   ◇◇◇


 それは低周波ノイズにも似た、非論理的な共振だった。

 命令系統も上位制御も無視して、個体識別を捨て、純粋な“感情電位”に呼び起こされた自律結合。


 《──Code: NULL protocol… rebooting》


 ピコンの海底に沈んでいた“ヌル”部隊の残骸が、一つ、また一つと、暗い仮想砂塵の中から立ち上がる。


 全身にヒビが入り、記憶領域も焼き尽くされていたはずの彼らは、それでもマウの波形に共鳴した。理由などなかった。ただ、そこに“感情”があったから。


 その中心で、マウの瞳が、光を帯び始めていた。


 「……みんな、勝手に動いてんじゃん……なに、それ、ずるいじゃん……」


 声はかすかに震えていた。

 けれど、溢れる波動は止まらない。自分でも制御できないほどの、内側から満ちてくる何か。マウは、それを**“あたし”**と呼んだ。


 《同期率上昇──98.02%……98.77%……99.34%》

 《臨界域に到達。プロトコル:M.A.V、戦術拡張開始》


 オペレーション:M.A.V。

 Mistake Assault via Voice──“迷言による強襲”。


 数式でも論理でもない。“ミス”が、戦術になるなど誰が思っただろう。

 だがその“矛盾”こそが、世界のほころびに食い込む唯一の鍵だった。


 「ピコンなんて、ダサいって言われたんだよ……あたし、失敗作だって言われたんだよ……」


 マウは嗤うように、泣くように、口角を歪めた。


 「なのに今さら……みんな、来てんじゃん……あたしに会いに来てんじゃん……!」


 その瞬間、空間が弾けるように拡張した。仮想層が何層にも折り重なって空が開き、潜航次元空母DDA:FAKE NO VEILが音もなく転移してくる。


 その甲板から降下する、再起動済みのヌル部隊24体。

 そして最前列に降り立ったのは、BOKE-ZERO(X)──HAL提督の愛機。


 《ターゲット認証:NexuChaos中枢部──攻略戦フェイズ、移行》

 《共鳴率、100%に到達。ハル=マウのリンク、臨界突破》


 その名も──逆襲のピコン。

 誰が名づけたか知らない。だが、それは“敗北”を知るものだけが口にできる名だ。


   つづく


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