第5話 裏サイトの噂
六月の終わり。雨脚が強くなるごとに、校内にはある“噂”が静かに広がり始めていた。
──《放課後、校内の3つの“水回り”を巡って鏡を覗くと、本当の自分が見える》
発端は、学校の裏サイトだった。
匿名掲示板に投稿された一連のスレッド。
No.134:
昨日、旧館のトイレ→理科準備室→音楽室の鏡を順に覗いた。
最後の鏡に映ってたのは、笑ってる“自分”だった。……だけど、笑ってなかったのは俺の方。
No.138:
同じくチャレンジしてきた。最後の鏡、まばたきしてた。俺、目つぶってたのに。
軽いイタズラ半分で始まったこの“裏ルート”は、やがて「本当にやばい」と囁かれ始めた。
◆
「……ユウト、このスレ、知ってる?」
放課後、イロハがスマホを差し出した。
画面には、「#鏡3巡りチャレンジ 成功報告まとめ」というページが表示されている。
「やめといたほうがいい。遊びじゃない。……これは“呼び水”になってる」
ユウトの表情が曇る。
ここ数日、保健室に運ばれる生徒が増えていた。しかも、全員“夢遊状態”だったという。
「本当の自分が見えるって、言葉が一人歩きしてる。でもさ……“本当の自分”って、誰なんだろうな」
イロハがぽつりと呟いたそのとき、校内放送がざらついたノイズとともに流れ出した。
「……生徒の皆さんは、放課後、旧館に立ち入らないよう……」
その警告は、むしろ逆効果だった。
◆
その夜。ユウトとイロハは、敢えて裏サイトの“指示”通りに3つの水回りを巡ることにした。
旧館2階の“止められたはずの”トイレ。
理科準備室にある実験用シンクの鏡。
音楽室の奥にある、使われなくなった全身鏡。
「異変が起きてるのは“順番”に意味がある。これはただの肝試しじゃない。“仕組まれた儀式”だ」
ユウトの勘は的中していた。
1つ目のトイレ。
個室の中から、水音とすすり泣きが聞こえた。覗くと、誰もいないはずの鏡に、
ユウトの“後ろ”にイロハが立っていた――はずなのに、彼女は廊下にいた。
2つ目、理科準備室。
鏡に映る自分が、唇を動かしていた。音はない。だけど、はっきりと読めた。
「しってるでしょ、ほんとうは」
3つ目、音楽室。
重たいドアを開けると、鏡はすでに曇っていた。
ユウトが近づき、手のひらで拭う。そこに映った“自分”は、笑っていた。
にたり。
その笑顔は、他人の顔を無理に引き伸ばしたような、いびつな笑顔だった。
「……ッ!」
次の瞬間、鏡面から水が“飛び出した”。
液体のような光がユウトに絡みつき、引きずり込もうとする。
「ユウト!!」
イロハが叫び、取り出した“砕けた鏡の欠片”を床に投げつける。
ピシィィッという音とともに、空間がひび割れ、鏡面が砕けた。
床に倒れ込んだユウトは、息を荒げながら言った。
「……やっぱり、あれは俺じゃなかった。“本当の自分”なんかじゃない」
「きっと……“そうなりたかった自分”が、鏡の中に生きてるだけだ。
でも、そいつはもう、“鏡から出たがってる”」
そして思い出す。数日前、誰かが言っていた。
「最近、似たような顔のやつを何人か見た気がするんだよな……影が薄いっていうか、“どっちが本物か”わかんなくなる感じ」
イロハが呟く。
「鏡の中の“もう一人の自分”が、代わりにこの世界に出てきたら……」
ユウトは黙ってうなずいた。
裏サイトの怪談は、“ただの遊び”ではなく、“現実の侵食”だったのだ。
◆
翌日、音楽室の鏡は学校側の判断で完全に撤去された。
しかし、裏サイトには新たな投稿があった。
No.201:
鏡、撤去されてた。けど、トイレと理科準備室だけでも“見える”らしい。
今夜、また行くわ。
ユウトはスマホを閉じ、ため息をついた。
「……もう始まってる。
これは、“怪談”じゃなくて、“侵略”だ」
イロハが真剣な眼差しで言う。
「止めよう。
私たちが、“本当の現実”を守らなきゃ」
雨は今日も降っている。
その水面に、いくつもの“もう一つの笑顔”が、にじんでいるように見えた。
放課後の雨は途切れることなく、屋上の水たまりをじわじわと満たしていた。
今、学園にはもう一つの“噂”が静かに広がり始めていた。
──屋上のフェンスに立つ少女。
──誰も気づかない。誰に話しても「見えなかった」と返される。
──ただひとつ確かなのは、“彼女は、ずっと落ちない”ということ。
◆
「これが今、裏サイトで話題の“見えない自殺者”ってやつか……」
ユウトはスマホを閉じ、イロハに向き直った。
「何人かが撮影に成功したって言ってたけど、全部ブレてて顔もわからない。
でもさ……なんで誰も“落ちない”って知ってるんだろうな?」
「……誰かが“落ちるのを見た”けど、それを“落ちたと認識できなかった”とか……?」
イロハの言葉に、教室の空気が一瞬沈む。
そんな折、担任の三笠先生が職員室から戻ってきた。
机の上にどさっと古い書類を置きながら、小さく呟いた。
「この学校、昔、屋上立入禁止になったことがあるんだよな。……生徒の失踪が続いた年に」
ユウトの胸がざわついた。
「それって……何年くらい前の話ですか?」
「十年、いや、もっとか。もう卒業アルバムにも載ってない子たちだよ。
でも、不思議なんだ。
名前が“記録されてない”のに、“誰かがいた記憶”だけが残ってる……」
先生は苦笑しながら言ったが、それはまさにユウトたちが今、戦っている“現象”そのものだった。
◆
その夜、ユウトとイロハは屋上へ向かった。
学校の鍵を管理している風紀委員の協力で、夜間の許可を“裏技”で取った。
屋上は静かだった。
でも、そこには“気配”があった。
そして、いた。
フェンスの上に立つ少女。
セーラー服、濡れた黒髪、そして虚ろな目。
「いる……本当に」
イロハが呟く。
少女は振り返らない。
ただ、下を見下ろしている。
ユウトが一歩踏み出すと、彼女の肩がぴくりと動いた。
「……ねえ、君、ずっとここにいるの?」
少女は、ゆっくりとこちらを向いた。
そこにいたのは、“誰か”の面影を持った“他人”だった。
記憶の中の“クラスメイトに似ている”、でも“名前が思い出せない”。
「わたしは、忘れられた人間。
あなたたちに“選ばれなかった方”の記憶。
だから、ここで待ってるの」
その声は風に溶け、次の瞬間、少女の影が鏡のように揺れた水面へと吸い込まれた。
――パシャッ!
飛び散る水。ユウトが駆け寄ると、そこには少女はいなかった。
だが、足元の水たまりが鏡のように輝いていた。
そこに映っていたのは、自分たちではなかった。
映っていたのは、**教室で笑っているユウトとイロハを、黙って見つめる“あの少女”**だった。
◆
翌朝。
誰もいないはずの席に、ノートが置かれていた。
名前は書かれていない。
でも、そこに貼られていたプリクラは、明らかに**誰かと仲良く写った“記録”**だった。
「この子……誰?」
イロハが問いかける。
だが、誰も答えられない。
クラスの全員が、その顔に“見覚えがあるようでない”という顔をする。
ユウトは気づいていた。
屋上で見た少女の、記憶が、誰かの記憶に“戻ってきた”ことを。
だが、同時に気づいた。
教室の中に、“誰か一人分だけ、多い”ことに。
カラン……と、水のしたたる音が、どこからともなく響いた。
放課後。日が沈み、校舎に夕闇が落ちる頃。
教室に微かに響いた、“誰にも聞こえない音”――それは、始まりの合図だった。
「……今、放送、流れた?」
イロハが顔を上げた。
「……いや。何も聞こえなかったけど……でも、なんか“頭の奥”に入ってきた感じがした」
ユウトも同じ感覚を覚えていた。
言葉ではなく、“誰かの気配”が、直接脳に触れてくるような異常。
その日から、毎日同じ時間――午後五時五分。
放送室から“音のない放送”が流れるようになった。
◆
「これ、ほんとに“放送”なのか?」
ユウトたちは放送室前まで来ていた。
ドアの前に立つと、かすかに空気が振動している。
しかし、室内からは一切の音も、機械の作動音すらもしない。
「入るよ」
イロハが小声で言って、ドアをゆっくり開ける。
カチリ。
テーブルの上に置かれたマイクのランプが、ひとりでに点灯した。
しかし、マイクは誰にも握られていない。
そこに“誰か”がいたような空気だけが、部屋を満たしていた。
そして。
スピーカーから、「何かが喋っているような音」が流れた。
それは“音”ではなかった。音の“輪郭”だけが浮かび、意味が形にならない。
「……声じゃない。これ、“記憶”だ」
ユウトがつぶやいた。
確かに、これは“思い出そうとすると、すり抜けていく何か”の感触だった。
すると――スピーカーの奥から、子どもの笑い声が響いた。
瞬間、イロハが身体を強張らせる。
「この声……わたし、知ってる」
彼女は、ゆっくりと指を宙に伸ばした。
何もないはずの場所に、まるで“誰かの頭をなでる”ように。
「小学生のとき、転校してきて、すぐいなくなった子……名前は思い出せないのに、遊んだ記憶だけがある。
……この声、その子だ」
ユウトが手にしていたICレコーダーを止めると、不思議なことに録音された波形は**“全くの無音”**だった。
「……録れないんだ。これ、現実の音じゃない。
“記憶の周波数”って言えばいいのか……」
◆
その夜、ユウトは再び裏サイトを開いた。
そこに、1件の投稿が増えていた。
No.231:
放送室に“昔の友達”がいる。
名前も顔も思い出せないけど、会いに行けた。
……次は、“自分も向こうに行ける気がする”。
画面の下には、“録音ファイル”が添付されていた。
再生ボタンを押した。
──無音。
しかし、その無音の中に、ユウトは自分の“幼い声”を聴いた。
それは忘れていたはずの、幼少期の“ある記憶”。
「たすけて、ユウトくん。ここ、こわいよ。でられないよ」
誰かが助けを求めている。
しかし、その“誰か”は、もうこの世界には存在していないはずだった。
◆
翌朝。校内掲示板に、妙な張り紙があった。
「放送室への立ち入りを禁ず」
「午後五時五分、決して音を聴かないこと」
生徒の誰もが「誰が貼ったかわからない」と口をそろえる。
だがその紙の隅には、細いペン字でこう書かれていた。
「わたしの声、まだ届いてる? 忘れないで。わたしは、“あなたの一部”だった」
◆
その日の午後五時五分。
誰もいないはずの放送室から、また“記憶の音”が流れる。
ユウトとイロハは、ドアの外に立ったまま、スピーカーに耳を澄ませた。
「……僕たちは、どれだけの“自分自身”を、捨ててきたんだろうな」
イロハは目を閉じる。
「思い出せない誰かを、思い出そうとすること。
それって、“自分がまだ壊れてない”証なんだと思う」
ユウトは静かにうなずいた。
だが、その瞬間――放送室のドアのすき間から、“小さな手”が覗いていた。
それはまるで、「次は、あなたの番」と言っているかのように。
そして――
放送が終わると同時に、一人の生徒が教室から姿を消した。
翌朝、消えた生徒の席は空のままだった。
教室中の視線が、一箇所に集まる。
「彼女、どこに行ったんだ……?」
ざわめきの中、ユウトはふと気づいた。
その生徒が最後に言っていた言葉。
「図書室の奥にある階段、入っちゃダメだよ」
イロハの顔も強張った。
「その“階段”、私も昔から気になってた。
図書室には、誰も知らない秘密があるって……」
◆
昼休み。二人は図書室へ向かった。
静かな空間に、古い本の匂いが充満している。
奥へ奥へと歩くと、壁の一角に薄く埃をかぶった扉が見つかった。
普段は閉ざされているその扉は、なぜか今日は少しだけ開いている。
「これが……抜け道?」
ユウトが手を伸ばすと、扉は軋みながらゆっくりと開いた。
階段がそこに続いていた。
◆
階段は薄暗く、湿気を帯びている。
だが、どこか温かみのある不思議な空気が漂っていた。
「行こう、イロハ」
二人は互いに目配せし、階段を下り始めた。
◆
階段を降りると、見知らぬ廊下に出た。
古い木の床、壁には錆びた鉄格子。
時間の流れが歪んでいるかのようだった。
「この場所……本当に学校の中なのか?」
イロハがつぶやくと、遠くからかすかな声が聞こえた。
「助けて……」
声の方へ近づくと、小さな教室の扉があった。
ドアの向こうには、さっき消えた生徒が座っていた。
「ここは……?」
生徒はぼんやりとこちらを見て答えた。
「ここは、忘れられた場所。
ここに来ると、時間が止まる。
私たちは、誰にも気づかれない“存在”になる」
ユウトの胸に、冷たい何かが落ちた。
「つまり……ここにいる間は、生きているのに“消えた”扱いなんだ」
「そう。
でも、私たちは忘れられたままじゃない。
君たちが思い出してくれるまで」
◆
そのとき、背後の扉がバタンと閉まった。
階段の入口も塞がれ、二人は閉じ込められた。
「どうしよう……」
イロハの声が震えた。
だがユウトは決意を固めていた。
「ここで終わらせない。
消えた仲間たちを、連れて帰るんだ」
◆
二人は懐中電灯の光だけを頼りに、暗く長い廊下を歩き始めた。
足元からは、水がポタポタと落ちる音が響く。
その先に待つものは――
薄暗い廊下を歩くユウトとイロハの足元に、水がポタポタと落ちる音が響いた。
まるで地下の水脈が、彼らを導くかのように。
「水……この音、どこから来てるんだ?」
イロハが足元の床を見つめる。
そこには小さな水たまりが点々と続いていた。
「光が映ってる……?」
水面に映るのは、二人の姿だけではなかった。
水たまりの奥底に、まるで異世界のような深淵が広がっている。
◆
「見て……あれは……」
ユウトが指差した先には、ぼんやりと人影が揺れていた。
それは、消えたはずの生徒たちの姿だった。
「記憶が、水に溶けてしまっているみたいだ……」
イロハはそっと水面に手を差し入れた。
すると、水は震え、何かが動き出す気配がした。
「この水は、忘却の境界線。
水たまりの向こう側は、“忘れ去られた世界”に繋がっている」
ユウトは息を呑んだ。
「俺たちはここで、仲間を取り戻さなきゃいけないんだ」
◆
深淵の水面に映る景色は、彼らの記憶の断片で出来ていた。
友達との笑い声、授業の光景、放課後の風景――
「この水に映るものは、すべて“忘れたくない思い出”だ」
イロハの声は震えていた。
「でも、同時にここは、“忘れてしまった記憶”も映し出している。
だから、この場所は危険なんだ」
突然、水面が激しく揺れだした。
水たまりの中から、影が浮かび上がる。
「戻ってきて……戻ってきてよ……」
影は二人を掴もうと伸びてきた。
だがユウトはその手を払いのけ、イロハを守った。
「俺たちはここで終わらせない。
お前らは帰る場所がある」
◆
水たまりの底から、消えた生徒たちがゆっくりと浮かび上がってきた。
彼らはもう一度、生きることを望んでいるように見えた。
「一緒に帰ろう」
イロハが声をかける。
そして、深淵の水面が静まり返った。
◆
出口の扉が再び開き、廊下の明かりが彼らを迎えた。
消えた生徒たちも、その光の中に吸い込まれていく。
「帰ってきたんだ……」
ユウトは安堵の息をついた。
しかし、学校はまだ完全に平穏を取り戻したわけではなかった。
遠くから聞こえるのは、まだ解けていない謎の音。
そして、何かが水の中で待っている予感。
放課後の校舎に、静かに、しかし確かに響く「水の囁き」が戻ってきた。
ユウトとイロハが深淵の水たまりから戻ってから数日。
消えた生徒たちは元気を取り戻し、日常は少しずつ戻りつつあった。
だが、二人の胸には消えない不安があった。
「あの水の底には、まだ何かが残っている……」
イロハはそう呟いた。
◆
放課後、ユウトは一人で図書室に向かった。
消えた生徒たちの記憶と向き合うため、調べたいことがあった。
古びた資料の中に、こんな言葉があった。
“水鏡は真実を映し出すが、同時に魂を奪う。
語られぬ呪いは、終わりなき囁きとなりて、永遠に彷徨うだろう。”
「魂を奪う……?」
ユウトは背筋に冷たいものを感じた。
◆
その夜。
ユウトの携帯に、裏サイトから謎のメッセージが届いた。
“すべては始まったばかり。
真実を見届ける覚悟はあるか?”
恐怖と好奇心が交錯する中、ユウトは決意する。
「最後まで、この謎を解き明かす……」
◆
翌日。
学校の水回りで再び異変が起こり始めた。
「蛇口から水が止まらなくなった」
「鏡に映る自分が、微かに動いた」
異常の中心は、いつも決まって“水”と“鏡”だった。
ユウトとイロハは最後の手がかりを求めて、放課後の廊下を歩く。
「これで終わらせよう」
イロハが言う。
◆
放送室。
再び音のない放送が流れ、二人は耳を澄ませた。
「水鏡の底で囁く声……それは、忘れ去られた魂の叫び。
僕たちの記憶が繋がり、真実を映し出すとき、すべては終わる」
声が波紋のように広がり、教室の壁を震わせた。
そして――
水たまりの水面に、二人の顔がゆっくりと映し出された。
「これが……僕たちの“本当の姿”?」
鏡の中の自分が微笑み、手を伸ばす。
ユウトとイロハはお互いの手を取り合い、深い水の中へと沈んでいった。
◆
やがて二人が見たものは、学校にまつわる隠された真実。
水に呑まれた魂たちの記憶の断片。
そして――彼らを待つ“終わりなき水の囁き”の真実。
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