霊界の扉と白き林檎の囁き
博士のクローン集合体から「黒きバラの鍵」を受け取り、私たちはアカシャの元へと帰還した。鬼の末裔から託された「白き林檎の種」と合わせて、これで「創世の残り火」へ至るための二つの鍵が揃ったことになる。
『ほう……『黒きバラの鍵』か。それは、アビス・コアとは異なる法則で成り立つ、いわゆる『霊界』と呼ばれる高次元空間へのゲートを開くための触媒だ。そして、『白き林檎の種』……それは、父なる破壊の瞳の憎悪と、原初の鬼ルービリックの絶望が凝縮された、強大な負のエネルギーの塊。同時に、それは極めて純粋な『生命力』の種でもある。この二つが揃えば、確かに物質宇宙と霊的宇宙の狭間、時間と空間を超越した領域への道が開かれるやもしれん』
アカシャは、二つの鍵を分析しながら、興味深そうに言った。
「霊界……。それは、死んだ魂が行き着く場所ということかしら?」
私が尋ねると、アカシャは静かに首を振った(ように見えた、水晶体の一部がそう動いたのだ)。
『必ずしもそうとは限らん。霊界とは、物質的な束縛から解放された意識エネルギーが漂う、広大な情報空間とでも言うべき場所だ。そこには、過去、現在、未来のあらゆる情報が渾然一体となって存在し、強い意志を持つ魂は、そこで新たな形を得ることも、あるいは永遠に彷徨い続けることもある。そして、『創世の残り火』と原初の千年種は、そのような特殊な時空の歪みに封印されている可能性が高い』
アカシャの言葉は難解だったが、つまりは、私たちが目指す場所は、普通の宇宙船で到達できるような物理的な場所ではないということらしい。
「その霊界への扉は、どうすれば開くの?」
『『黒きバラの鍵』は、それ自体が小型の次元ゲート発生装置のようなものだ。そして、『白き林檎の種』をそのエネルギー源として使用することで、安定した霊界へのポータルを形成できるだろう。ただし、霊界は極めて不安定かつ危険な空間だ。そこでは、お前たちの物理的な肉体は意味をなさず、精神力と魂の強さが全てを左右する。そして、一度足を踏み入れれば、二度と物質宇宙へ戻れなくなる可能性もある』
アカシャの警告は、私たちの覚悟を試すかのようだった。
「それでも、行くしかないでしょう。私たちが何者なのか、その答えを見つけるために」
私の決意は固まっていた。サヨもルナも、黙って頷いている。彼女たちもまた、この旅の果てに何が待っていようとも、私と共に進む覚悟を決めているのだ。
アカシャの指示に従い、私たちはノアの方舟の内部に、特殊な祭壇のようなものを設置した。その中央に「黒きバラの鍵」を置き、その周囲に「白き林檎の種」を配置する。
「ヒメカ様、準備が整いました。ポータル起動シークエンスを開始しますか?」
セバスチャンの声が、静かな船内に響く。
「ええ、お願いするわ」
セバスチャンがシステムを起動すると、「黒きバラの鍵」が淡い黒色の光を放ち始め、それと同時に「白き林檎の種」からも、血のような赤いオーラが立ち上り始めた。二つのエネルギーが絡み合い、空間が歪み、やがて祭壇の上に漆黒の渦のようなものが現れた。それが、霊界への扉だった。
『……ヒメカ……聞こえるか……?』
その時、私の頭の中に、直接語り掛けてくる声があった。それは、あの鬼の末裔の声だった。
「あなたは……!?」
『そうだ……。俺の魂は……この種と共にあった……。お前たちが……この種を『創世の残り火』に……かざしてくれることを……信じて……』
彼の声は、以前よりもずっと穏やかで、そしてどこか安らかだった。
『霊界は……お前たちの想像を超える場所だ……。そこでは……強い願いや……憎しみ……愛……あらゆる感情が形を持つ……。気をつけろ……。そして……もし……ルービリックの魂に出会うことがあったなら……伝えてくれ……。もう……戦いは……終わりだと……』
その言葉を最後に、彼の声は途絶えた。
「……行きましょう」
私は、サヨとルナに頷き、漆黒の渦へと一歩足を踏み出した。セバスチャンは、物質的な存在であるため、霊界へ同行することはできない。彼は、ノアの方舟と共に、私たちが帰還するのを待つことになる。
霊界への扉を抜けた瞬間、私は今まで感じたことのない奇妙な感覚に襲われた。肉体の重みが消え、意識だけが浮遊しているような感覚。周囲には、色も形も定まらない、無数の光や影が漂っている。それは、まるで夢の中にいるかのようだった。
「……ここが……霊界……」
ルナが、不安げに呟く。
「なんだか、ふわふわして気持ち悪いねぇ……。自分の体があるのかないのかも分かんないや」
サヨも、戸惑いを隠せない様子だ。
私たちは、アカシャから教わった方法で、霊界での移動を試みた。それは、強く「行きたい場所」をイメージし、自分の意志の力でそこへ向かうというものだった。私たちの目的地は、「創世の残り火」と「原初の千年種」が眠るという、時空の歪み。
しかし、霊界は広大で、そして危険に満ちていた。私たちの精神に直接干渉してくる、負の感情の塊のような存在や、甘い誘惑で私たちを永遠の眠りに誘おうとする声。私たちは、互いに励まし合い、精神力を振り絞って、それらの障害を乗り越えていった。
そして、しばらくの間、霊界を漂流しただろうか。時間の感覚も曖昧なこの場所で、私たちはついに、何か巨大な存在へと近づいているのを感じた。それは、まるで宇宙そのものが凍りついたかのような、静謐で、そして圧倒的な存在感を放つ場所だった。
そこには、巨大な黄金色のリンゴの形をした結晶体が、ゆっくりと回転していた。その表面は、まるで氷のように滑らかで、内部には無数の星々が輝いているように見える。そして、そのリンゴの結晶体の中央に、一体の……人間? が眠っているのが見えた。
その人物は、私たちと同じように長い髪を持ち、質素な衣服を纏ってはいるが、その顔立ちは性別を超越したかのような中性的な美しさを湛え、そして何よりも、その全身から放たれる生命エネルギーは、私たちがこれまで遭遇したどの存在よりも純粋で、そして強大だった。
「あれが……『創世の残り火』……そして……『原初の千年種』……?」
私は、息をのんだ。ついに、私たちの旅の目的が、目の前に現れたのだ。
黄金のリンゴの結晶体は、時空ごと冷凍保存されているかのようで、原初の千年種もまた、その中で永遠の眠りについているように見えた。
私たちが、その結晶体に近づこうとした、その時。
『――何者だ? 我が眠りを妨げるのは』
直接、私たちの精神に響いてくる声。それは、眠っているはずの原初の千年種から発せられているようだった。その声は、穏やかでありながら、宇宙の深淵を覗き込むような、計り知れない叡智と、そして孤独を湛えていた。
「私たちは、あなたと同じ、千年を生きた者です。私たちの存在の謎を解き明かすために、ここまで来ました」
私が代表して答えると、原初の千年種の声は、わずかに揺らいだように聞こえた。
『……千年種……。そうか……。あの日……私が黄金の桃を口にしてから……そんなにも永い時が……流れたのか……』
その声には、深い感慨と、そして言葉にできないほどの寂寥感が込められていた。
「あなたは……なぜ、ここで眠っているのですか? そして、この黄金のリンゴは……?」
『これは……『始まりの果実』……。この宇宙が産声を上げた時、最初に実った生命の結晶……。そして、私は……その果実を守るために、ここで永遠に近い時を眠り続けている……。だが……私の力も……もう長くはもたないだろう……』
原初の千年種の声は、徐々に弱々しくなっていく。
『この宇宙には……大きな歪みが生じている……。『母なる瞳』と『父なる破壊の瞳』……。二つの強大すぎる力が……宇宙のバランスを崩壊させようとしている……。そして、その歪みは……この『始まりの果実』を蝕み……いずれは……宇宙そのものを……無に帰すだろう……』
彼の言葉は、ザハラの警告と一致していた。私たちが求めていた「創世の残り火」は、宇宙の存亡に関わる、あまりにも大きな存在だったのだ。
『お前たち……新たな千年種よ……。もし、お前たちに……この宇宙を救う意志があるのなら……この『始まりの果実』の力を……受け継ぐがいい……。ただし……それは……お前たちにとっても……あまりにも重すぎる宿命となるだろう……』
原初の千年種は、そう言うと、黄金のリンゴの結晶体から、三つの小さな光の種を私たちに向けて放った。それは、私たち一人一人の中に、すっと吸い込まれていく。温かく、そして強大な生命エネルギーが、私たちの魂を満たしていくのを感じた。
『そして……この『白き林檎の種』を……』
私は、鬼の末裔から託された種を、黄金のリンゴの結晶体にかざした。すると、種は激しい光を放ち始め、その中から、苦悶と憎悪に満ちたルービリックの魂の叫びが聞こえてきた。
「ウオオオオオッ! 憎イ! 全テヲ破壊シテヤル!!」
『……哀れな魂よ……。お前の憎しみもまた……この宇宙が生み出した歪みの一つ……。だが……それもまた……生命の輝きの一部なのだ……』
原初の千年種が、ルービリックの魂に向かって語り掛ける。すると、黄金のリンゴの光がルービリックの魂を包み込み、その憎悪がゆっくりと浄化されていくのが分かった。
「……あ……ああ……。もう……いいのか……。戦いは……終わり……なのか……?」
ルービリックの声は、次第に穏やかになっていき、やがて静かな光となって消えていった。「白き林檎の種」もまた、その役目を終えたかのように、静かに砕け散った。鬼の一族の呪われた宿命は、こうして一つの終わりを迎えたのかもしれない。
原初の千年種からの力の継承、そして鬼の呪いの解放。私たちの旅は、一つの大きな転換点を迎えた。しかし、それは同時に、宇宙全体の運命を背負うという、新たな、そして遥かに重い責任の始まりでもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます