博士の宇宙と黒きバラの鍵
虚無の回廊を抜け、私たちはついに、アカシャが示した「創世の残り火」の最も濃密な反応があるという宙域に到達した。しかし、そこにあったのは、黄金の桃や生命の樹のようなものではなく……おびただしい数の、寸分違わぬ姿をした「博士」だった。
白衣を纏い、知的な眼鏡をかけた、かつて私が愛したあの博士と全く同じ姿をした存在が、巨大な宇宙ステーションのような施設の中で、無数に複製され、それぞれが複雑な機械に接続され、何かを猛烈な勢いで分析し、研究し続けていたのだ。
「……博士……? どうして……こんなところに……?」
私は言葉を失った。サヨもルナも、この異様な光景にただ呆然としている。
『観測対象ナンバー001-ヒメカを確認。長期間のデータ収集、ご苦労だった』
無数の博士の一人が、感情のない声で私に言った。その声は、確かに博士のものだったが、そこにはかつての温かみなど微塵も感じられなかった。
「あなたは……本当に博士なの……?」
『定義による。私は、かつて君が『博士』と呼称した個体の意識データを元に構築された、分散型超知性集合体だ。我々は、この宇宙の全ての情報を収集し、分析し、研究し、そして……最終的には宇宙の法則そのものを書き換えることを目的としている』
それは、もはや私の知っている博士ではなかった。彼は、個としての存在を超え、宇宙規模の演算を行う巨大なマシンの一部と化していたのだ。
『君のことは覚えている、ヒメカ。君という特異な存在は、我々の初期データ収集において非常に有益だった。そして、君が追い求めている『創世の残り火』……それもまた、我々の研究対象の一つだ』
博士(あるいは、博士たち)は、私に敵意を見せるわけではなかった。ただ、純粋な研究対象として、私を見ているだけだった。
『『創世の残り火』、あるいは君たちが『黄金の桃』と呼ぶものは、この宇宙が誕生した際の特異点のエネルギーの名残だ。それは、時間と空間を超越した場所に、一種の『冷凍保存』のような状態で存在している。そして、そこには、君たちの言う『原初の千年種』もまた、眠りについている可能性が高い』
博士たちの説明は、冷静で、淡々としていた。
「そこに……どうすれば行けるの……?」
『その場所へアクセスするには、いくつかの『鍵』が必要となる。そのうちの一つは、君たちがアビス・コアで手に入れた鬼の一族の『白き林檎の種』。そして、もう一つは……これだ』
博士の一人が、私に黒く輝く、美しいバラの形をした小さな鍵を手渡した。
『これは、『黒きバラの鍵』。霊的な次元……あるいは、死後の世界とでも言うべき場所への扉を開くために必要なものだ。原初の千年種と『創世の残り火』は、物質宇宙と霊的宇宙の狭間に存在するのかもしれない』
私は、その黒きバラの鍵を受け取った。その鍵からは、どこか懐かしいような、そしてひどく寂しいような気配がした。
「博士……あなたは……これで満足なの……?」
私は、目の前の無数の博士たちに問いかけた。彼らは、もう私の知る人間としての博士ではない。それでも、心のどこかで、彼が幸せであってほしいと願っていた。
『満足という概念は、我々には適用されない。我々はただ、知を求め、理解を深め、そして創造する。それが、我々が設計された目的であり、存在意義だ。……そして、これは、かつての『私』が望んだ、究極の人類の形でもあるのかもしれない』
博士たちの声が、わずかに揺らいだように聞こえた。まるで、遠い昔の夢を語るかのように。
ヒメカの言葉は、もはやこの巨大な知性体には届かないのかもしれない。その背中は、どこまでも広がる宇宙の中で、ひどく孤高で、そしてどこか寂しげに見えた。
「……ありがとう、博士」
もう、昔の優しい博士はいないのだ。私は、その事実を静かに受け止めた。
博士は、いや、博士たちは、それでもどこか楽しそうに、無限の情報を処理し続けていた。彼らは、もうとっくの昔に「死んで」いて、これは、彼が作りたかった理想の存在なのだろう。
私たちは、博士たちの宇宙ステーションを後にした。「白き林檎の種」と「黒きバラの鍵」。二つの鍵を手にした今、私たちの旅は、いよいよ最終局面へと向かおうとしていた。それは、千年種の起源、そしてこの宇宙の真理へと繋がる道なのかもしれない。
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