3話 高井君の場合 01


 高井彰文の未来は果てしなく輝いていると思っていた。この果てしなく広がるフィールドと一緒に。

 持って生まれた感性としなやかな体。毎日の努力で得た能力とセンス。


 だが事もあろうにそのフィールドで怪我をしてしまった。輝く未来は真っ黒に塗りつぶされてしまった。


 県予選前の練習試合。相手は強豪校だった。去年も一昨年も負けて、今年こそと意気込んでいた。実際去年とは比べ物にならないほどチームも充実して、彰文もエースストライカーとして見違えるほどに成長したのに。


 あの時、右から来る奴をもっとうまくかわしていたら。もっとうまく転がっていたら。いやその前にきっちりガードしていれば。

 考えてももう遅い。


 今のこの大事な時期に怪我をして、彰文は病院のベッドの上で、大事な右足を包帯でぐるぐる巻きにされ、なすすべもなく天井を睨んでいる。



 その日も彰文は天井を睨んでいた。病室のドアが開いて看護師が入ってきた。隣のベッドを整え始める気配がカーテン越しに伝わってくる。空いていたベッドに誰かが入院してくるようだ。だが彰文にはそんなことは関係ない。背を向けて布団を被った。


 やがて入院患者と思しき若い男と、母親らしい年配の女性が入って来た。母親が看護師に礼を言って出て行く。

 一人になった男はしばらくベッドに横になっていたが、やがて、がさごそと何かを探す気配がした。


 静かな病室にいきなり大音量の音楽が流れ出した。隣の男は慌てているようだが、なかなか音楽は鳴り止まない。

 とうとう彰文は頭にきてカーテンを引き開けた。隣の男を睨み付ける。


 だが男は利き腕を怪我しているようで、睨む彰文を見ていっそうあたふたと慌てまくった。彰文は杖を引っ張り出して隣の男のベッドに行き、プレイヤーのスイッチを切った。部屋がシーンと静かになる。


「すまん。買ってもらったばかりなんで……」

 睨む彰文を見て男は小さくなって謝った。



 隣の男は亀岡といった。バイク事故を起こして肩の靭帯損傷で入院した。大学生でバンドをやっているそうで、仲間が病室に訪れると非常に賑やかになる。はじめの日に大音量でかけた曲をよく聴いていた。


 サッカー以外興味のなかった彰文も、亀岡に幾度となく聴かされて憶えてしまった。


「いつも聞いてんな、亀岡さん」

 いつも機嫌のよくない彰文に聞かれて、人懐っこい亀岡は嬉しそうに答えた。


「この曲好きなんだ。謎の歌手なんだぜ。これ一曲で消えて」

 CDプレイヤーから流れる色っぽいハスキーボイス。

「ぐっと腰に来る曲だよな」


 亀岡が陶然とした顔をする。音楽を聞いてそんな経験のない彰文にも何となく分かるほど、その曲の主は色っぽい声をしていた。

 退院の日、彰文は亀岡にCDをダビングしてもらった。


 学校には行けるようになったが、松葉杖を付いて歩く彰文を誰もが遠巻きにして腫れ物に触るように扱う。仕方がなかった。スタープレイヤーが一日にしてどん底に突き落とされたのだ。


 歯がゆいけれど怪我は一日では治らない。リハビリもしなければならない。そうして走れるようになっても、高校最後の試合はもうとっくに終わっているのだ。


 そんなときに気を紛らわせるように聴くのはあの曲だ。亀岡は腰に来ると言ったけれど、彰文はその声に惹かれた。どんな女性が歌っているのかと思う。


 その日も学校帰りに近くの公園でいつもの曲を聞いていた。

「素敵な曲ね」

 突然声をかけられて顔を上げる。黒っぽい服を着た髪の長い綺麗な女性が立っていた。


「その歌を歌っている人を知っているわ。会いたい?」

 耳に優しいアルトの声が誘うように囁く。

「会いたい」

 思わず釣られるように答えていた。

「会わせてあげる。どんな人でもいい?」

「もちろんだ」

「じゃあこれをあげる」


 女性が手に持ったものを差し出した。彰文は何故かそれを受け取ってしまった。

 手の上に小さなピンポン球くらいの丸いものが乗っかっている。透き通って中にピンクや紫のふわふわしたものが揺れている。非常に壊れやすくて脆そうに見える。


(何だろう、これは…)

 目を上げると、それをくれた女性の姿は何処にもなかった。

(曲の主に会わせてくれると言った筈だが)

 丸いものを持ったまま、訳が分からなくて彰文はその場に佇んだ。

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