02


 女性を追いかけて行こうにも、杖をついてやっと歩いている状態なのだ。彰文は諦めてまたベンチに座る。


 気を取り直してプレイヤーのイヤホンを耳に当てようとすると、大きな手がいきなり片方を奪った。見上げると、いつの間に来たのかでかい男が彰文の前に立って、イヤホンを耳にあて、同じ曲を聴いている。


「おい!」と立ち上がろうとしたら、女性に貰った丸いものが膝から滑って落ちた。

「あ……」


 手を伸ばしたがすでに遅し。丸いものは地面に落ちてパーンと割れた。中で漂っていたピンクや紫の粉が舞い上がった。

 それは呆然と見ている彰文と、目の前に立っているでかい男の頭の上に降り注いだ。


 大男の頭にピンクや紫の粉が乗っかっている。ジャケットを着てネクタイを締めた男の頭の上に乗っかっているのは、かなりみっともない。それは押し付けられたとはいえ、自分の貰ったものなので、彰文は立ち上がって相手の男の頭を払おうとした。


 彰文だってスポーツをやっていて、背も高いし身体も鍛えている。だが男は、それよりも背が高い上に横幅もあった。

 その大男が彰文の伸ばした手を掴んで高い上背から見下ろす。


 喧嘩なら負けない自信はあった。相手が少しぐらい大きくても関係ない。だが今は足を怪我をしているのだ。やばいんじゃないか。


 しかし大男は彰文を抱きしめると、なんとキスをしようとしたのだ。慌てて避けようとしたら、かえって唇を掠めてしまった。


「なっ、なっ、なにを……」

 彰文は大男の腕の中で、じたばたと慌てた。何でいきなりそんなことをされるのか分からない。


 抗議をしようと男を見上げると、頭の上に乗っかったピンクや紫の粉が光り輝く雲になってきらきらと踊っている。

 どうなっているんだと自分の目を疑って、ぱしぱしと瞬きをするけれど、それはなくならない。


 大男はそんな彰文に関知しないで、嬉しそうに言った。

「ワタシの歌だ」

 どこかで聞いたような、少し高いハスキーボイス。変な訛りがある。黒い髪に茶色っぽい瞳だが、彫りが深くて色も白くて、どことなく外人っぽい。ハーフだろうか。


 いや、それより何より、大男は変な事を言わなかったか。

「あんたの歌!?」

「ソウダ。昔の歌だ。まだ聞いてくれる人がいて、ワタシは嬉しい」


 何と目の前の大男が、この腰にぐっと来る歌を歌っていたのか。なるほど、どこかで聞いたような少し高いハスキーボイスだが、彰文はてっきり女性が歌っているものと思っていた。CDを聞いただけでは全然分からなかった。


「さっき、綺麗な女性が来て、ワタシのファンが待っていると、ここを教えてくれた」

 じゃあ、先ほどの女性が会わせてくれると言ったのは、嘘ではなかったのか。


 それにしても、大男は彰文を抱きしめたままだ。いいかげん離して欲しいと思う。

 しかし、彰文が離れようと男の腕の中で藻掻くと、男は余計に彰文を抱きしめて言ったのだ。


「ワタシ、あなたの為に歌う」

 耳元で男が歌い始める。

「うっ……」

 男の声だ。男の声なのに、なんで腰に来るんだ。

 力が抜けてへたり込みそうになる。

 男は彰文を更に抱きしめて耳元で囁いたのだ。


「ワタシのファン、大事にする。もっと歌を聞かせる」

 否も応もなく、彰文はそのまま大男に公園から連れ去られた。


  ◇◇


 男が公園の側に停めていた車に彰文を乗せて、連れて行ったのは街中に建つ高級マンションだった。エレベーターに乗って連れ込まれた広い部屋を観賞する暇もなく、彰文を抱き上げて、男は奥の部屋に突進する。


 ドアを開けると大きなベッドがでんと真ん中に鎮座していた。そのままベッドに彰文を抱えて行く。

「ちょっ…、冗談じゃない」

 ベッドに降ろされて男に喚いた。


「そう。冗談じゃありません。ワタシ、ファン大切にする。サービスばっちり」


 大男はそう言ってウインクをしてみせる。外人っぽい大男だからそういう仕草は似合っているが、どういうファンサービスなんだ。


「君の名は?」

 ベッドに片膝ついて、彰文の身体に手を伸ばしながら、色っぽいハスキーボイスで聞いてくる。


「高井彰文……」

 答える気がないのに答えてしまった。怪我した足を庇いながら、ベッドの上をいざって逃げる。


「アキフミ。ワタシ、アダム・ゴトー」

 しかしせっかく作った距離を、あっという間に狭めて、つつつとにじり寄ってきた大男、アダムが彰文の肩を掴んで抱き寄せる。


 じたばたと藻掻いたが大男は腕力も強くて、あっという間に彰文を体の下に組敷いた。


 顔が近付いてくる。

「可愛い…」

 彰文のような体格のよい男に言う台詞とも思えない。


 目をむいてじたばたと藻掻く彰文に、アダムは嬉しげにチュッと音がするようなキスを何度も寄越す。頬にも目にも耳にも鼻にも。そして唇も好きなだけ啄ばむ。


 自慢じゃないけれど、スポーツ少年で練習に明け暮れた毎日を送っていた彰文には、キッスなんぞの経験はなかった。

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