第4話


「ただいま……」


「おっ。おかえりー。メリク」


 扉を開くと声が返った。

 イズレンが机の椅子から振り返って手を振っている。

 彼が昼間から机に向かい合っているのは非常に珍しい姿だった。

「ただいま、イズレン。これお土産……良かったら食べて」

「おーっ美味そうだなぁ。講義までまだ時間あるだろ。丁度いいや茶でも入れて食べようぜ」

 な! とイズレンが笑いかけて来た。

 メリクは表情を緩ませるとうん、と頷く。

 メリクが制服に着替えているうちにイズレンがお茶を入れてくれた。



「あのさあ……メリク」



「うん?」

 クッキーをぽりぽりと割りながらしばらく他愛無い話に笑い合っていたのだが、不意にイズレンが話を変えて来た。


「俺さ。……宮廷魔術師、目指してみようと思うんだ」


 メリクはカップをテーブルに戻す。

「違うぞ、別にあいつと付き合いたいとか見返してやりたいとかそんな理由で言ってんじゃない」

「ああ……」

 ホッとしたようなメリクの声を聞いてから、イズレンも頷いた。


「でも、あいつの言うことも、ちょっとは分かるなと思い直してさ。

 俺なんか何の目的も無くここにいるだけだろ。

 周りにゃ宮廷魔術師になろうと思って必死になってる奴も、ここで勉強を重ねて故郷で教師になろうとしてる奴らもいるし……それに比べると、俺は何も考えてなかったなって。気づいてさ。今更だけどな。

 ……でも、このまま何にもせずいるより始める方が、ちょっとでも現実は違うだろ?」


 メリクはイズレンの言葉を聞いていた。


「俺はお前に会ってさ、最初はこんなに恵まれた奴がいんのかってずっと思ってた。羨んでるんじゃない。正直な感想なんだ。お前は女王に救われて、それで王城につれて来られた。でもそんな奇跡に甘えないでいつも勉強を頑張ってる。他のことにも全部努力している。優しくて、頭も良くてさ、すごいなってずっと思ってた」

「……」

「でも、そういうお前を側で見てる俺が何も変わらなかったらさ、それは口で言うほどすごいと思ってないってことなんだよな」

「……。」

「俺とは違うって考えることで逃げてさ……」

「……」

「あいつに宮廷魔術師くらいになれって言われた時は、俺が宮廷魔術師になんかなれるかよ。出来ないこと要求すんなってすごい腹立ったけど」

「……」

「でも親にも口うるさく言われないまま自由にここまで育ててもらってさ、友達にも恵まれて三年間、本当に平穏に過ごさせてもらって来ただろ。……何ていうか、そういう俺は、宮廷魔術師『くらい』になってみせなきゃ、逆に嘘だよな」


 そう言ってイズレンは笑った。


「俺は国の為にとか、そんな大層なことは思ってない。でもここに三年間いて、本当に好きな友達や……女をさ、宮廷魔術師じゃないからなんて理由で失うんじゃ、俺の方が馬鹿だ」


「イズレン……」


「少なくとも俺がもっとちゃんとしてたら、あいつだって俺をあんな最悪な言葉でフラずに済んだだろ」


「……好きだったんだなぁ……」


 メリクが呟くと、イズレンは気づいたように顔を顰める。

「好きだったけど、言っとくけど本当に今は何とも思ってないからな! 特に『メリクの方がマシ』とか最悪なこと言った女だってことは死んでも俺は許さないし! 俺が宮廷魔術師になったからって寄りを戻そうとするような女だったら、それこそ今度は俺からフってやるんだからな! 俺とあいつは終わったんだ!」


「う、うん。分かった」


「とにかく俺もさ。そろそろ動き出さないと……俺より年下で、複雑な環境で一人戦ってるお前と、これからも笑って付き合えない」


 メリクは驚いた顔をした。

 イズレンが昨日受け取ったメリクのノートをテーブルに置く。

 ぺらぺらとそれを捲って溜め息をついた。

「これ見て改めて思ったんだ。お前は本当にすごいよ。講義の内容だけじゃなくて自分で調べたこともその都度に書き記してて、どんだけ普段から努力して勉強してるのかが分かる」

「……イズレン、僕は」

「わかってる。勉強するのも、好きなんだよなお前は」

 こくんとメリクが頷くと、イズレンが手を伸ばしてメリクの栗色の髪を撫でた。


「お前、元々魔術なんか見たことないような場所で生まれ育ったんだろ? それがサンゴールに来て、お前が魔術の好奇心を失わないように育ててくれてさ。お前の師匠も……色々言われてるけど多分、いい人なんだな。お前にとってはさ。お前見てると俺はそう思うよ」


 優しく言われ、胸の奥を、メリクは深くまで抉られた気がした。

 ぐっと目の奥から込み上げ来そうになり、メリクは目を閉じて俯いた。



「…………うん。……感謝、……してるんだ」



 本当に、あの人がいたから自分は魔術に出会った。

 あの人が魔術師だったから、魔術師を志した。

 魔術の道を歩めばその先に少しでもあの人に近づく道があるような気がして――ここまで来た。


 宮廷魔術師にもなった。


 ……ここまで来てしまった。



 冷めたあの瞳。

 自分が遠ざかることを、……いつも望んでる。



「メリク?」

「あ、ごめん……そんな風に言ってもらったこと無かったから」

 嬉しくて、と慌ててメリクは顔を振った。

「やってみよう、と思う。目標に進んで行くってのもたまには面白いよな!」

「うん。僕に出来ることあったら何でも言ってね。喜んで協力する」

「笑わないのか?」

「笑わないよ、どうして?」

「他の奴らは笑うだろうからさ。無駄だって」


 メリクは微笑んだ。


「そんなことしない。イズレン自分は成績悪いって言ってるけど、何だかんだ言って一度も総学の試験落とした事無いよね。ぎりぎりいつも合格してる。本気出したこと勉強ではないんだなっていつもずっと思ってた。だから……君が真剣になりたいと思えば、きっとなれる。僕はそう思ってる」


「……ありがとうな。ほんと、ありがとう。メリク」


 二人の青年は笑い合い、改めてだなと手を差し出し合い握り合った。

 固い友情の証だとイズレンが笑ってる。


 それを心から嬉しく思いながら、心のどこかでメリクはひどく悲しかった。

 宮廷魔術師になっても何も変わらなかった。

 その事実に絶望した自分の心を自覚しているから。

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