01-10


  *


 空覇が志恵を抱きかかえたまま教室棟一階にある保健室に着くと、白衣を羽織った女性が彼らを出迎えた。養護教諭であるところの析口(セキグチ)である。空覇に運ばれて来た志恵を見て、析口は目を丸くした。


「あらあら、どうしたの? え、授業中に倒れたの!?」


「たまたま近くを通り掛かったんで、俺が運んで来たって次第だ。脈とか呼吸は正常だし頭打ったって訳じゃ無さそうなんで、動かしても問題無ェかなと」


「ええと、ああ、新任の眞柴先生ね? ありがとうわざわざ。こっちのベッド、そう、そこに寝かせてくれる?」


 析口が開けたカーテンの向こう、二つ並んだベッドの片方に空覇は志恵をそっと降ろした。析口は手早く志恵の体育館シューズを脱がせ、きちんと上まで上げられた体操服のファスナーを少し下ろしてから布団を被せる。


 志恵の穏やかな呼吸を確かめてから脈を取り、熱が無い事を確認した析口は安堵の息を漏らした。そして傍で立ったままの空覇へと振り返る。


「顔色が少し悪いから、貧血か何かでちょっと立ちくらみでも起こした感じかしらね。多分だけれど、問題無さそうで良かったわ。──それにしても眞柴先生って力持ちなのね、運んで来てくれてありがとう」


「火ノ宮先生には、医務室の方に連絡取るから動かすなって止められたんだけどな。でも状況的に大丈夫そうだし、まあこっち運んだ方がいいだろって」


 空覇が肩を竦めると、析口は穏やかな表情で軽く頷いた。そして空覇を見上げふふっと笑みを零す。


「火ノ宮先生も新任の方だったわね。……確かにマニュアルだとそうなっているけど、私は臨機応変でもいいと思うの。でももし何か別の要因がありそうなら事情が変わってくるから、その時は現場で判断せず、医務室に連絡、ね?」


「はは、了解っす」


 そして二人はカーテンを閉め、書類作成の為に窓際のデスクへと移動した。析口がデスクチェアに座り、空覇も傍にあった丸椅子に腰を下ろす。


「二年一組、羽々木志恵さんね。──担任の先生への連絡は?」


「そっちはやっておくからって、火ノ宮先生が」


 などと会話を交わしているうち、デスクの上の内線電話が控え目な音楽を奏でた。受話器を耳に当てた析口がてきぱきと受け答えをし、通話を終える。会話の内容から察するに、担任への連絡も無事付いたようだ。


 書類も書き終わり、さて、と空覇が立ち上がろうとすると、じっと見詰める析口の視線に気が付いた。少し小首を傾げ空覇が見返すと、長く真っ直ぐな髪を掻き上げ析口が笑む。長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳は潤みを帯、熟れた唇の傍にある黒子が艶を醸し出す。控え目に言っても析口はかなりの美人だった。


「……俺に何か?」


「いえ、職員会なんかで何度か見掛けていたけど、でも遠くからだったから……眞柴先生って近くで見ると、やっぱり物凄い美形よね。背もかなり高いし、先生なんかやってるの勿体無いなって」


「ああ……、いや、まあ。でも俺に言わせりゃ、析口センセの方が美人だし、モデルとかやれんじゃねえかなって思うんだけど」


「まあお上手ね。でも私、スタイルあんまり良くないから。体型のバランスが悪いのよ」


 そんな事は、と言おうとして空覇の目が析口の胸に留まった。かなりのボリュームのバストに釘付けになる。先程運んだ志恵もかなりの巨乳だったが、析口のそれは迫力すら感じるレベルだ。チラと見える谷間の深みが素晴らしい。


 そんな空覇の反応が面白かったのか、析口がふふっと小悪魔的な笑みを零した。はたと空覇は正気に戻り、慌てて少し目を逸らす。からかわれていたのだろう。なかなかこいつも曲者だな、と空覇は内心で舌打ちをする。


「──用事も済んだし、俺そろそろ行くわ。次は授業もあるし」


「また来てくれる? 眞柴先生」


「……気が向いたらな」


 そこで丁度チャイムが鳴り響いた。──これ以上二人きりで話していたら、うっかり一線を越えてしまいそうだ。空覇が自制し椅子から立ち上がったその時、ガラリ、と扉が開く音がした。


「失礼、します。……志恵センパイ、倒れたって聞いたけど、いる?」


 姿を現したのは、小柄で無表情なハーフの美少女──乙紅莉栖(キノト・クリス)であった。急いで駆け付けたらしく、少し息を切らしている。


「あら、どうしたの? スカーフが水色という事は、あなた一年生ね。羽々木さんの事が心配でわざわざ来てくれたの?」


 目を丸くして問う析口に、クリスは小さく頷いた。


「その、志恵センパイは寮の、部屋の先輩で。さっきの授業、数学だったんだけど、その数学の先生が志恵センパイの担任の先生だったみたいで、話が聞こえて、どうしても気になって」


「そうだったのね。羽々木さんは大丈夫よ、ちょっと貧血か何かで立ちくらみを起こしただけだから。でも今は眠ってるから、そっとしておいてあげてくれるかな?」


 析口の大丈夫という言葉に安心したのか、クリスは素直にうん、と頷くと少し大きく息をついた。そして空覇が居た事に改めて気付き小さく目を見開く。空覇はそんなクリスに近付くと、そのぽわぽわとした頭をぽんぽんと撫でた。


「ホラ、羽々木はまだ寝てるから今はまだ会えねえってさ。また次の授業終わったら見に来るといい。それと心配なのは分かるけどよ、廊下走っちゃ駄目だろ?」


「あ、うん。ゴメンなさい」


「一年二組の乙だったな? 次、日本史だろ。俺の授業だからサボるなよ」


 そして空覇は振り返ると、析口に向かって軽く頭を下げた。


「じゃ、そういう事で──ホラ、行こうぜ」


「うん。……保健室の先生、志恵センパイの事よろしくね」


 笑顔で手を振る析口に見送られ、二人は保健室を後にした。扉を出た途端、休み時間の喧噪が二人を包む。廊下を歩きながら空覇は事の経緯を小声でクリスに話し、クリスもまた手短に志恵の事を伝えた。


「しっかし俺が助けたヤツがお前の同室の先輩とか、偶然にも程があらァな」


「うん、驚いた。──あ、カラハ……じゃなかった眞柴センセ、一年二組の教室はこっち。何処行くの?」


「授業の準備しに一旦教員室戻るんだ。そうだ、思い出した……ちょっと耳貸せ」


 空覇は周囲に人が居ない事を確認し、背を屈めてクリスの耳許に唇を寄せた。


「あの羽々木、ただの『見える』だけのヤツじゃねえ。ありゃ『霊媒体質』だ。今のところは何とかなってるが、あいつは強い霊にとっちゃ極上の餌だ。狙われ易いから、大事に思うんなら──お前、気を付けてやれ」


 クリスの瞳が一瞬見開かれ、そして困惑の色を滲ませて空覇を見上げた。分かったか、と念を押す空覇に、一拍置いてクリスはこくり、深く頷いた。


「じゃ、また後でな」


 何事も無かったかのように去って行く空覇の背中を、クリスはただ見詰めていた。その真鍮色の瞳の奥には、産まれたばかりの決意の炎が小さく揺らめくのだった。


  *


<一章:不穏の種と、新学期──了>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る