01-06
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その日、空は見事なまでに晴れ渡っていた。
駅からの臨時バスが八色学園の正門前に到着すると、開いた搭乗口から手荷物を抱えた新一年生が続々と降りて来る。そして男女それぞれの寮に案内された一年生達を、寮監や寮母、二年生の面々がにこやかに出迎えた。
ロビーで寮母が一人ずつ名前を確認し、同室になった二年生が笑顔を浮かべて一年生を部屋に案内する。慌ただしくも、心浮き立つ毎年恒例の風景だ。
羽々木志恵(ハバキ・シエ)はドキドキと胸を高鳴らせ、その時を待ち侘びていた。ロビーに立つ新一年生達は皆一様に緊張し、しかし期待にかそわそわと落ち着かない様子で自分が呼ばれるのを待っている。そして寮母が名簿を見ながら確認を続ける中、とうとうその少女の順番がやって来た。
「次は──ええと、乙、紅莉栖(キノト・クリス)さんね。ああ、あなたね。部屋は一〇二号室、同部屋の先輩は羽々木志恵さんよ」
はい、と輪郭のはっきりした声が上がり、新入生達の塊を割って姿を現したのは、とても小柄な少女だった。
短く切った真鍮色の噛みがぽわぽわと揺れ、同じく色素の薄い吊り気味の大きな瞳がぱちぱちと瞬く。少し彫りの深い整った顔立ち、そして抜けるように白い肌。彼女を見て、志恵はどくんと大きな拍動を感じた。
「あ、あ、初めまして乙さん。わたしが羽々木志恵、志恵って呼んで。これから宜しくね」
慌ててクリスの許へと駆け寄る志恵の姿を認め、クリスは少しだけ濃金色の瞳を見開き動きを止めた。しかしそれも一瞬の事で、無表情のままクリスはぺこり頭を下げる。
「自分の事もクリスで構わない。よろしく、志恵センパイ」
そしてクリスは人形のように綺麗な、しかし表情の無い顔で志恵を見上げるのだった。
*
「クリスちゃんはその、どこか別の国出身だったりするの? それともハーフか何か?」
「自分は父がトランシルバニア出身、母が日本人のハーフ。小さい頃は父の転勤でヨーロッパを転々としたけど、ここしばらくはずっと日本で暮らしてる」
「あ、やっぱりそうなんだ。肌も真っ白だし、髪も目も綺麗な色だもんね。でも何でわざわざうちの学園に?」
「母は事故でもういなくて、今回父がブリテンへの転勤が決まった。日本に残るか付いて行くか選べと言われて、自分は日本に残りたかったからこの八色学園に入る事にした」
「へえ、そうなんだ。そっか、お母さんもういないんだ……なんかゴメンね」
「志恵センパイが気にする事じゃない。かなり昔の事だし」
部屋の前に積まれていた荷物を室内へと運び入れながら、二人はお喋りに興じる。
──この短い間で、志恵はクリスが日本語を少し苦手な事を感じ取った。敬語が上手く使えないのだ。それにクリスは表情に乏しく、感情をあまり表に出さないタイプらしい。志恵は少しクリスの事を心配に思ったが、それも生活に慣れれば追い追い解消されてゆくだろうと一旦は気にしない事にした。
クリスの荷物は驚く程に少なかった。筆記用具や生活雑貨、パジャマや下着などの衣類、それに本が幾つか。志恵もあまり物が多い方では無いものの、クリスの荷物はそれに輪を掛けて少ない。昼食を挟み、荷物の片付けは午後の早い時間にはもう粗方終わってしまった。
「大きな物はもう殆ど片付いちゃったね。……そうだクリスちゃん、今から寮の中を案内するよ。それでついでに購買でお菓子とジュース買って来てお茶にしない?」
生徒手帳を取り出しながら志恵がそう声を掛けると、備え付けの棚に本を仕舞っていたクリスが頷いた。相変わらず表情に乏しいクリスだが、目尻が少し下がっているような気がして志恵は微笑む。
二人は連れ立って部屋を出、寮内を歩き始めた。まだ忙しげに行き交う生徒達と挨拶を交わしながら、志恵はクリスに寮内の設備について説明してゆく。
──寮は四階建てで、各階に共通なのはテレビの設置された談話室、何台も洗濯機の並んだ洗濯室、物干し場、洗面室、共用の冷蔵庫がある給湯室、それにトイレと電話室だ。それぞれを使用する際のルールなどを伝えながら、志恵は案内を続ける。
「今居る一階には購買と、寮母さんや寮監の先生の部屋、応接室とか管理室とかがあって……あとお昼に御飯を食べた食堂があるね。二階には図書室と、それから皆で勉強をする為の大きな自習室があるよ。一階と二階は一年と二年の部屋がある感じかな」
「なら三階と四階は?」
「三階と四階は三年生の先輩らの部屋があって、三階にはインターネットの出来るパソコン室、四階には電子ピアノのある防音室があるの。最後に地下にお風呂があるけど、これは後で入る時に教えるね」
話している内に二人は購買へと辿り着く。購買は各寮と教室棟とで三箇所存在するが、どの購買でもさほど広くないスペースに多種多様な物品が所狭しと陳列されている。それぞれに販売されている品物が異なり、女子寮の購買には女性用の下着や肌着、生理用品やシャンプー類、それに菓子などの品揃えが充実している。
「クリスちゃんはどんなお菓子が好き? 食べ物の好みとかある? お昼御飯は綺麗に全部食べてたけど」
「嫌いな物は特に無くて、一番好きなのは抹茶やフルーツのチョコレート。胡桃やアーモンドとかナッツも好き」
「そっか。じゃ、これとか、あとこれにしよっか」
志恵が選んだ品物をレジへと持って行くと、販売スタッフがピッピッと音を立ててコードを読み込んだ。金額を確認し、志恵はポケットから生徒手帳を取り出す。
「クリスちゃん、学園の中ではお金は使えなくてね、全部この生徒手帳の裏側に付いてるカードで会計するの。購買も自動販売機も電話も全部これ使うから、生徒手帳はなくしちゃ駄目だよ」
「分かった、気を付ける」
「請求は直接親元に行くみたいだから、使い過ぎには注意だよ」
会計を済ませ、二人は購買を出て今度は自動販売機のコーナーへと向かった。缶やペットボトル、紙パックのジュースやお茶が色取り取りに並んでいる。飲み物以外にもプリンやヨーグルト、ゼリー飲料などの機械もあり、購買が開いていない時間でもこういったデザートを購入する事が出来るようになっている。
飲み物を選び志恵が生徒手帳で決済を済ませると、菓子やジュースを抱え二人は部屋へとまた歩き始めた。廊下には賑やかな喧噪が満ち、しかし隅にはやはり黒い何かがわだかまっている。志恵はいつものようにそれらを無視しながら歩みを進めるが、──その時、クリスの視線がじっと隅を見詰めている事に気付いた。
「……クリスちゃん。何見てるの?」
そこに、視線の先に何かあるの、とは聞けなかった。志恵の問い掛けにクリスは視線を外し、そして何でもないと首を振る。
もしかして、クリスちゃんは自分と同じで『見える』人なのだろうか……? 志恵はよぎった疑問にチクリ胸が痛むのを感じる。もしそうであったならば、彼女も自分と同じような嫌な体験をしてしまうのではないか。──志恵は漠然とした不安を抱えながら、自室の扉を開いたのだった。
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