第35話 交差する世界で、私を見つける



マドカにメッセージを送ってからというもの、ユイノはずっとスマホを手放せずにいた。


画面に浮かぶ“既読”の文字を、何度も、何度も確認する──けれど、それはなかなか現れなかった。


(……やっぱり、返事来ないかな……)


ひとりで勝手に期待して、勝手に落ち込む。

それが嫌で、少しスマホから目を逸らしてみても、気づけばまた手に取っていた。


通知欄に溜まっていくのは、使っていないアプリの更新通知や、見覚えのない迷惑メールばかりだった。

肝心の名前は、どこにもない。


(もしかして……連絡先、変わっちゃったのかな)

(それとも……私、もう消されちゃってる?)


胸の奥がざわつく。

よぎるのは、考えたくもない可能性ばかり。


でも──マドカなら、きっと。

あの頃のままのマドカなら、ちゃんと返してくれる。

そう信じて、待つしかなかった。



マドカに連絡をしてから丸二日が過ぎようとしていたその時だった。


「……あっ!」


スマホが震える。


画面に表示された差出人の名前を見て、ユイノは思わず声を上げた。


『久しぶりユイノ〜!返事遅れてごめんね!私は元気だよ!ユイノこそ元気にしてた?』


──マドカから、返事が来た。


「……よかった……っ」


画面を抱きしめるように胸に押し当てて、ユイノは小さく笑った。


もう届かないかもしれないと思っていた、たった一言。

それが、こんなにも心を軽くしてくれるなんて思わなかった。


すぐに「会いたい」と伝えると、マドカからは「日曜日にちょうどそっちの方に行くよ!」という返事が返ってきた。


「なら、うちに来てよ!ごはん作るからさ!」


そう言って会う約束が決まると、ユイノはそわそわしながら部屋を見渡した。


──これは、気合い入れて片付けないと。


それから数日の間、ユイノは珍しく部屋をピカピカに磨いた。

久しぶりの再会に、何を話そう、何を作ろう──

あの頃のマドカと今の自分を思い浮かべながら、少しだけ胸を弾ませた。


床を拭いていたときだった。


(……あれ?)


ふと、視界の端に金色の何かが見えた。


指先でつまみ上げると、それは──一本の、金色の髪の毛だった。


「……これ、もしかして……」


胸の奥がざわざわと音を立てる。


──ルゥ。


脳裏に、あの気ままで図々しくて、でもどこか憎めないルゥの姿が浮かぶ。


この部屋に人を上げたことなんて、もう何年もなかった。

髪を染めた記憶も、自分以外の色なんてない生活も──それなのに、ここに、確かに“誰かがいた”痕跡が残っていた。


「やっぱり……夢じゃなかったんだ……」


ポツリとこぼれた言葉に、誰も答える者はいない。


それでも、胸の奥で何かがふっとほどけていくようだった。

確かに、あの世界は存在していた。

セレノアも、ルゥも、ナユも──そこにいた。

そして、自分も確かに、そこにいた。


けれど。


今、ユイノがいるのは“こっち”の世界だ。


両親の死を乗り越え、がむしゃらに仕事をして、借金を返して、いろんなことを必死に乗り越え、やっと落ち着いてきた現実の世界。


異世界に戻れるのなら、戻りたい──そう強く思っていたはずなのに。

いざ現実が少しずつ戻ってくると、それだけでは済まない気持ちが、自分の中にあることに気づいてしまう。


(……もし戻ったら、マドカとの縁は……もう切れてしまうのかな)

(そしたら、マドカは私のことを忘れちゃう…?)


大切なものが増えるたびに、選べなくなる。


ひとつの世界に立つたびに、もうひとつの世界が“過去”になっていく。


(私の居場所って……いったい、どこなんだろう)


金髪の髪の毛をそっとテーブルの端に置きながら、ユイノは自分に言い聞かせる。


──どちらの世界にも、大切な人がいて、思い出がある。

だからこそ、簡単には選べない。


けれど、だからこそ、思う。


人は、どれだけ喪失や痛みを知っても──

ひとたび幸せを手にすれば、それが永遠に続くものだと錯覚してしまう。

本当は、いつ失ってもおかしくないのに。

その不確かさから、目を背けてしまう。


あの幸せがずっと続くと、どこかで信じて疑わなかった。

でも今、こうして全てを失ってみて、ようやく気づく。

当たり前なんて、本当はどこにもなかったことに。


だからこそ──


「せめて、ちゃんと向き合おう」


マドカとの再会を、ただの“現世の義務”としてじゃなく。

きちんと、この世界にも心を向けるために。

ここでの想いに背を向けたままでは、きっと、どこにも戻れない。


そう強く思ったユイノは、明日に備えてベッドへ向かった。


この夜の終わりが、

自分にとって何かを手放すためのものではなく、

新しい何かを迎えるための始まりであってほしい──


そんな願いを胸に、そっと目を閉じた。



──日曜日の朝。

ベランダの手すりに止まったスズメのさえずりで、ユイノは目を覚ました。

ゆっくりと身体を起こし、窓を開ける。

頬を撫でるように吹き抜けた風が、ユイノの髪をやさしく揺らした。


マドカとの再会を前に、心はそわそわと落ち着かなかった。楽しみである一方で、どうしても小さな不安が拭えなかった。


「私、ちゃんと喋れるかな…」


数年ぶりに再会するマドカは、ユイノにとって唯一無二の大切な友人だった。

きっとこの数年で、彼女はたくさんの経験を積み、変化し、成長しているのだろう。

──それに比べて、自分は何ひとつ変われていないのではないか。

そう思うたびに、ユイノの胸には小さな怯えが芽生えていた。


けれど、そんなユイノの不安を察していたかのように、マドカからメッセージが届いた。


『ユイノ、おはよ〜!今日めっちゃ楽しみ!ごはん作ってくれるの嬉しいけど、あんまり無理しないでね?ユイノに会えるだけで、私は十分なんだから!お昼過ぎにはそっちに着くから、また連絡するね〜!』


──「ユイノに会えるだけで、私はもう十分なんだから」


たったひと言。でも、その言葉が、ユイノの張りつめていた心をそっとほどいてくれた。


スマホをそっと伏せたユイノは、小さく息をつく。


(……会えるんだ)


胸の奥でじんわりと広がっていく、安心と、ほんの少しの照れくささ。


どちらの世界にいても、変わらないものがある──

それを信じたくなるような、そんな朝。


キッチンに立ち、エプロンを手に取る。

今日だけは、精一杯の“ただいま”を込めて、ごはんを作ろう。


それが、今のユイノにできる、最大の「ありがとう」だった。

……そして、これからの自分を見つめ直す、はじまりの一歩でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る