備忘録:きりんと離れにて
2025年4月12日土曜日。
ゲストハウスの経営者であるきりん氏との会話をここに記録しておく。
滋賀県彦根市のゲストハウス。
シャワールームを借りて部屋着に着替えた僕は、このゲストハウスに来た時から少し気になっていた離れに向かうことにした。
ご自由にどうぞと説明のあったサンダルを履いて、中庭を進んでいく。
若干の肌寒さを感じながらも、橙色の灯りがついた部屋に辿り着いた。
書斎か何かだろうか。
囲碁らしき台が置いてあり、白と黒の碁石がまだ面上に点在したままになっていた。
そこまで広くない和室。
最初からあった座布団を一枚借りて、そこに座り込む。
春の夜はやけに静かで、虫の鳴き声すらも聞こえない。
手の届く範囲にアルバムのようなものを見つけ、手持ち無沙汰もあり何となく手を伸ばす。
臙脂色をした外装は分厚く、それなりに重厚感がある。
特に表示に文字はなく、内容は一見するだけではわからない。
年季を感じさせるページを捲り、僕は中身に目を通し始める。
まず最初に目に入ったのは洋装に身を包んだ男性と綺麗な和服を着込んだ女性の写真だった。
口髭を蓄え、黒髪を撫で付けるように整えた男性は神経質な面持ちをしている。
和装の女性の方は能面のような白い肌と無表情で、小さな瞳には何の感情も映っていない。
そのまま次のページを捲っていく。
今度は学校の入り口のような場所に、肩口で一様に髪を切り揃えた和装の少女が映っていた。
少女の隣には三つ編みをした活発そうな少女もいて、そちらの方の少女が爽やかな笑みを浮かべているのに対して、和装の少女は人形のように感情の抜け落ちた顔をしているのが印象的だった。
さらにページを捲ると、今度は街並みを写したのであろう写真が見える。
どれもこれも平家ばかりで高層マンションは一つとしてない。
川沿いで撮ったであろう写真には、やはり無表情の少女が一人映っていて、他に写り込んでいる人々とは違って着付けをしている姿が目立つ。
「立派なもんやろ。呉服屋さんやってはったみたいやね」
びくっと思わず肩を飛び上がらせてしまう。
振り向けば、気づけばきりんさんが僕の後ろに立っていた。
いつからいたのだろうか。
自分で思っていた以上に、写真アルバムを読むのに夢中になっていたらしい。
「あ、すいません。勝手に読んでしまって」
「ええよ、ええよ。気にせんといて。自由に見てもらって構わへんから」
「これ、きりんさんのお家のものなんですか?」
「いや、僕やないよ。元々この家に住んではった呉服屋さんの人らの持ち物やね。僕はご縁でこの家を譲ってもらって、ゲストハウスとしてリノベーションしただけやから」
「そうだったんですね」
「元々は取り壊す話やったんよ。でも、勿体無いやろ? やから僕の方で貰うことにしたんや」
「なるほど」
よっこらせ、と口にしながらきりんさんは僕の近くに腰を下ろす。
懐かしいものを見るかのように、彼は隣からアルバムの方へ細い目を送る。
「こんな立派な家を持ってたってことは、その呉服屋さんの人たちは結構お金持ちだったんですか?」
「せやね。西川さん家は裕福やったみたいやね。僕は直接関わりがあるわけや無いけど、このアルバムを見ればそれは十分にわかる」
西川。
おそらくこの家の元々の持ち主の苗字だろう。
僕はそのままページを捲り続ける。
きりんさんが言う通り、風景単体の写真などはまるでなくて、必ず誰かしらが被写体となっている家族写真アルバムであることが分かる。
写真のほとんどは一人の少女だったが、緊張する癖があるのか笑顔で映っているものは一つとしてなかった。
「でも家を譲ってもらったってことは、もうどこかに引っ越してしまったということですかね」
「うーん。そうやね。詳しいことは僕にもわからへんねんけど、東京の方に行きはったみたいや」
「そうなんですね」
きりんさんが、僕の方を向きながらそう言う。
ただ彼の目は僕を見ているようで、見ていない気がした。
さらにアルバムのページを捲りながら、ふと思う。
ただの引越しならば、家族のアルバムをそのまま置いていくことなんてあるだろうか?
疑問を口にしようときりんさんの方を見るが、視線が合っているようで合っていない気がして言い淀んでしまった。
視線の行き先を失った僕は、またアルバムに戻す。
するとこれまで基本的には夫妻であろう男性と女性と、その娘であろう少女しか映っていなかったアルバムに新しく少年が写り込んでいた。
その少年は、少し異様だった。
男性と女性と少女と少年。
おそらくこの家の玄関と思わしき場所で並んで立つ四人。
だが少年だけ、明らかに身長が一際高い。
頭一つ分どころではない。
父親である男性と比べても、頭が二つ、三つ分ほど高い。
男性の身長がわからないが、それでも少年は身長190〜200cmほどありそうに思える。
「あの、この子——」
——目。
僕の疑問は、またもや霧散して消える。
きりんさんが、僕を見つめていた。
真っ黒な瞳で、真っ直ぐと覗き込まれている。
微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも、敵意を向けているようにも見える、不気味な表情に思えてしまい、息が詰まる。
「きりんって、本名やないねん。どうして僕がきりんって呼ばれてるか、教えてあげよか?」
唐突に、きりんさんは問いかけてくる。
咄嗟のことで、僕はすぐには答えられない。
「せ、背が高いからですか?」
「ううん。ちゃうよ」
思いつきの言葉は、すげなく否定される。
確かにきりんさんは、このアルバムの少年に比べれば頭抜けて背が高いということもない。
僕が迷いの様子を見せると、きりんさんは並びの良い白い歯を見せて笑った。
「なんにでも首を突っ込むから、きりんやねん。おもろいやろ?」
何が面白いのかは、わからなかった。
愛想笑いで僕は誤魔化しながら、急にこの離れが狭く感じ始める。
「佐伯さんも、きりん、なりたい?」
そこで僕はアルバムを閉じる。
閉じた、はず。
ここまでが可能な限り思い返して書き残した、きりんとの離れでの会話の記録となる。
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