港に眠る記憶

 アクアスフィアの静かな輝きが、石畳を青白く照らしていた。

 その中心に立つナミネの足元を、潮風がやさしく通り抜けていく。


 ――ここが、写真に写っていた場所。


 見上げた空は晴れているのに、なぜか心の奥では、なにかが音もなく揺れていた。

 初めて見るはずなのに、なぜか懐かしい。潮の匂い、塔の影、石畳の感触――そのすべてが、遠い昔の夢の欠片のようだった。


 「おや? ひとり旅かい?」


 声をかけられてナミネが振り返ると、レストランのテラスから中年の男性がこちらを見ていた。背が高く、ひげを整えた穏やかな顔立ち。革の前掛けをつけて、ワインボトルを丁寧に磨いている。


 「……いえ、ただ、ちょっと見てただけです」


 ナミネの答えに、男はふっと微笑んだ。


 「この港は、じっと眺めたくなるだろう。名前はプリモ。このレストランのオーナーさ」


 「ザンビーニ……?」


 「ああ、よく知ってるね。ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ。弟たちとやってるんだ」


 そのとき、店の奥から賑やかな笑い声とともに二人の男が現れた。一人は赤いスカーフを頭に巻いた陽気そうな料理人、もう一人は背が低く、細身で眼鏡をかけた知的な印象の男だった。


 「次男のアントニオ、そして三男のエンリコ」


 「ようこそ、旅の人!」

 「ご注文じゃなくて、お話目的か?」


 二人が笑顔で挨拶を投げかけてくる。


 「……旅ってほどじゃないです。でも、たぶん“探しもの”中です」


 そう口にした瞬間、自分でもなぜそう答えたのかわからなかった。けれど、三兄弟の誰も驚かず、むしろうなずいて見せた。


 「探しもの、ね。いい言葉だ」

 「この港には、そういう子が時々やってくる」

 「そういう子に、俺たちはいつも“ある話”をするんだ」


 アントニオがにやりと笑うと、エンリコが小声で補足した。


 「“S.E.A.”って、聞いたことある?」


 「えす、いー、えー……?」


 「“Society of Explorers and Adventurers”。昔、ここを拠点にしていた探検家と冒険家たちの秘密結社だよ。物語や奇跡を追いかけて、世界中を巡っていたらしい」


 ナミネはその言葉に、胸の奥で何かが軽く弾けるのを感じた。

 冒険、物語、世界を巡る人たち――それは、いつも自分が空想してきた世界に限りなく近いものだった。


 「君の目を見ればわかる。“見えてる”んだろ?」


 アントニオが、軽くナミネの額を指さした。


 「……“見えてる”?」


 「この現実にないもの。忘れられた物語。眠ってる記憶。君みたいな子にしか見えない“道”ってのがあるのさ」


 プリモが静かに言葉をつなぐ。


 「港の奥に、“フォートレス・エクスプロレーション”という場所がある。そこはS.E.A.の拠点だった。……君が探してるもの、その一端が眠ってるかもしれない」


 ナミネは小さくうなずいた。名前も、場所も、どこかで聞いたことがある気がしてならなかった。


 「行ってみます」


 三兄弟がにやりと笑う。


 「勇気のある子だ」

 「自分の想像を信じる、それが冒険のはじまりさ」

 「ようこそ、“港の物語”へ」


 潮の香りが濃くなった。石畳の向こうに広がる港の奥へ、ナミネの足が自然と動いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る