風がほどける境界

 ナミネは、ゆっくりと足を進めた。

 石畳に靴が当たる音が、やけに大きく響く。


 広場の中心に浮かぶ青く輝く球体――それは、地球のようにも見えたけれど、どこか違っていた。

 地図にない海が流れ、知らない大陸が浮かんでいる。けれど、不思議と怖くはなかった。


 (この海は……きっと、まだ誰も知らない海)


 ナミネは球体に手を伸ばした。触れる寸前、風がそっと横切った。


 その風が、声を連れてきた。


 「――ようこそ、ナミネ」


 びくりと肩を震わせて振り返る。誰もいない。


 「最初の“かけら”が、君をここへ導いた」


 風がさざめく。けれどそれは、耳ではなく心の奥に響く“声”だった。


 「誰……なの?」


 ナミネが問いかけると、まるで応えるように、アクアスフィアがわずかに輝きを増した。


 視界が揺れる。


 目の前に、半透明の像のようなものが浮かび上がった。

 人の形をしていたが、その輪郭は水面のように揺らいでいる。


 「わたしは“記憶”……この港が、まだ世界とつながっていた頃の、物語のかけら」


 その声は、まるで誰かの記憶をなぞるようだった。

 母の声に似ている気もした。でも違う。たぶん、この場所が覚えていた“誰か”の声。


 「君は、選ばれたわけじゃない。けれど、君が来てくれたことを、この海は待っていた」


 風が再び吹いた。潮の香りに混じって、わずかに、花のような香りがした。


 「この世界にはかつて、七つの海が繋がっていた」


 その言葉と共に、ナミネの足元から光が広がる。

 地面に、円形の紋章が浮かび上がった――七つの扉のような模様が刻まれている。


 「そのすべてが、アクアスフィアの力によって保たれていた。けれど、物語を信じる心が、世界から薄れていったとき……海は、分かたれた」


 ナミネはゆっくりと問いかける。


 「じゃあ、私は……何をすればいいの?」


 像のような存在は、わずかに微笑んだように見えた。


 「君が歩んだ道が、物語をつくる。そして物語が、想像の力を呼び覚ます。

 この港には、まだひとつの“かけら”が残っている。思い出してほしい。忘れられた冒険の始まりを――」


 風が強まった。


 像が溶けるように消え、港の一角に光が差し込んだ。


 ナミネはその方向に歩き出す。


 どこかの扉の前で、物語のつづきを待つ“何か”が、今もそこに在るような気がて。

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