2-3

 最初の異変があったのは、5番目の神楽が演じられている最中のことだった。

 神輿衆の一人の野村明良のむらあきらが木刀を持って楽屋に上がり込んできたのだ。

 野村はかなり酔っているらしく顔は真っ赤で、目が据わっていた。呂律ろれつも回らず、粘っこい口調でがなり立てた。

「拝殿はどっから入るんだ? そっちの扉がそうか?」

「馬鹿野郎!」

 仁科長男が右手で野村の胸を突いて言った。

「雪駄履きのまま上がり込みやがって、この不作法者が。お前の役目はとうに終わったろう。おとなしくお神楽を見ておれんのなら、家帰って寝てろ」

「るせーな」

 野村はだだっ子のように言い返した。

「俺ぇはな、康男のヤツに問いただしてやるのさ。神社の土地をどうする気なのかをな。それでぇ、勝手に売ろうという気だったら、焼きを入れてやるのさ」

「バカたれ。拝殿で暴れてみろ、祟りで狂い死ぬぞ」

「ざけんなよ、どけよ。お前からぶちのめすぞ」

 そう言って野村は仁科を押しのけようとしたのだが、高倉秀と山村健の二人に両脇から腕を取られ、床に押さえつけられてしまった。

「ガキは家帰ってねんねしな」

 村一番の力持ちの高倉の丸太のような腕で首を押さえつけられては、殺気立っていた野村も身動きはできない。押さえつけられた時に顔面を打ちつけたのか、鼻血を出していた。

 そのまま楽屋から連れ出された野村は、酔いもすっかり醒めて塩垂れ、地面に座り込んでしきりに「すみません」と言っていた。

 後で仁科から聞いたところでは、この野村明良は普段はおとなしい好青年らしいのだが、酒が入ると気が荒くなり、ケンカをしたり、あたりのものを壊したりするのだそうだ。悪い仲間がそれを面白がり、彼に酒を飲ませてはけしかけるらしい。

 いたぶられて酔いも醒めたようだから、もうこれ以上の騒ぎはないだろう、仁科はそう言って笑った。

 顔を腫らしてしょげかえった野村は「もう飲むんじゃないぞ」と仁科に説教されて、とぼとぼと客席の方に帰っていった。


「じゃあ、問題の御仁の様子でも拝んでくるかな」

 思わぬ暴力沙汰で気が昂ぶったらしく、高倉は上気した顔にひきつったような笑みを浮かべると、両手の指をぽきぽき鳴らしながら拝殿に続く渡り廊下の方に歩いていった。

 それを見た仁科が顔をしかめて「おい、ひで」と呼び止めた。高倉は振り返ってこう言った。

「顔を見てくるだけすよ。声はかけませんって」

 その言葉通りだったのか、高倉はすぐに戻ってきた。

 そして、先ほど座っていた場所にどかっと座ると、手酌で茶碗に酒をそそぎ、ぐっと一口飲んだ。

「起きてた?」

 と朱美が冗談めかして言うと、高倉は首を横に振った。

「寝てた」と彼は言った。「ぐっすりとな」

「あーあ」と誰かが言った。「健の母ちゃんに言うなよ。健の母ちゃんが知ったら箒でたたき出しそうだ」

 これを聞いて楽屋の一同はどっと笑った。高倉秀も苦笑いをしていた。

「じゃあ、俺ものお顔を拝んで来ようかな」

 この笑いに乗じるようにして山村健が立ち上がって言った。

「よしなさいよ、あんたまで子どもみたいなことするのは」

 朱美がそう言って睨んだが、山村は平気な顔をしていた。そして、「ちょっと、ちょっとだけですよ」と言って出ていってしまった。

「こらっ。見世物じゃないんだよ」

 朱美は山村の背に向かって叫んだが、彼は振り返ろうともしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る