6
抜糸スプリント、前進する。すっかり夜闇に染まった駐車場、街灯が張る光の傘を引き裂いて、山猫の騎士を侍らせた纒子の影が踊る。
反撃を狙うのが、そもそもの間違いだった。纒子にとって障害とは、いつも待ち構えるものではなく、立ち向かうものなのだ。
「ケット・シー!」
先手必勝の三段突き。間合いは充分、剣速に申し分なし。なのに針の切先はアイスミミックの外装を掠めて、背後へ停まるハイエースへ突き立った。
氷結剣が天を突く。次の瞬間、機を逃すまじと纒子の肩へ剣圧が降り注いだ。
モッズコートのファーへ霜が張る。
「つめてえよ」
纒子へ及んだのは、剣圧が宿す冷気だけ。氷の刃は纒子へ届かずに、びたりと止まった。
「これのどこが、そんなにいいんだか。男の子ってのはさあ」
抜き差しままならない氷結剣を横目に眺める。拘束を破られる様子もない。
裁縫針が縫い付けたのは、ハイエースの車体ではない。街灯に照らされて車体に映し出された、アイスミミックの影だ。
影縫い。それが“縫う”という概念に基づくのなら、やってやれない事もない。
「ケット、トドメ! とびっきり!」
ケット・シーは、迷わずに自らの身体から大振りの得物を引き摺り出した。
「なに、根に持ってるわけ?」
纒子愛用の裁ち鋏。裁縫箱の中でも数少ない、母から譲り受けた裁縫道具。針と同じく、埒外の大きさだ。巨大な一対の刃がアイスミミックへ喰らい付く。
断末魔にもだえるミミック、影を戒める縫い目がひとつひとつほつれてゆく。
「させねえよ……!」と、針を仕込んだローファーで影を踏み付ける。
「さっさとぶった斬れ、ケット・シー!」
あるじの檄に肉球が鋏へ万力を込める。じゃきんと綴じる鋏刃、自販機を真っ二つに両断する。
あふれ出る、黒い泥。
ずいと口許を差し出すケット・シー。意図を察して、猫の口を縫い付ける赤い糸を思い切り引き抜く。
「いただきます!」
がぱりと開く、化け猫の大口。ブリキの牙がガチリと噛み合い、黒い泥を咀嚼する。喉を鳴らして、フェルト生地の赤い舌が余韻に舌舐めずり。
「食べっぷり」
血飛沫がないぶん、グロテスクよりも旺盛な食欲へ感心する。
「すごいや、おねえさん」と佑々、ソーダフロートの溶け落ちた氷結剣の残骸を見詰めながら。
「おい、佑々」
「ううん、別に残念がってなんかないよ……?」
「まだ、なんも言ってない」
「そ、それよりもさ、おねえさん。すごいよ、初めてをひとりでやり遂げるなんて。ぼくは、おじさんと一緒でやっとだったのに」
「いくつでよ」
「三年生、冬休みだった」
三年生、八歳ごろだ。適正年齢もないだろうが、化け物を飼い慣らして化け物狩りをするのに充分な年齢だとも思えない。
「……お父さんと、お母さんは?」
「……ストレートだね」
「こういうの、変化球で来られてもうっといだけじゃない? キャッチボールやってんだからさ」
「そうだね、ど真ん中のほうが気分いいや。おねえさんとおなじだよ。ぼくのランドセルは、ふたりが最期に買ってくれたものだから」
「……ヘビィじゃん」
「そうでしょ? ランドセルってのは、重いんだ」
「そういや、そうだった」
想い出というのは、重いのだ。それは喪ったものとの引力だから。
「って、しまった。良好さん!」
呑気をしている場合ではなかったと、纒子は慌てて振り返る。
「あら、続けてください」
はたしてそこには、澄ました顔の轟がドゥカティのシートへ腰掛けていた。
「モラトリアムに野暮をするほど老いてはいませんので」
1200ccクラスのオートバイへゆったり腰掛けておいて、余裕で踵も浮かないのはどういうわけだ。腰の位置が高過ぎる。
「じゃなくて、ミミックは!」
「あちらに」と轟、残骸へ流し目を差す。
都合三台の自販機のみならず。ミニバン、軽トラ、ハイエース。駐車されていた車が、軒並み廃車寸前の有り様だ。
「戦争でもやってた?」
「ご心配なく、ほとんど違法駐車です」
「そーゆう問題?」と言ったのも束の間、サイレンが近付いて来る。パトカー、警察、通報?
「もしかしなくとも、あたしたち?」
「派手にやり過ぎましたね」
ドゥカティにサイドカーが出現、纒子と佑々の顔をヘルメットが覆う。
「纒子ちゃん、そのコートは着たままで。制服を隠してください。ひとまず逃げます。子連れでパトカー蹴散らすわけにもいきませんから」
「……いまさら、後悔」
「もう遅い。後の祭り」と轟、どこか悪辣な響き。
彼女が善人か悪人かはともかくとして、ひとつだけはっきりした事がある。
「良好さんって、悪党?」
「喋ると、舌を噛みますよ」
まったく悪党らしい荒々しさで、轟はドゥカティを発進させた。
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