第3話 エルネストの秘薬

二つの大国に挟まれた小国である上に、まだ力不足の弟王は侮られ、隣国から国境線を侵される事が頻発していた。このままでは攻め込まれる事を危惧した政府は、もう一方の国の王エルネストとイザベルの政略結婚を模索してきた。かの国もまた、自国を脅かす隣国と領土を巡って長年争っていただけに、利害は一致している。


 エルネストはもう三十五を数える男で、女に手が早く、既に妾に大勢の子を産ませている。ただ、後継ぎには困らないからと悠長な事を言って、正妃をいまだに迎えていない。そして小国とはいえ、イザベルは王女である。 


 イザベルを妃に迎え入れれば、敵国へのけん制になり、小国ながらも粘り強く戦い続ける数々の騎士団を手中にすることもできるというものだ。


 大国の後援を得られるイザベルの祖国も、利益は大きい。ただ、嫁いだ彼女は辛酸を舐めるだろう。なにしろ大勢の妾達の大半は、我が子を王に据えたいと願っているからだ。正妃であるイザベルが子を産んでしまったら、彼女たちや子の立場は危うくなる。


 弟や宰相は、イザベルの暮らしが壮絶なものになる事を憂いていたが、彼女は二つ返事で応じた。


 いつかは国のために嫁ぐ身だと覚悟していた。自分がエルネスト王の妃になれば、少なくとも自国の兵士たちの戦いは楽になる。リュシアンの身を少しでも護ることに繋がるはずだ⋯⋯。


 リュシアンは軽く目を見開いた後、しばらく何も言わなかった。ただ、真っすぐに自分を見返す彼女の瞳が揺るぎないと確かめて、静かに呟いた。


「おめでとうございます」

「⋯⋯ありがとう。だから⋯⋯もう、ここには来ないで」

「承知いたしました」


 リュシアンは短く答えると、彼女が眠るのを待たずに、寝台から降りて、手早く身支度を整えた。イザベルは横たわったまま、彼の後ろ姿を目に焼きつける。そのまま出て行ってしまうのだろうと思っていると、着替え終わったリュシアンが不意に振り返り、寝台の端に座った。


 そして、身を屈めてきたものだから、イザベルは目を見張る。


 彼が今まで決してしようとしてこなかった行為――――キスを頬にしようとしている事に気づいたからだ。


「⋯⋯リュシアン⋯⋯?」


 思わず名を呼ぶと、彼はハッと我に返ったように目を大きく見開き、イザベルから飛びのいた。


「⋯⋯すいません。忘れてください」

「今⋯⋯キスをしようとしてくれたの?」


「違います。その行為は、私には許されていません」

「いいの。最後だから⋯⋯して⋯⋯」


 自国は口づけを重んじるが、隣国はそうではないと聞いている。そもそも女に手の早いエルネストは、初めての口づけをありがたがるような男ではないだろう。政略結婚の話をされた時、『閨で俺を悦ばせられるように、しっかり勉強させてこい』などと言っていたそうだ。


 それならば、せめてリュシアンに捧げたい。


 イザベルは切に願ったが、騎士は今日も応えることなく、部屋を出て行った。


 それから彼は、夜にイザベルの寝室に姿を現すことはなくなった。



 一カ月後、イザベルは隣国の王エルネストに嫁ぎ、王妃となった。想定した通り、王の妾たちから散々にいびられたが、自国を護るためだという思いが、彼女の心を支えた。

 イザベルが嫁いだことで、二つの大国はよりいっそう緊張感を増し、小競り合い程度ではあったが、戦が頻発していたからだ。泣き言などいっていられない。


 イザベルの祖国も隣国から攻め込まれ、エルネストが差し向けた援軍を頼りに、何度も撃退した。全ての戦に、リュシアンが関わっていた。時に先陣を切り、主将を務め、おびただしい数の敵を屠った彼の勇名は、イザベルの元にも届くほどだった。

 

 二カ国の戦が長期戦になる様相を呈してきた頃、イザベルはエルネストの私室に呼び出された。居間のソファーに彼は座り、傍らには宰相が控えている。イザベルへ向かいに座るよう命じ、彼女が着座すると、エルネストはすぐに切り出した。


「早速だが、隣国と休戦条約を結ぶことにした。両国とも犠牲が多く出ているからな。ここら辺で手打ちとしたい。向こうも同様の腹積もりらしく、話を持ちかけてきた。まぁ、元々戦力も拮抗していたからな。長引かせるのは、お互いに不利益だと判断したわけだ」


「承知いたしました。戦が終わるのは、喜ばしい事ですわ」


 これでリュシアンも戦わずにすむ――密かに胸を撫で下ろしたイザベルを、エルネストは冷然と見返した。


「そもそも、この戦はお前が原因だがな」

「⋯⋯⋯⋯」


「俺がお前を妃に迎えた事で、隣国を刺激するだろうとは思っていた。向こうが攻めてきたのも、まぁ仕方がない。それは想定内だ。しかし、お前の祖国の連中が――特にリュシアンとかいう騎士団長が、目覚ましい戦功をあげてくれてな。随分と派手に暴れまわって、隣国はますます意固地になった」


「⋯⋯国を護るために、皆が必死であっただけです」


「それが迷惑だというんだ。休戦する代わりに、リュシアンとやらの首を寄越せと向こうは言ってきた」


 イザベルは顔から血の気が引いていきそうになったが、エルネストが自分の挙動を見ていると気づき、必死で冷静さを保つ。


「流石に優秀な騎士を殺す訳にはいかないからな、その要求は突っぱねた。そこで、だ」


 エルネストは懐を探り、小瓶を取り出すと、イザベルの机の上に置いた。


 中には青紫色の液体が入っており、おおよそ良いものでは無い事はすぐに想像できた。エルネストも、あっさりとその事実を突きつけた。


「遅効性の毒だ。飲め」

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