第2話 転生

翌朝、イザベルは朝の光を感じ、目を覚ました。


 隣を探すことはしない。


 リュシアンは、決して共に休もうとはしないからだ。いつも疲れ果てて横たわる自分の傍らに座り、明かりを落とし、闇に包まれた室内をただ黙って見つめている。

 声をかけても「寝てください」としか言われなかった。誰かに見つかる前に早く帰りたいのだろうが、すぐに出て行くというのも気が引けるのだろう。


 だから、イザベルはいつも暗がりの中で、リュシアンの横顔を見つめ、名残惜しい思いを秘めながら、ゆっくりと目を閉じる。

静けさは身に染みた。寂しく虚しい時間だと思い、一時の関係なのだから仕方のない事だと自分に言い聞かせた。

 昨夜もまた自分が眠りについた後で、彼は部屋を出たのだろう。


 リュシアンの姿はなく、彼がいた痕跡も完璧に消えていた。シーツも新調されていたし、イザベルはいつの間にか寝着を着せられている。今この瞬間に侍女がやって来ても、誰もリュシアンの事を気づく者はいないだろう。

 来る時も、また去る時も、リュシアンは徹底して自分の存在を他に悟らせなかった。


 やがて、侍女が起こしにやって来て、身支度を手伝ってくれた。食堂で簡単に朝食を済ませ、いつものように弟の政務を援けるべく、執務室へ向かおうとした時、廊下の角の前で足が止まった。


 リュシアンの声がしたからだ。


 彼と話していたのは、同じく騎士団長の一人でマルセルという男だ。確か士官学校で一緒だったとイザベルは記憶している。同格の身でもあり、仲のいい友達でもあるのか、お互い口調は軽い。


「いいよな、お前の将来は安泰じゃないか」

 と言ったマルセルの声に、イザベルは息を呑む。返すリュシアンの声はやはり冷静だった。


「なんのことだ」

「誤魔化すなって。王宮で噂になっているぞ? お前の背後には大物がついているんじゃないかってな」


「⋯⋯⋯⋯」

「貴族の出の俺よりも、出世が早いはずだ」


「なんとでも言え。私は今の地位を手離すわけにはいかない」

「まぁ、そうだろうな。国境を護る騎士団にいたままじゃ、命がいくつあっても足りなかっただろ。また戻りたくもないか?」


「⋯⋯そういうことだ」


 次第に声は遠くなり、イザベルは胸を撫で下ろした。


 もしも、彼と顔を合わせてしまったら、どうしていいか分からなくなっていただろうから。


 ――――私との関係は⋯⋯立身出世の道具だったのね⋯⋯。


 言われてみれば、確かに彼が地方へ行ってしまったのは突然だった。二つの大国に挟まれた自国は、国境線を維持するのも一苦労だ。いずれはどちらかの国の庇護を得なければ、成り立たなくなるだろう。まだ少年の域を出ない弟が王となったせいで、ますます他国から侮られていることをイザベルは知っている。


 リュシアンは地方に居た頃の話を嫌がって、殆ど口にしなかった。相当な苦労があったに違いない。その間も王都で護られていた自分を見て、どれほど苦い思いがこみ上げただろう。手紙に応えてくれない訳だ。


 それでも彼はようやく王都に戻ってきて、騎士団長にまで登り詰めた。地位を手放さないために、王女と身体の関係を維持する。


 ようやくリュシアンの意図を理解したイザベルだったが、不思議と涙は落ちなかった。


 叶う事のない、いつか必ず終わる恋だと、分かっていたからかもしれない。


 イザベルは再び歩き出し、弟の執務室へと向かった。そこで待っていた弟と宰相が、沈痛な面差しで自分を見返してきても、イザベルは微笑むことができた。



 

 数日後――――。

 リュシアンは再びイザベルの寝室を訪れ、いつものようにイザベルを求めた。

 闇に包まれた室内を見つめる彼を、イザベルはやはり静かに見あげる。


 視線に気づいたリュシアンは、渋い顔で告げた。


「早く寝てください」

「⋯⋯ねえ、貴方は人が『転生』するという話を信じるかしら?」


 唐突に尋ねられたリュシアンは、軽く眉を顰めてイザベルに視線を向けたが、すぐにふいと逸らした。


「ありえませんね。人が死んだら、そこまでです」

「夢も欠片も無いわね⋯⋯」


「むしろ、転生できると妄信される方が厄介です。我が国の国境をたびたび脅かす隣国の連中は、国に誠心誠意尽くして死ねば、来世で幸福になれると幼い頃から教え込まれています。だから、やつらは死を恐れない。そういう兵は本当に厄介です」


 珍しく地方での戦いを口にしたリュシアンに、イザベルはまずい事を言ったと思い、口を噤んだ。

 室内に静けさが戻ったが、彼女が黙り込むと、リュシアンが問いかけた。


「⋯⋯なんでそんな事を?」

「昔読んだお伽噺を思い出したの。現世で結ばれなかった恋人達が、来世で結ばれて幸せになるお話よ」

「⋯⋯⋯⋯」


 イザベルはリュシアンの横顔を見つめ、微笑んだ。


「ごめんなさい。私は⋯⋯素敵だと思ってしまったわ」

「⋯⋯⋯⋯。何かありましたか」


 いつまでも寝ようとしない彼女に、リュシアンは不穏なものを感じ取った。ようやく視線を向けてきた彼を見返して、イザベルは告げた。


「エルネスト陛下に嫁ぐことが決まったわ」

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