第25話 金打

 赤い光が灰色の空に反射していた。

 黄金の羽根が宙を舞う。

 ロクは黄金の羽根に包まれながらユラユラと落ちてきた。あたしは大きな花蕾を地面に置いてから落下ポジションに入り、受け止める。

 その身は思ったよりも軽かった。

 勢いを殺すように上から下に腕を下ろしていき、あたしは地面に膝をついてその上にロクを寝かせた。

 先ほどの変身は解けており、炎上によって衣服は燃え尽きていた。

 初めて会ったときに見た全裸のロクそのものだった。

 寸分違わない。

 と言いたいけれど、千手百足の触手に食い破られた胸部には卵型の心臓が剥き出しとなっている。卵の表面には血管が透けておりドクンドクンと脈打っている。どういう理屈かどうかはわからないが心臓の代替となっていることはなんとなくわかる。

 一方、黒乙女は汚らわしいものでも見るようにあたしの腕の中のロクを見下ろす。


「その人、猥褻物チン列罪で警察に突き出しましょう」

「せっかくの命の恩人になんて仕打ちすんのよ!」

「へえ、えらくその男のことをかばうのね、チ○コ。じゃなくてキンコ」

「ひどい言い間違い!」


 江戸時代の人の名前か!


「言っておくけれど、わざとじゃないわよ?」

「いっそのことわざとのほうがいいってーの」


 小学生男子みたいな間違い方しやがって。

 ともあれ。


「あたし、別に男の人の裸見るの初めてじゃないし気にせんわ」

「ふん。どうせ父親のとか言うんでしょう?」

「いや、まんまロクさんのだけどね」

「は? ちょっとあなたたち本当にそういう関係なの? わたくしを差し置いて許せないんだけれど」

「……あんたはどういう立場なのよ」


 まったく。

 おもしろい幼馴染みだ。

 とそこでロクは薄目を開ける。


「ロクさん、あたしよ! キンコ! わかる?」

「ああ」


 ロクは上の空のまま答えた。

 同時にすこし離れた地点に火山灰とともにドザクッと重量のある物体が落下してきた。それは四肢をもがれた徳川家康だった。心臓部には奥宮の大剣が突き刺さっており、さらに大剣は地面に深々と刺さっている。金打きんちょうのような音とともに現場に緊張が走った。


 ロクとあたしはおそるおそる横目で見つめる。

 しかも意外にもまだ息があるようだ。


「マジで不死身なんですけど……!」

「安心せい、小娘。これから死ぬわい」


 そう言って徳川家康は笑った。

 しわがれながらも快活とした声音だった。


「がはは。このわしを倒したんじゃ。天下を獲れよ、若人よ」


 あたしとロクは目を見合わせる。

 御遺訓を残すと徳川家康は燃え尽きたように白い灰になった。もはや火山灰と見分けはつかない。

 遺灰は風に吹かれて消えると地面には突き立つ大きな剣だけが残った。

 偉人の最後らしい立派な散り様だとあたしは思った。

 磁力を操るという能力だけあって人を惹きつける不思議な魅力のある人物だった。


 一方、そんな徳川家康という巨大な磁場がなくなったことによってジャドーの心臓に埋め込まれたペースメーカーは作動し、正しい鼓動リズムを打ち始めたようだ。ジャドーは髑髏ムカデの抜け殻に埋もれるようにしていた相棒の元へと片足を引きずりながら歩く。

 サルーエンは生気のない顔ながらも余喘よぜんを保っていた。口周りのヒゲは水面に映る富士のようにすっかり白くなっていた。もう永くはないだろうことは誰の目にも明らかだった。せめて憑依されていた際の意識がないことを願うばかりだ。

 サルーエンは葉巻きとマッチ箱を取り出そうとしてポトリと落とした。箱の開いたマッチが床に散らばる。


「今まで……世話になったな……相棒」

「ああ。こっちこそ世話になった」


 葉巻きとマッチを拾いながらジャドーは言うと、葉巻きを口に咥えてマッチで火を点けた。サルーエンの口に葉巻きを咥えさせる。

 サルーエンは最後に一服した。

 ゆっくりと紫煙を吐き出す。

 しかし吐き出したのは煙ではなく、あるいは別のものだったのかもしれない。


「すまん……先に逝く……ボスによろしく、な……」

「ああ。サルーエン、ジャークユ」


 ウクライナ語だろうか?

 疑問に思うあたしに構わず、ジャドーは続ける。


さようならドポバーチェンニャ


 ジャドーが呼びかけると聞こえているのかいないのかサルーエンの口から葉巻きがポトリと落ちた。

 その顔は安らかなものだった。

 ジャドーは自身の被っているハットを脱ぐと、そっとサルーエンの顔に置いた。

 その所作には敬意と感謝が顕れていた。

 そんなジャドーにロクは立ちあがりながら言う。


「俺と似てるよ、おまえは」


 しかし、すこし進んだところでロクはふらつく。


「ロクさん、まだ体調が……」

「こんな状況でいつまでも寝てられねえだろ」


 あたしを手で制しながらぶっきらぼうに突き離すロク。

 ジャドーは不機嫌そうにロクを睨む。


「僕俺と貴様が……似てるだと?」

「そうだな」

「どこがだ? 生まれた国も違えば、目の色も髪の色もちが――」

「家族に飢えてる」


 ロクは確信的に言った。

 その言葉をジャドーは繰り返す。


「……家族ロディナ?」

「生まれた国も違えば、目の色も髪の色も違う。だが家族に国境はねえよ。違うか?」


 そして――

 と、ロクは最後に付け加えた。


「たぶん家康も……」


 しかし水を向けられた白い灰は答えない。

 果たして江戸幕府を開いた将軍家康は家族に飢えていたのだろうか。あたしにはわからない。

 その代わりにジャドーが反論した。


「馬鹿な。家族なんて僕俺には必要ない」

「俺だってそう思ってた」


 ロクはかぶりを振った。


「だけど違った。家族がいねえと踏ん張りが利かねえことがあんだ。養護施設を出て初めて気づいたぜ」

「…………」

「生まれる場所は選べないが死ぬ場所は選べる。そして生きる場所も。きっと」

「祖国を追われたことのない貴様に何がわかる?」

「かはは。そんなのわかるわけねえだろ。甘えんな」


 空笑いするロクとジャドーは睨み合う。

 バッチバチに視殺線を交わしていた。


「戦いは終わったはずよね?」


 あたしがふたりを交互に見ていると、坑道の入り口から真っ赤なマグマが流れ込んできていた。ロクの開けた天蓋からも火砕流が水飴でできた滝のように流れ落ちてくる。


「喧嘩してる場合じゃないって! ほら、ふたりとも!」


 あっという間に四方八方をマグマに囲まれる。せめてあたしはヘルメットに詰めた真っ赤な花蕾を抱き寄せた。

 逃げ場はない。

 絶体絶命の大ピンチだった。

 

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