『森のログハウスで朝ごパン。〜異世界でひとり、ちょっと便利に生きてます〜』

まさやん

第1話『目覚めたら、森の中の小屋でした』


 目を開けると、そこは――木の香りに包まれた静かな部屋だった。


 


 あたたかな陽射しが木枠の窓から差し込み、埃をきらきらと照らしている。

 床は丸太で組まれ、壁も天井もすべて木。ごつごつとした梁がむき出しの、いかにも「手作り」といった趣のあるログハウスだった。


 


「……夢、じゃないのか」


 


 はるかは身を起こし、静かにあたりを見渡した。

 目覚めたときの感覚――それはただ「異質」だった。心当たりもなく、転移の演出も記憶にない。ただ、気がついたらこの森の小屋にいたのだ。


 


 誰もいない。けれど、身に危険はない。


 


 幸い、悠は落ち着いていた。混乱よりも、むしろ安堵があった。

 なぜなら、この部屋には彼が「ずっと求めていたもの」がそろっていたからだ。


 


 火の通る小さな石窯。

 水場のある調理台。

 そして、薪の山と保存食、そして小麦粉と蜂蜜。

 まるでパンを焼くために用意されたかのような設備。


 


「……こういうの、ずっと夢だったな」


 


 誰にも気を使わず、誰にも急かされず、好きなものを自分の手で焼き、香りと味を楽しむ暮らし。

 その全てが、この異世界で手に入った。


 


 天啓のように宿っていたスキル《暮らしの知恵》が、火起こしや薪の管理、水の浄化まで手助けしてくれる。

 初日から調理と生活が成り立ったのも、この力のおかげだ。


 


「よし……パンを焼こう」


 


 こうして、悠の“異世界おひとりさま暮らし”が始まった。


 


 まずは、生地作り。

 保存されていた小麦粉と水を混ぜ、ほんの少しの塩と蜂蜜を加えてこねる。酵母も準備されていたようで、小瓶のなかに静かに眠っていた天然種が使える状態で置かれていた。


 


 時間をかけてゆっくりこねた生地を布で包み、室温で休ませる。

 その間に、焚き火に薪をくべ、石窯をあたためていく。


 


 火が赤々とおこり始めた頃、背後から「ザッ、ザッ」と、落ち葉を踏む音がした。


 


(……獣?)


 


 悠は一瞬身構えた。

 森の中での生活にまだ慣れていない今、物音には神経質になってしまう。


 


 そっと手近な棒――乾いた薪を一本手に取り、入口の方をうかがう。


 


 すると、戸の向こうから控えめな声が聞こえた。


 


「あの、こんにちは。……ここって、誰か住んでるんですか?」


 


 ドアを開けると、そこには一人の青年が立っていた。

 背中には束ねた薪を背負っていて、その後ろから、少女がひょこっと顔を出す。


 


「パンの……匂いがする……」


 


「あ……はい。今ちょうど焼くところで……。もし匂いが気になってたら、すみません」


 


 少女はぱっと顔を明るくし、にこっと笑った。


 


「いいにおいだねっ! おにいちゃん、ほんとにパンだよ!」


 


 青年もようやく笑みを浮かべる。


 


「……実は、祖母が“森の小屋から煙が出てた”って言うもんだから、様子を見に行けって言われたんです。そしたら、本当に誰か住んでて……しかもパンを焼いてるなんて」


 


「煙を見て、来てくれたんですね」


 


 そういう事情ならと、悠は彼らを中に招き入れた。


 


 石窯の余熱を確認しながら、生地を分けていく。

 火加減に気を配りながら、丸めたパンを焼き始めると、室内には一層甘く香ばしい匂いが満ちた。


 


「すごい……! お店みたい!」


 


「いや、これはただの趣味で。たまたま材料がそろってたんですよ」


 


 そう言いながらも、悠の心はふわりとあたたかくなっていた。

 この森で、誰とも会わずに静かに暮らそうと思っていたはずなのに。

 でも今、目の前でパンの焼き上がりを楽しみにしている小さな笑顔を見ていると――なんだか、悪くないなと思えてきた。


 


 焼きあがったパンを木皿に乗せて、そっと差し出す。


 


「よかったら、どうぞ」


 


「いいの!? わあ……ありがとう!」


 


 少女は嬉しそうにパンを頬張り、口いっぱいに広がる温もりに目を細めた。

 兄も一口食べて、思わず唸った。


 


「……すごく、うまいです。こんなパン、初めて食べました」


 


「よかった……」


 


 焚き火のそばで三人が囲んだ、ささやかな食卓。

 パンの香りと温もりが、森の小屋を包み込んでいた。


 


 その夜――

 少女が村に戻って、おばあちゃんにこう報告した。


 


「すっごくおいしいパンをくれた人がいたよ! 森の小屋に住んでるの!」


 


 翌朝、森の静寂をやさしく揺らす足音が、再び小屋へと近づいていた――。

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