第98話 第七官界彷徨
「ここは」
「どこだ?」
カイとジェットは呆然と周囲を見渡しました。
薄暗い荒野に彼らはいました。
空は不吉に赤く、視界をさえぎるものはなにもありません。
「ルークどこにいる!」
「ここにいるよ」
ふわりとジェットの肩に腰かけ、妖精は騎士を落ち着かせました。
「大丈夫みんないるよ」
「ルークそこにいるのか?」
ジェットとカイのもとにイオリとジャック、エヴァンが駆けつけます。
「みんな無事だな。殿下は?」
「ここにはいない。アンナも。その代わり帝国のやつらがいるぞ」
イオリが忌々しそうに顎でさす先に、バベル大帝国の歩兵部隊がいました。
身を寄せ合い、不安そうに周囲をきょろきょろ見渡す屈強な兵士にジェットは声をかけました。
「おれはゼップランド黄金騎士団のジェット・クーガーだ。そっちの隊長はだれだ?」
「わたしだ。マスク、ニコラス・マスク」
兜を外すと逞しい髭面があらわれました。
「マスク隊長、元の世界に帰るまで休戦しよう」
「よかろう。しかし戻るといってもどうやって……」
「元の世界には戻れんぞ」
声のしたほうに振り向き、ジェットは絶句しました。
適合者と呼ばれるクルシミの信者百人がそこにいます。
しかし声をかけたのは彼らではありません。
声をかけたのは信者の前に仁王立ちした異形です。
三メートルに達するであろう巨体、真っ赤な肌、鋭いツノと牙、そして鉤爪を持った怪物、それが十人いました。
「悪魔だ」
最年少騎士のエヴァンはガタガタ震え出しました。
「わたしの名はソニー」
(あいつだ)
一際大柄な怪物の名乗りを聞いて、イオリは宿場町永遠での出来事を思い出しました。
あのとき頭にまばらに毛が生えた恐竜にまたがり、怪物はいったのです。
「わたしはソニー。また会おう」
(バケモノめ、律儀に約束を果たすとはな)
「おまえたちを皆殺しにするためここへ連れてきた」
ソニーの野太い声が荒野に響きます。
「われわれはブラフマン。カミの眷属だ。おとなしく首を差し出せ」
「断る!」
カイが大声で怒鳴ります。
「ここはどこだ!?」
「ふふ、そなたは黄金騎士団のカイ・セディクだな? 黒人らしいいい度胸だ」
「それって人種的偏見だぞ」
「そなたたち人間もわれわれブラフマンを怪物視する偏見を持っている。そして偏見というものは往々にして正しいものだ。ここは第七官界。おまえたちの世界のとなりにある世界だ。第七官界はわれわれブラフマンのふるさとで、カルマの生まれる場所でもある」
「カルマの?」
そう問いかけながら、カイはとなりにいる相棒の異変に気づきました。
(ジェット?)
救国の英雄はひどく青ざめた顔で、しかしランランと目を輝かせ、異形の怪物ソニーを見つめていました。
「さよう」
すらり、とソニーは背中に負った剣を抜きました。
刀身が二メートルある大剣です。
「カミより授かりし神剣ヘラクレスが起こす奇跡を見よ。
神力善用【変身】」
ソニーは大剣をブン! と振りおろしました。
「うわ!」
イオリたちは後方に吹っ飛びました。
ソニーが大剣を振りおろすのと同時に、地上に稲妻が落ちたのです。
稲妻はクルシミの信者の真上に落ちました。
天の光に打たれ、しかし倒れる信者は一人もいません。
ただ蛍のように、青い光の粒子が薄暗い空間をバチバチ音立てて舞うだけです。
光の粒子の下で、信者たちは黒い影になっていました。
その影が、一つ、二つと、徐々に大きくなります。
影が大きくなるにつれ、獣の生臭い匂いが薄暮に立ち込めます。
「これは」
マスク隊長が声をあげたとき、影は前面に立つブラフマンを超えるほど巨大になっていました。
「カルマだ!」
イオリは不知火丸を構えました。
ソニーの背後に百体のカルマが出現しました。
カルマはさまざまな姿をしていました。
魚のような、鳥のような、トカゲのような。
あるいは人間のような。
本職がカルマハンターのイオリは衝撃を受けました。
(カルマは元々人間だったんだ)
「カミの信者の中から選ばれた者がカルマとなる。こやつらもカミの眷属だ」
(あいつらは?)
イオリは黒髪のエイジやナミをさがしましたが、もはや人間の姿はどこにもありません。
「カルマの中からさらに選ばれた者がブラフマンになる。カルマが人を殺すのは飢えや嗜虐心を満たすためではない。信仰だ。カミに捧げる生贄をたくさん殺すことが、カミに近づく聖なる手段となる。ゆけ」
ソニーは指揮棒のように剣を振りました。
カルマの大群は奇声をあげ、帝国の歩兵部隊にドッと襲いかかりました!
「くるぞ!」
「隊長!」
「槍兵前へ!」
槍を持った一団が前に立ち、押し寄せる怪物の群れに槍を突き立てました。
するとたちまち固い音が轟きます。
「おお女神よ」
槍兵のうめき声が聞こえました。
一瞬で折れた数十本の槍が、むなしく宙を舞います。
「ちくしょう!」
折れた槍を投げ捨て剣を抜いた槍兵に、カルマの群れは襲いかかりました。
十人の兵士の首が宙を舞い、勝ち誇ったカルマのけたたましい笑い声が荒野に響きます。
「全軍突撃!」
マスク隊長のやけくその号令です。
帝国の兵士は一斉に抜剣し、カルマに立ち向かいました。
「よせ」
帝国兵のもとに駆けつけようとするカイを、ジェットは押しとどめました。
「無駄だ」
「今は見るべきだ」
イオリもジェットに同調するのでカイは手助けをあきらめ、観察することにしました。
(ひでえ)
観察して、カイはすぐ口を覆いました。
巨大なヒクイドリのようなカルマが一人の兵士に襲いかかりました。
「ゴオッ」
洞穴を抜ける風のような声で鳴くと、赤いトサカの鳥は高く飛びあがり、兵士の兜を蹴りました。
その一撃で、兵士の首は兜ごと吹っ飛びました。
「バケモノ!」
激昂した兵士がヒクイドリに剣を向けると、今度はその兵士の体が吹っ飛びました。
全身真っ白な、顔なしの巨人が掌底で薙ぎ払ったのです。
頑丈な鎧に覆われた兵士の手足は無惨にちぎれ、四散しました。
あっちではオオカミのようなカルマが兵士をくわえ、地面に叩きつけています。
ヘビのようなカルマは兵士を甲冑ごと丸呑みしました。
肉食恐竜のようなカルマは居並ぶ兵士を蹴散らし、兜が脱げた兵士の頭を次々かじっています。
「うわわ!」
遂に一人の兵士が逃走しました。
「バカ、グインもどれ!」
マスク隊長が叫びます。
「われらはバベル大帝国軍の兵士だぞ! 逃げるより死を選べ!」
しかし兵士の足は止まりません。
「グイン!」
そのとき一体のカルマが逃げる兵士に体を向けました。
茶色い甲羅のカブトムシのようなカルマが、長いツノを兵士に向けます。
するとツノから翼状の閃光がほとばしりました。
光は逃げる兵士の足を膝からスパッと切断しました。
「ぎゃあ!」
転がった兵士に金色のトサカを持つ、巨大なトカゲのようなカルマが襲いかかります。
トカゲは甲冑ごと兵士をバリバリ貪り食いました。
「グイン!」
「隊長危ない!」
マスク隊長のそばに一体のカルマがいました。
全身真っ黒な、クラゲのようなカルマです。
クラゲは隊長に向かって触手を振りました。
「おのれ!」
マスクはすばやく飛びのきました。
クラゲの触手は隊長の体にまったく触れていません。しかし
「隊長!」
固い金属音と、敷石に果実を叩きつけたような鈍い音が同時に轟きます。
それはマスク隊長の体が、身につけた甲冑ごと縦に真っ二つに裂けた音でした。
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