第97話 ディス・ボーイ
ブルックの歌声が広場に響き渡ります。
若い女性信者はもちろん、男性信者も陶然とした表情でバンドが演奏するビートルズの曲『ディス・ボーイ』に聴き入りました。
音楽好きな人はよく知っていますが、十代の少年にしか出せない歌声があります。
その声はまさに魔法です。
ブルックの声の魔力に宗教家の禁欲など風の前の塵です。
ジェットを始めとするコーラス隊も見事なハーモニーを聞かせ、同じくコーラス隊のイオリとアンナも健闘しました。
さっき丘の上の林で練習したばかりですが、とくに歌など歌ったことがないイオリの無垢な声は、奇妙な魅力がありました。
クロは巧みなギターで伴奏し、ルークもブルックと同じ音階で美声を披露しました。
はじめは何事? ととまどっていた信者たちもいつしか笑顔になり、肩を揺すり、とうとう踊る者まで出てきました。
ブルックも楽しそうに笑いながら歌っています。
やがてサビになり、ブルックは力強くシャウトしました。
すると一人の女性信者がぱたり、とその場に倒れました。
それを合図に、次々信者がばたばた倒れました。
立っている信者は彼らを気にせず、演奏も続きます。
信者は一人、また一人倒れ、とうとう立っているのは黒髪のエイジとマリのカップルだけになりました。
二人ともニコニコ笑って手拍子しています。
ブルックとコーラス隊とギターが引き潮のようなエンディングを迎えると、エイジとマリも笑みを浮かべたまま、静かに地面に横たわりました。
「……やったな」
ブルックは額の汗をぬぐって振り返りました。
「お見事です殿下」
ジェットも額の汗をぬぐってたたえます。
信者たちが眠っているのはクロとルークの魔法のせいでした。
ギターの音と妖精の歌声に強力な催眠効果があるのです。
「やつらが寝ている間に着替えろ」
「いわれなくてもそうするよ」
ジャックから刀と竜皮のツナギを受け取り、イオリはさっさとドレスを脱ぎました。
(お?)
ブルックは意外なものを見ました。
人目を気にせず上半身裸になったイオリを見たジェットの頬が、ポッと赤くなったのです。
「みんな準備はいいか?」
イオリとアンナの着替えが終わると、ジェットが声をかけました。
「OKだ」
「団長さん出発しましょうケロ」
「ああ。殿下はよろしいですか?」
「行こう。最後の宿場町【祭儀】を通過すればミッションオールクリア、あと目指すのはカミだけだ」
「祭儀は火の山のふもとにある観光地。ヤクザもカルマもいません。通行は容易です。参りましょう」
「ジェット待った」
声をかけたのはルークです。
「なんだ?」
「なにかおかしい」
カイの肩に立ちあがり、ルークは落ち着かない様子で上空をうかがいました。
「おかしいってなにが?」
「禍々しいオーラを感じる。クロ、きみは感じない……クロ!!」
ルークは絶叫しました。
「ごめんあそばせ」
クロの背後に立っていたマリアは蚊を払うように、手にした剣を軽く振りました。
するとぽとり、と地面に落ちました。
クロの生首が。
「『最初に蛇の頭をつぶせ』古代文明の教えです」
「クロ!」
ブルックは悲鳴をあげて生首を抱えました。
「クロ! クロ!」
「ブルック……」
血まみれになるのをいとわず、自分を抱きしめるブルックを見あげ、生首のクロはニッコリ笑いました。
「最後までつき合えなくてごめんニャ」
「クロ死ぬのはだめだ!」
「もうしわけありませんがこれまでです」
本当にもうしわけなさそうにマリアが告げます。
「殿下のお友達の生命は、ここで終わりです」
「クロ!」
「ご無礼」
マリアに手刀で首を軽く叩かれ、ブルックはがっくりとうなだれました。
意識を失った王子を抱き止め、マリアはとなりにいるアレクサンダーに告げました。
「お願いします」
「承知した。みなの者、目覚めよ」
パン! とアレクサンダーが手を叩くと、広場で眠っていた信者たちが一斉に目を覚ましました。
「あれ?」
「ここは?」
「天国?」
「なにを寝ぼけておる。王子を捕らえた。あとは護衛を始末するだけだ。【適合者】は集合せよ」
「はい!」
アレクサンダーの背後に信者が百人ほど集まります。
その中にエイジとナミ、マックスとノーラ、ダミアンとアニーのカップルもいます。
「殿下!」
「きさま!」
怒りに燃えるジェットとイオリが剣を抜いたそのときです。
「突撃!」
号令に続いておそろしい地響きが広場を襲いました。
「ブルック王子を捕らえろ!」
怒号をあげて広場に突撃してくるのは銀色の甲冑に身を固めた歩兵部隊です。
先頭の兵士がかかげる太陽旗を見てジェットは叫びました。
「伏兵だ! バベル大帝国の歩兵部隊だ!」
「どっから沸いてきた!」
「ジェット、イオリ、敵は百人いる! 勝ち目はない逃げよう!」
カイの進言にイオリは首を振りました。
「百人まとめて斬る」
イオリはクルシミの信者に向けていた刀を歩兵部隊に向けました。
クロを失った怒りと悲しみを、押し寄せる銀色の怒涛にぶつけるつもりです。
「不知火流奥義……」
「コォオオオオ」
そのとき突如アレクサンダーが異様な呼吸を始めました。
呼吸に合わせて、赤いワンピースのお腹がベコッと大きく凹みます。
丹田と呼ばれる、おへその下の部位を使う拳法独特の呼吸法です。
息を吐き切り、アレクサンダーはキッと空を睨みました。
「神力善用
転移!」
バッ! とアレクサンダーは空に向かってまっすぐ拳を突きあげました。
すると明るかった広場が急に暗くなりました。
広場に影を落とすのは、おお、空から降ってきた巨大な人間の手です!
手は拳を握っています。
「なんだ?」
「ヤバいぞ!」
ジェットとイオリ、それに歩兵部隊もあっけに取られてポカンと空を見あげます。
「ぶつかる!」
とカイが悲鳴をあげたとき、空から降ってきた手はフッと消えました。
巨大な拳が巻き起こした突風が、広場で渦を巻いています。
その広場から消えていました。
イオリやジェットやほかの騎士、ルーク、帝国の歩兵部隊、それにアレクサンダーが適合者と呼んだ百人の信者の姿が。
アレクサンダーが満足そうにうなずきます。
「これでよい。ではみんな火の山へ行こう。マリア殿、参りましょう」
「はい。みんなも行きますよ」
マリアは黒い僧服を着た自分の弟子四十名とアンナに声をかけました。
「アンナ・レンブラントさん、あなたも殿下と一緒に馬車にお乗りください。火の山まであなたに王子さまのお世話をお頼みしたいのです」
「わ、わかりましたケロ」
「どうぞよろしく」
マリアはニッコリ笑うと弟子が用意した馬車の扉を開きました。
「こちらへ」
アンナは意識を失ったブルックを軽々とお姫さま抱っこし、馬車へ運びました。
運びながら、アンナはチラッとクロの生首を見ました。
生首は切断面を下にして立っています。
頬にわずかに血をつけ、大陸一の魔法使いと称されたダークエルフは目を閉じ、かすかにほほ笑んでいました。
そのほほ笑みを見て、アンナは我慢できなくなって泣きました。
「……わたしがしっかりしないと」
(この命を懸けて王子さまを守る!)
心にそう誓うとアンナは拳で涙をぬぐい、マリアが待つ馬車に乗り込みました。
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