第16話 奪われたスマホ
翌日、昼休みの教室で、私は一人で弁当を食べていた。いつものように隅っこの席で、できるだけ目立たないように身を縮めて。
「ねえ、神林さん」
突然声をかけられて、私は箸を持つ手を止めた。振り返ると、またしても彩音が立っていた。その美しい顔に、いつもの意地悪な笑みを浮かべて。
「なに?」
私の声は震えていた。昨日のことがあって、こんなふうに話しかけられても、警戒心しか湧いてこない。
「昨日からみんな、ずっと気にしてるんだけど、神林さんってネットの恋人とメッセージのやり取りをしてるでしょ?」
そう言って、彩音は私の隣の席に勝手に座った。周りのクラスメイトたちがこちらを見ている。私は急いでスマホを隠そうとしたけれど、その手を掴まれた。
「みんな、内容が気になるんだって」
彩音の声には、悪意をまとった響きがあった。クラスメイトたちのほとんどが、私と彩音のやり取りを見ている。
「そんな……みんなが気にするようなこと……なにもないから」
「へえ、そうなんだ」
彩音は立ち上がると、私の後ろに回り込んだ。そして、突然私の肩に手を置いた。
「でも、今日も授業中こっそり見てたでしょ? 今度、先生にバレたら大変だよ?」
その瞬間、彩音の手が私のスマホに向かって伸びた。私は反射的にスマホを胸に抱え込む。
「触らないで!」
「なに隠してるの? そんなに必死になることないじゃない」
彩音の声は甘いけれど、その目は冷たかった。私は立ち上がって彩音から距離を取ろうとしたけれど、彩音は諦めなかった。
「みんな、神林さんがチャットのやり取り、見せてくれるみたいよ」
彩音の声が教室に響くと、周りのクラスメイトたちがざわめき始めた。私は顔が真っ赤になるのを感じた。
「やめてって、何度も頼んでるじゃないですか」
私の声は涙声になっていた。でも、彩音は止まらない。
「そんなに隠すなんて、よっぽど恥ずかしいメッセージを送ってるとか?」
そう言って、彩音は私の手首を掴んだ。私は必死に抵抗したけれど、やっぱり彩音のほうが力が強い。
「離して!」
「ちょっと見せてよ。友だちでしょ?」
友だち?
私たちが友だちだったことなんて、一度もない。私は心の中で叫んだけれど、声には出せなかった。
そのとき、私の手が滑って、スマホが床に落ちた。画面が上を向いて、ちょうど拓翔とのチャット画面が表示されている。
「あら」
彩音は素早くスマホを拾い上げた。私は慌ててそれを取り返そうとしたけれど、彩音は私の手をさっと払いのけた。
「ほら、やっぱり昨日の彼氏じゃない。真鍋拓翔くん」
彩音の声は興味深そうだった。私の血の気が引いていく。
「返して!」
「『今日も一日お疲れさま。君と話してると心が軽くなるよ』だって!」
彩音は私のスマホを高く掲げて、画面を読み上げた。教室がざわめく。私は涙があふれそうになった。
「お願いだから、もう本当にやめて! 返してってば!」
「『君の声が聞きたいな』って」
彩音の声は教室の隅々まで響いた。私は恥ずかしさと屈辱で死にそうになった。
「神林さん、ホントにネット恋愛なんだ? 声が聞きたいって、電話はしてるの?」
その言葉で、教室の空気が変わった。クラスメイトたちのざわめきが大きくなる。
「返してよ!」
私の声は震えていた。でも、彩音は私のスマホを手に持ったまま、画面をスクロールし続けている。
「わあ、すごい! みんな、見て! 毎日やり取りしてるのね。朝から晩まで」
彩音の声には、明らかに嘲笑が含まれていた。
絶対に面白がっているんだ。私を見下して、秘密をばらして、醜い私が醜態を晒すのを。
「いいじゃん、神林さんにも恋人がいるなんて思わなかったけど」
「でも、会ったことはないんでしょ?」
「そりゃそうでしょ。神林さんの顔見たら、相手もびっくりするもの」
クラスメイトたちの声が聞こえる。私は頭を抱えて、その場から消えてしまいたいと思った。
「みんな、ほらほら、見て見て! 『紀子の描くイラストが好きだよ。君みたいに優しい人と出会えて幸せだ』って書いてある!」
彩音は私のスマホを持って、クラスメイトたちに見せて回った。私は立ち上がって、彩音からスマホを取り返そうとした。
「もう返してったら!」
「まあまあ、そんなに怒らないで」
彩音は私の手を軽く払いのけて、スマホを自分の胸に抱え込んだ。
「でも、不思議よね。相手の人、神林さんの本当の顔を知らないのよね? それなのに、愛しているって?」
その瞬間、私の心臓が止まりそうになった。彩音の目が、意地悪く光っている。
「もしかして、嘘ついてるの? 自分のこと、可愛いって言ってるとか?」
「そんなことない! そんなこと言ってない!」
私は必死に否定したけれど、彩音は信じなかった。
「そうよね、真面目な神林さんが、そんな嘘つくわけないものね?」
彩音の声は、相変わらず表面的には優しく聞こえる。ただ、その下に冷酷な悪意が隠れている。
「でも、相手の人はどう思うかなぁ? 本当の神林さんを見たら」
私は震えた。拓翔に私の本当の姿を知られるのが、どれほど恐ろしいことか。それは私の最大の恐怖だった。
「ねえ、まさかとは思うけど……」
彩音の声が小さくなった。でも、そのぶんだけ恐ろしさが増した。
「神林さん、彼氏に写真を送ったりしてないの?」
私は首を横に振った。もちろん、写真なんて送れるはずがない。
「そうよね。神林さんの顔じゃあ写真を送られても、彼氏さんも困っちゃうものね」
その言葉が、私の心に深く刺さった。気が遠くなりそうなくらい胸が痛む。
「でも、可哀想よね。彼氏さん。拓翔くん、だっけ?」
彩音の声は、同情しているようで、実際は私を傷つけるためのものだった。彩音の口から拓翔の名前が出ることに嫌悪感があふれる。
「本当のことを知らないまま、騙されてるなんて」
「騙してなんかいない!」
私は声を上げた。でも、彩音は笑うだけだった。
「そうね、嘘は言ってないものね。ただ、本当のことを隠してるだけ。そうなんでしょ?」
彩音の言葉は、私の心の奥底にある罪悪感を呼び起こした。確かに私は、自分の容姿について詳しいことはなにも言っていない。だから嘘ではないけれど、隠しているのは事実だった。
「神林さん、可哀想」
彩音の声は、偽りの同情に満ちていた。
「こんなに大切にしてもらってるのに、本当のことを言えないなんて。彼氏さんも可哀想。本当の神林さんを知らないなんて」
私は彩音の言葉を聞いて、胸が苦しくなった。ショウとの関係は、私にとってなによりも大切なものだった。でも、それは私の容姿を知らないからこそ成り立っているのかもしれない。
もしも、拓翔が私の顔を知ってしまったら……。
「ねえ、みんな」
彩音が突然クラスメイトたちに向かって声をかけた。
「神林さんの恋人さんに、本当のことを教えてあげない?」
その瞬間、私の世界が崩れ落ちた。
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